サイババの御言葉

日付:1985年6月1日・場所:プラシャーンティ ニラヤム
人間的価値教育に関する全インド セミナーおよびワークショップ開会式の御講話より

価値を生き、子供たちを導きなさい


真実、正しい行い、平安、非暴力を有していないなら、
いくら学識があっても、その人の学識の価値はゼロ
真実、正しい行い、平安、非暴力を有していないなら、
たとえ気前がよくても、その人の気前のよさの価値はゼロ、
権力もある地位も値打ちなし、賞賛に値する行いも価値はない
なぜなら、真実、正しい行い、平安、非暴力の四つは
サナータナ ダルマ〔古来永遠の法〕という古くからある大きな家の壁なのだから
その家に宿る命、その四つすべての生気は、プレーマ
すなわち、無私で、堅固で、崇高な愛


愛の具現たちよ! 地上のすべての生き物は物質元素から成る体を持っていますが、人体は多くの点において比類なきものです。そのことが人を万物の長にしているのです。たとえば、人の背骨は垂直で、他の生き物のように水平ではありません。その結果として、人はヨーガの修行によって、潜在的な活力エネルギーであるクンダリニーを目覚めさせ、それを訓練して、脳の王冠であるサハッスラーラという千枚の花びらのある蓮まで上昇させることができるのです。低級な衝動は霊妙なものとなり、そのことによって、結合し、昇華します。

人体のもう一つの特徴、人に授けられているもう一つの恩恵は、知性(ブッディ)です。知性によって、人は何が正しくて何が間違っているか、何が永続するもので何が束の間のものかを、分析して判断することができます。頭は体の最も重要な部分です(サルヴァッスヤ ガートラッスヤ シャリーラム プラダーナム)。頭は自分の行いや振る舞い(シーラム)を識別して決めますが、行いと振る舞いは人の人格を形作る習慣を構築するものです。これもまた、人間という種にのみ可能なことです。

人の中の動物

けれども、人はこれらの恩恵に気づいていません。人は、獣がしているのと同じように、自分の人生の年月を過ごしています。獣は砂漠の蜃気楼に惑わされます。獣は喉の渇きを癒そうとして蜃気楼に走っていって、絶望と喉の渇きで息絶えます。人もそれと同じように物質世界に惑わされています。人は喜びと幸福を求めて五感の渇きを癒すために物質世界に走っていきます。そして、失望し、疲れ果てて息絶えます。夢は、目が覚めるまでは現実です。目が覚めている時に得た喜びは、人が自らの神の実体の光の中でさらに目覚めた時、非現実であることがわかります。

しかし、人は自分の心に潜む六人の泥棒のせいで、自分の栄光を知ることができずにいます。その泥棒とは、色欲、怒り、貪欲、過度の執着、慢心、憎悪です。それらが影響を及ぼして、その人の価値観を汚しているのです。さらに、心に八つの慢心が波打って、人が自分自身を知ろうとする試みを邪魔しています。その慢心の波とは、階級、体力、学識、若さ、富、容姿、地位、そして、霊的な到達に対する、慢心の波立ちです。これらは今にも崩壊してしまうようなものであるということを、誰もわかっていません。

シャンカラは、それら慢心のもとに信頼を置かないよう人々に警告しました。「絶大な力を持つ時間は、それらを瞬く間に奪っていく」とシャンカラは述べています。少年として笑って戯れている間にも、若さはあなたを追い越していきます。そして、自分はまだ若いと思っている間にも、老齢は忍び寄ってきています。老齢があなたを追い越していくのと同時に、死がすぐそこの曲がり角であなたを待っています。

人間性の基本原理

ちょうど、太陽の光が海の水蒸気を上昇させて、それらを雲に集め、雨にして降らせ、それが川となって流れて海に戻ることができるのと同じように、人間の五感が外界と接触し、その中から神聖で持続するものを選び、蓄積し、それらを心が個人と社会を向上させるための道具として、価値として活用するのです。その価値とは、真実、正しい行い〔ダルマ〕、平安、非暴力、そして、プレーマ〔愛〕です。先の四つにとって、最後の価値であるプレーマ〔愛〕は命を与える泉です。四つの価値は、愛によって最も素早く獲得することができるのです。

プレーマ〔愛〕は人間性の基本原理です。この短い二音節〔プレー + マ〕の単語には、計り知れない可能性が秘められています。プレーマ〔愛〕はよく、わが子に対する母親の母性愛や、夫婦間の愛着(あいじゃく)や、友人同士の頼り合いや、教師と教え子の関係と混同されています。これらにはすべて、エゴによる利己的な必要性の痕跡が見出せます。本物の愛は、エゴに汚されていない愛です。本当の愛は、すべてを包み込み、純粋で、完全で、無償です。

ミーラーに〔宮殿を〕立ち去るよう駆り立て、トゥッカーラームに歌うよう駆り立て、チャインタンニャに踊るよう駆り立てたのは、愛です。愛はハートから現れます。愛は、怒り(犬)と慢心(豚)と自我意識(水牛)があなたの行いから締め出され、ハートから取り除かれた後に、初めて歓喜によって明るさを増します。これらの動物がハートを占めている限り、人は動物でいることから逃げ出せません。人間であれば、何を切望するでしょう? 悲しみがなくなって至福(アーナンダ)があること、そして、自分の意志に従うことのできる自由を切望します。しかし、悲しみと喜びは夜と昼のようなものであり、人生の避けられない局面です。意志の自由は、自分と他人に災難を引き起こすこともあり得ます。人は、自分はアートマだということがわからなければなりません。その知識こそ、人の至福に必要なすべてです。

王が善ければ国民も善くなる

皆さんは、教師として、導き手として、模範として、幼い子供たちに接しています。それらの役割を果たすために、皆さんは、人を立派な人間にさせる五大価値を生きることによって、自らを装備しなければなりません。自分の中に価値を定着させ、それらの価値を実践し、そこから、あなた自身の中から、至福を引き出しなさい。「王が善ければ国民も善くなる」という諺があります。理想を生き、理想に沿って子供たちを導きなさい。

真実、正しい行い、平安、非暴力を求める熱望という花を、子供たちのハートの中に咲かせなさい。それら霊的な宝こそが、幸福と喜びを確実にするのです。そうでなければ、なぜ神々の側で戦って神々に勝利をもたらした英雄であるダシャラタ王がヴァシシュタ仙の指導を求めたり、ジャナカ王がヤーグニャヴァルキヤ仙を宮廷に迎え入れたりしたでしょう? なぜ不屈の五人であったパーンダヴァ兄弟が、自分たちの病気に対する助言と治療法をクリシュナに求めたりしたでしょう? さらには、どうしてシヴァージー王は自分の建国した国を治めるためにサマルタラームダースの助言を求めたりしたのか、考えてごらんなさい。

五大価値は人間の進歩の鍵

これら純然たる人間的価値(ヒューマン バリュー)を、書物や、教師が教える授業や、年長者たちが授ける教訓から学ぶことはできません。人間的価値は経験と模範によってのみ習得できます。皆さんは手本でなければならず、子供たちは経験しなければなりません。皆さんはこのセミナーとワークショップのために、はるばる遠方から、大金をかけて、何日もかかってプラシャーンティ ニラヤムにやって来ました。その見返りに、あなたが集められるすべてのインフォメーションとインスピレーションをここから持っていきなさい。なぜなら、人間的価値は目標であり、土台であり、根っこであり、人間の進歩の鍵だからです。

真実(サティヤ)は、思考と言葉と行いの一致です。行いに真実が染みこむと、それは正しい行い(ダルマ)になります。すべての行いが正しいものであれば、平安(シャーンティ)が支配するようになり、ほんのわずかな暴力も心からなくなります。愛はその四つすべての糧です。思考としての愛が真実、行いとしての愛がダルマ、感情としての愛が平安、理解としての愛が非暴力(アヒムサー)です。人間を神のレベルにまで引き上げるこれら根本的な価値をあなた方が実践し、学校から学校へ、村から村へと伝える時、バーラタ〔インド〕はその名のとおりのものとなります。「バ」は「光」、「ラタ」は「歓喜」を意味します。つまり、光から歓喜を引き出すのです。

霊的な算数

あなた方が学校で教える科目はそれぞれ違っても、あなた方全員を通して人間的価値を強調することができます。人体は、非常に忙しい、よく組織された化学実験室です。人体のすべての部分は、ラサ〔液体あるいは愛情〕によって活性化されています。あなたが机を叩くと、机もそれと同じ力であなたを叩きます。このことから、すべての作用〔行動〕はその反作用〔反動〕に直面しなければならない、ということを学びなさい。数学を教えている時、皆さんは、プラスとマイナスの役目を、人生でも人の運命に影響を与えるものとして説明することができます。

算数では、3−1=2です。しかし、霊性の数学では、3−1=1です。自然界に映る神は、人間の姿として見られます。そこには三つのもの〔実体・鏡・鏡に映った姿〕がありますが、鏡を取り払えば、残るのは二つではなく一つ、すなわち、一なる神です。

そして、何よりもまず、人を意味する「マーナヴァ」というサンスクリット語の二つの意味をつねに意識していなさい。

(1)「マー」は「〜でない」を意味し、「ナヴァ」は「新しい」を意味します。人は新しいものではありません。人は、数え切れないほどの過去世の影響を引きずっているのです。

(2)「マー」は「無知」、「ナ」は「〜なしで」、「ヴァ」は「行うこと」を意味します。人は、完全な英知(グニャーナ)によって、ほんのわずかな無知も持たずに行為をすべきなのです。

これら二つの意味に沿って、あなたの生活を人の模範となるものにして、祝福されなさい。

翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:Sathya Sai Speaks Vol.18 C13

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