サイババの御言葉

日付:1987年11月24日・場所:プールナチャンドラ講堂
全インド サイ アクティブ ワーカー大会 連続講話 その3

セヴァによる平安


「私は光の中にいる。光は私の中にある。光は私である。私は光である」――この真理を悟った人はブラフマン〔神〕と一つになります。

人間は絶えず平安〔安らぎ、平和〕を探し求めています。平安を探し求める人は、それをマタム(宗教)にではなく、マナム(心)の中に探さなくてはなりません。外界に平安を探し求めることが、この世のあらゆる不安の原因です。平安はまず、自分自身の内で確立されなくてはなりません。次に、家族へと拡大しなくてはなりません。そして、家族から村へ、地域へ、州へ、国家へと広がらなければなりません。今、起こっていることは、この過程とは逆のものです。争いと無秩序が、個人から家族へ、そして、国家にまで広がっているのです。

皆さんは平安のメッセンジャーにならなくてはなりません。まず自分自身から始めなくてはなりません。平安は奉仕を通してのみ、手に入れることができます。怠惰な人間は悪事に走ります。仕事で忙しくしていれば、心〔マインド〕に思考が生じる余地はありません。それゆえ、心に平安があるのです。穏やかな心は愛の住処です。愛は人間に本来備わっているものですが、人間の中にある愛も、肥料と水で養分を施されなければならない種のように、サーダナ(献身的な奉仕)とプレーマ(愛)によって養われなくてはなりません。愛は神聖な性質です。愛は甘露のようなものです。神の愛の不滅の甘さを味わった人は、他に世の中のものは何一つ望まなくなります。人生は、絶え間ない愛の発露とならなければなりません。今、愛は、抑制された、利己的な方法で表されています。愛は社会への奉仕という形で表される必要があります。愛は、他の人々に捧げ、他の人々と分かち合わなければなりません。そうすることで、愛は互恵的な、絶えず拡大していく体験となるのです。

行動を起こす前に識別せよ

すべての人は四つの構成要素を有しています。それは、体、心、知性、アートマ〔真我〕です。体は、各人の義務を果たすこと(ダルマサーダナ)のための道具です。体が動くのは、心の促しによってのみ可能です。しかし、体を動かした結果を楽しむのは心です。しかし、心が感覚の動きから引き出せるのは、束の間の喜びにすぎません。たとえば、空腹なとき、何か食べて飢えが満たされれば、心は満足します。心を超越しているものは、ブッディ、すなわち知性です。ブッディは識別力を備えています。ブッディは、体にとって何が健全であるか、何が望ましくないか、あるいは何が悪いものかを指摘します。ブッディに導かれるなら、心は純粋な喜びを体験します。

どんな行為を行うときも、それが良い結果をもたらすか、悪い結果をもたらすか、事前によく考えてみるべきです。識別がなされなければ、心は言わば盲目になります。

体を動かし、知性を啓発するのはアートマです。自分を体と同一視する人は、現世的な楽しみに没頭します。自分を心と同一視する人は、感覚的な快楽を体験します。知性を自分の人生の基盤に置く人は、知性面での達成を得ます。アートマに人生の基盤を置く人だけが、アーナンダ(純粋な至福)を体験することができます。

アートマの体験を手に入れるよう努力せよ

純粋な至福を求める人は、アートマの体験を手に入れるよう懸命に努力すべきです。アートマの目を持つならば、万物に浸透している唯一者を認識します。この気づきは、聖典の学習からは得られません。

サイ オーガニゼーションは、万人に内在している魂は同一のアートマであることに基づいて働くべきです。名前と姿は異なるかもしれませんが、全員がこの唯一性(非二元)という感覚を育て、謙虚な気持ちで社会に奉仕すべきです。恩着せがましい気持ちがあってはなりません。

太古の聖賢たちは、自分を神の召使と見なすことから始め、奉仕を通じて神に到達しました。もし、エゴを取り除きたいのであれば、自分自身をダーサーヌダーサ(召使の召使)と見なさなければなりません。この熱望は、ラームダース(ゴーパンナ)が歌で表現しています。

ダーサーヌ ダースダヌ カーヴァレーヌラー・・・
(我は御身の下僕〔げぼく〕の下僕とならねばなりません。
そして、御身の僕〔しもべ〕たちに仕えねばなりません。
おお、ラーマ! 我のみならず、我が妻と子も、ずっと御身にお仕えするでしょう)

バクティの道

これは信愛の道〔バクティ マールガ〕です。アドヴァイタ(不二一元)の真正の主唱者であったシャンカラーチャールヤ〔アーディ・シャンカラ〕は、二元性に基づいたバクティ マルーガ(信愛の道)の偉大さを強調するために、『バジャ ゴーヴィンダ』を創作しました。バクティの類まれな美点は、『バクティ スートラ』の中で聖賢ナーラダが解説しています。それは愛の道です。

愛を通してティヤーガ(犠牲)の精神を育み、ヨーガ(神への融合)へと進まなくてはなりません。捨てるべきものを捨て、知るべきことを知り、目的地であるべき場所に到達したとき、あなたはブラフマン〔神〕の至福を体験するでしょう。世俗の物事への執着は捨てなければなりません。人生の基盤となる真理を知らなければなりません。ゴールは神と一つになることです。永遠不滅の至福が、そこにあります。

サイのサーダカ〔求道者〕とセーヴァク〔奉仕者〕は、アートマをあらゆる活動の基盤としなければなりません。自分を神の化身と見なし、万人にはアートマが内在していることを悟るべきです。人は、何であれ他の人々が体験する喜びや悲しみは、等しく自分のものであるという感覚を持つべきです。そうして初めて、人は奉仕をして他の人々に喜びを与えることができるのです。

今日、自分の役割をきちんと果たす人はめったにいません。話が多すぎ、活動が少なすぎます。すべての人が、本来、自分は召使であり、また「ワーカー」〔働き手〕であるという感覚を育てるべきです。自分の力量を超えて働くことは誰にも求められていません。また、誰であれ、規律が厳しすぎるという理由でオーガニゼーションを離れることなど、考えるべきではありません。皆さんは、奉仕ほど偉大で神聖な神への道はないことに気づくべきです。これは、今生であなたが得た黄金のチャンスなのです。サイ オーガニゼーションで奉仕することによってあなたの人生を聖化する手段が、ここにあるのです。一人で目を閉じて瞑想に座っても、聖地巡礼を続けても、役に立ちません。皆さんは奉仕を通じて、遍在の神を体得しなければなりません。

サイ クリシュナとアルジュナたち

クリシュナはアルジュナに自分の普遍的な姿を明らかにしました。しかし、皆さん全員がアルジュナです。アルジュナの名前の一つはパールタ、すなわち「大地の息子」です。皆さん全員が大地の子どもです。パールタであるなら、皆さんは戦場から逃げるべきではありません。クリシュナはアルジュナに、常に神の御名を思いながら自分の義務を果たすよう求めました。(「マーム アヌスマラ ユーディヤチャ」〔バガヴァッドギーター8章7節の一部〕) 同じように、皆さんも自分の義務を果たしながら、常に神の御名を心に留めておくべきです。そうして初めて、皆さんは「純粋さ」を意味する「アルジュナ」という呼称を正当なものにできるのです。純粋なハートで奉仕に従事しなさい。

クリシュナは、アルジュナを神の宇宙劇の舞台を上演するための道具として使いました。今、このサイ クリシュナは、何万人という大勢のアルジュナたちを使って、神の劇を監督しています。

ニミッタ マートゥラム バヴァ サヴャサーチン!
(ただ私の道具であれ、おおアルジュナよ!)

(バガヴァッドギーター11章33節の一部)

皆さんは単なる道具にすぎません。何か権威や権力でもあるかのように振る舞って、何らかの業績を自分の手柄だなどと主張してはなりません。あなた方の名声と評判のすべては、サイ オーガニゼーションとの関わりと、サイという肩書を使用しているおかげです。サイという承認の印がなければ、皆さんはどうなりますか? 皆さんに名声と評価を授けたのは、サイという名前です。ですから、サイの御名を心に留めて自分の仕事を続けなさい。

60歳の降誕祭の祝典以来、私は霊的なサーダナ〔修行〕と不二一元のアプローチを強調してきました。私たちは、カルマ カーンダ(行為の部)とウパーサナ(礼拝)を通過して、今やグニャーナ〔英知〕の段階へと進んで行かなければなりません。今後、皆さんは不二一元のアプローチに集中すべきです。

サイ現象

この大会ではいくつかの変更が議論されてきました。それらは誰か個人や皆さんの側の過失に関係したものではありません。それらは、最近の世に広く行き渡っている状況に関係したものです。世間は無数の目でサイ ムーブメント〔サイの運動〕を見ています。世間の人々は尋ねます。

「サイとは、一体、誰ですか? バザールに行っても、ジャングルに行っても、どこへ行っても、そこでサイの写真と、サイの名前が掲げられているのを見ます」

多くの人はこの現象にとても驚き、好奇心、あるいは嫉妬心から、それを調べようとしています。このような状況下にあっては、誰にも私たちのオーガニゼーションを指差して批判や嘲笑する隙を与えるべきではありません。誰もが自分の地位や立場に応じて、自分の仕事をどんどん進めていくべきです。

将来は、何人かの人が役員、それ以外の人が一般の会員として働く代わりに、すべての人が「兄弟」または仲間のワーカーとして、平等に扱われるほうが良いでしょう。相互愛が奨励されなければなりません。多様性の根底に横たわる一体性を、世間に実証しなければなりません。全員が共に調和して働き、共に活動し、共に進み、共に成長し、周知の事柄や体験をすべての人と分かち合うべきです。サイ オーガニゼーションには、皮肉屋や、敗北主義者〔勝利や成功を考えず初めから敗北や失敗を予測して当る考え方や態度〕や、疑り深いトマスのための場所があってはなりません。私たちは、完全にこの組織と一体となる人々を必要としています。

女性の役割

サイ オーガニゼーションによって成し遂げられてきたことの多くは、女性ワーカーたちのおかげです。女性のワーカーは良い奉仕をしてきました。女性のセクションの中にも、霊性、教育、奉仕の三部門すべてがあるべきです。私は、女性たちが三部門すべてに携わることを願っています。女性の組織に、役職をめぐっての獲得競争がある代わりに、任務への集中があるべきです。ボス支配の余地があってはなりません。サイの団体では全員がセーヴァク〔奉仕者〕です。なぜ、セーヴァクの中に差別がなくてはならないのでしょう?

もう一つ別の課題があります。これまで、私たちには世界評議会(ワールド カウンシル)〔委員会〕がありました。世界評議会はその目的に役立ちましたが、今やサイ センターは海外の国々で大規模に発展してきています。世界評議会は今日からなくなります。海外の各国では、それぞれの国の状況や必要に応じて、サイ センターの仕事の世話をする委員会を作るのが適切でしょう。海外の役員は、自分たちの活動についてプラシャーンティ ニラヤムの役員に情報を提供することとします。

これらのことや、他の諸変更を発表する目的は、あくまで、飛躍的に成長しているサイ オーガニゼーションに激励と手引きを与えるためです。

皆さんは自分たちが通ってきた土地を知っています。今、皆さんは未来のことを考えなくてはなりません。私は皆さん方全員が、サイ オーガニゼーションで兄弟姉妹として振る舞い、世界に模範を示すことを望んでいます。

あなた方一人ひとりと私との間にある、直接の個人的な関係は、ずっとこのままあり続けます。もし、私たちの関係がオーガニゼーションを通して強められるなら、私はより嬉しく思います。私は、この変更案が、決して皆さんの熱意を損なうことなく、活気と熱意を倍加すること、そして、皆さんが模範的な態度で活動を続けていくことを期待して、皆さん方全員を祝福します。

全インド サイ アクティブ ワーカー大会閉会式における12,000人の代表者に向けた御講話

翻訳:サティア・サイ出版協会
出典:Sathya Sai Speaks Vol.20 C28


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