サイババの御言葉

日付:1993年6月2日・場所:プラシャーンティ ニラヤムのシュリ サティヤ サイ大学の講堂
第一回心臓血管疾患国際シンポジウムの御講話@より

人間の病気に対する統合的アプローチ


ハートが思いやりにあふれている人
言葉が真実を綴る人
他人の福祉のために働く人
このような人は、カリの時代〔カリユガ/最悪の時代の意〕でも
決して困難や病気に苦しむことはない


この広い世界の誰もが皆、長寿、繁栄、健康を望んでいます。人生の4つの目標である、ダルマ、アルタ(富)、カーマ(欲望)、モークシャ(解脱)を達成するには、健康な体が不可欠です。科学とテクノロジーは人間社会の進歩に大きく貢献しましたが、人間は道徳的にも霊的にも低下しています。

アーユルヴェーダ〔インド古来の医学〕として知られる長寿に関連する科学をもたらしたのは、4つのヴェーダのうちアタルヴァナ ヴェーダです。アーユルヴェーダは時間と空間を超越しており、すべての場所で、すべての時に効果があります。アーユルヴェーダは真我と心と体と結び付いた統合的なアプローチをとります。アロパシー〔西洋医学〕の体系はずっと後に登場しました。アーユルヴェーダが主体的である一方で、アロパシーは客体的な外的アプローチに基づいています。より良い結果を得るには、アーユルヴェーダとアロパシーの両方を組み合わせる必要があります。アーユルヴェーダは主体的であるため、アロパシーの体系よりも効果的です。アーユルヴェーダには優れた技術的観念が存在します。

医師は主体的アプローチと客体的なアプローチの違いを認識している必要があります。客体的アプローチには外を見る目があり、主体的アプローチには内を見る目があります。客体は主体の反映です。こうしたアーユルヴェーダとアロパシー〔西洋医学〕の関係を認識することなく、医師たちは議論をして時間を浪費しています。

アーユルヴェーダとアロパシーの基本的な違い

アーユルヴェーダは健康には心の清らかさが重要であると断言しますが、アロパシー〔西洋医学〕の医師は、心(マインド)はそれほど重要ではないと考えています。アロパシーの医師は病気を引き起こす細菌の撲滅を重要視し、それが病気を治す唯一の手段であると考えています。この考えは、病気の根絶における心とアートマ〔真我/内在の神〕の役割を考慮に入れていません。アロパシーは外的な知識と実験に基づいていますが、アーユルヴェーダは内的な知識と経験に基づいています。実験と経験には大きな違いがあります。主体的アプローチと客体的アプローチの違いから、時が経つにつれて、アロパシーはさまざまな病気に対処するために抗生物質の使用に頼るようになりました。抗生物質は強力に作用し、すぐに病気を治します。けれども、病気を治す過程で副作用を引き起こします。

病気を引き起こす心の役割

アロパシー〔西洋医学〕の医師は物質のみで実験します。彼らは内なる意識(真我)を考慮に入れません。世界の驚異的なテクノロジーの発展にもかかわらず、人間は平安を享受することができずにいます。平安は身体の知識によって得ることはできないものです。平安は内面の心情あるいはアートマ〔真我/内在の神〕から生じるものです。体と心とアートマが調和している時にのみ、平安はあるのです。医学は、病気を引き起こす心の役割を認識すべきです。健康は心の平安をもたらします。心の心配は体の健康を損います。ですから、アーユルヴェーダは心の平安に重点を置き、病気の根本的な原因を排除することを目指しているのです。

アーユルヴェーダによると、人体の健康や病気の原因となる3つの基本的な要因があります。それは、ヴァータ(生気)〔風〕、ピッタ(胆汁)〔熱〕、シュレーシュマ(痰)〔カパ/粘液〕です。ヴァータは36の疾患の原因となり、ピッタは98の疾患、シュレーシュマは96の疾患の原因となります。この3つの要因は人体にとって不可欠ですが、それぞれが極限を超えることなく適切なバランスを保っている必要があります。バランスがとれていれば病気にはなりません。節度は健康のための黄金律です。

ヴァータ、ピッタ、シュレーシュマから発生する病気の治療には、それぞれの治療薬として、胡麻油、ギー〔精製バター〕、蜂蜜が処方されます。これらはほどほどに摂取すべきです。体は神からの贈り物であり、医師に体は作れません。人の心臓は1日に103,000回鼓動します。体内の血液循環は1日あたり168,000マイル〔約270,370キロ〕に及ぶと算出されます。人は毎日21,600回呼吸をし、438立方フィート〔約4平方キロ〕の空気を消費します。これらは神の意志に基づいており、自然の法則と見なされています。

神はプラクリティ(自然)を司る者です。体はさまざまに汚れており、さまざまな病気にかかりやすいものです。しかし、そのような元来魅力のない住居の中に、最も価値のある神性が宿っているのです。人は常に、神性の反映である自然との調和を保って行動すべきです。

心臓疾患の原因はハリー・ウォーリー・カリー

心臓病の原因は何でしょう? 多くの医師は、喫煙、脂肪分の多い食品の摂取、過食や他の生活習慣が原因であると言います。食べ物と生活習慣の関係が正しく理解されるべきです。体と内面の心情の適切なバランスが保たれているかを見るべきです。現代人はいつも急いでいます。急ぐことは心配を引き起こし、心配は体の健康に影響を及ぼします。心臓疾患の主な原因は、急ぐこと(ハリー hurry)・心配すること(ウォーリー worry)・カレー(カリー curry)であると言ってもよいでしょう。カレーというのは脂肪分の多い食品を意味します。多くの医師がこの分野の調査を行っていますが、その結果は広く知られていません。

心臓病はベジタリアンでない人の間でより蔓延しており、ベジタリアンはそれほど心臓病にかからないことが判明しています。これは、動物性の食品は血中コレステロールを増加させる脂肪の含有量の割合が高いからです。

心配は高血圧の原因になり、急ぐことは糖尿病の原因になります。高血圧と糖尿病は双子のようなもので、一方は心臓の内部に作用し、もう一方は外部から血液に作用します。

誰もがこれらの原因を抑える方法を知っているべきです。何の運動もせずに、座ってばかりの生活を送っている人々がいます。私からのアドバイスとして、通勤や通学をしている人は最低でも1日に5、6キロは自転車で通うことを勧めます。自転車に乗ることは、健康を維持するだけでなく、車に使う出費を減らすのにも大いに役立ちます。もう一つの利点は、交通事故を回避できることです。しかも、自転車通勤は、車から出る有害な排気ガスによって引き起こされる大気汚染を減らすのにも役立ちます。車や工場から出る二酸化炭素の煙は、すでに都市の大気を汚染し、地球の上空にあるオゾン層に影響を及ぼしています。

環境の浄化が第一の課題

第一の課題は、空気や水や食物の汚染による影響をこうむっている環境を浄化することです。五大元素のすべてが汚染されています。ですから、人々は車の使用を減らし、有害な工業廃棄物の排出を規制するよう努めるべきです。

古代において、聖者や科学者たちはアーユルヴェーダの治療法を勧めました。アーユルヴェーダは病気を治す自然な方法と考えられていたからです。木は、人間の吐く二酸化炭素を吸収し、人間に大気中の酸素を受け取らせるという、命にかかわる役割を果たしています。それゆえ、古代の人々は、大気汚染を抑えるために、木を育てることを大切にしました。ところが、現代では、樹木は分別なく伐採され、汚染は増すばかりです。人間と木の関係は、アーユルヴェーダで用いられている「ヴァナスパティ」〔木の主〕という語によって示されています。

人は今、人工的な生活を送っています。人は単なる体ではなく、体と心とアートマ〔真我/内在の神〕の組み合わせであることを理解すべきです。ガーヤトリーマントラの最初の行は、「オーム ブール ブヴァッ スヴァハ」です。「ブー」〔ブール〕は、物質を指しています。これは体です。「ブヴァハ」〔ブヴァッ〕は、体を動かしているプラーナ シャクティ(生命力)を指しています。「スヴァハ」は、放射を通して働いているプラグニャー シャクティ(覚醒意識すなわち良心)を指しています。ですから、人はプラグニャー(覚醒意識)〔プラグニャーナ〕とプラーナ(生命力)と体(物質)でできているのです。

医師は体(物質)だけを考慮するのではなく、プラーナとプラグニャー シャクティも考慮に入れるべきです。プラグニャー シャクティは、智慧を増進させる放射エネルギーです。振動はプラーナの現れです。あらゆる行動には意識と体の間の振動が存在します。私たちは、心が外の「力」に感化されることなく、プラグニャー、すなわち融合意識である内なる「源」にインスパイアされるよう、気をつけているべきです。

万人の健康な生活を確実にすることは医者の義務

尊敬すべき医師の皆さん! 皆さんは人々が健康で長生きできるよう努めなければなりません。私の考えでは、ただ長生きするよりも敬虔な生涯を送ることのほうが大切です。社会に奉仕しないで長生きしている利己的な人が何の役に立ちますか? 社会や国民に奉仕する人だけが長生きすべきです。ヴィヤーサ仙は自らが編纂した18のプラーナ〔インド神話〕の神髄を、「常に助け、決して傷つけない」というモットーに要約しました。

医師は普通、信愛を胸に、献身的に働いている、というのは事実です。お金を稼ぐことに関心を寄せるのではなく、神への信愛を深めるなら、もっと良いでしょう。この世で生きていくにはお金が必要ですが、お金を得るにも限度があるべきです。お金の使い道を正しく規制すべきです。日常生活で節度をわきまえないと、人は病気の餌食となります。体は制限と統制によって管理されています。体温は36度8分前後であるべきであり、血圧は80-120であるべきです。上がるか下がるかしたら、それは病気を意味します。医師同士で稼ぎや所有物を競い合うべきではありません。医師は必要としている人や貧しい人に無償で奉仕を提供すべきです。犠牲の精神は真の教養の印です。稼いだお金は犠牲の精神で有効に使うべきです。

健康と人間的価値

人がこの世で健康に暮らすには、宗教と哲学と芸術がほどよく交じり合う必要があります。ここでの宗教は愛という宗教を意味します。愛は世界で唯一の宗教です。カーストは1つあるだけです。それは人類というカーストです。健康に暮らすためには人間的価値を育まなければなりません。それには思考と言葉と行いの一致が要されます。この一致を育めば、あなたは欲望と恐れから解放されます。医学や他の学問の分野に利己心が蔓延しているために、世界は多くの危険と災害に揺さぶられています。

医師は心臓疾患に至るさまざまな理由について素人に教育する必要があります。心臓病について考えるときにはいつも、人々の前に手術という問題が大きな恐ろしいものとして不気味に現れてきます。可能な限り手術は避け、薬で患者を治すようにしなさい。医者は手術を最後の手段として扱うべきです。手術という言葉は、お金持ちであれ貧しい人であれ、上流であれ下流であれ、すべての類いの人に恐怖心を芽生えさせます。ですから皆さんは、患者が自分を信じて恐れの原因を取り除くことを助ける必要があります。

高度専門病院の意味するもの

医学会の神聖なるメンバーの皆さん! ここにある私たちの病院の卓越性を称賛することは私の意図ではありません。私は、かつてこの地域の人々は死ぬほど心臓病を恐れていたという事実を強調したいと思います。高度な医療や手術のための施設がなかったので、莫大な費用をかけて遠く離れた所に患者を連れていかなければならなかったからです。しかし、1991年11月22日に高度専門病院が機能しはじめた時から、子供でさえ恐怖心を抱くことなく笑顔で病院に入院するようになりました。患者の勇気と信頼は治療の成功を確かなものにします。ここは、患者も、医師も、看護師も、技師も、救急医療スタッフも笑顔でいる、唯一の病院です。患者に付き添う親族も皆、笑顔です。病院のどこに行っても、笑顔の明るい働き手が信愛を胸に献身的に義務を果たしているのを見ることができます。

恐ろしい病気を治療するために病院に来る人たちに、どうしてこのような幸せが生まれるのでしょう? 幸せは神との結びつきから生まれます。よそでは神への信心が欠如しているために、悲しみがあるのです。一方、私たちの病院には神に対する完全な信心があります。あらゆる物質的な快適さを手にしている人のほとんどは、内面の平安を持っていません。私たちは自分の内側からのみ平安を得るのです。良心にかなった行動をとれば平安が生じます。平安を得るには犠牲の精神が不可欠です。

この病院はスワミの病院ではありません。これはあなた方皆のものです。この病院は、苦しんでいる人類に奉仕するという崇高な目的で設立されました。最高品質の優れた設備に加えて、ここには、医療や手術のための近代的な設備、そして何にもまして、笑顔で無私無欲の奉仕を提供する専門医とスタッフから成るチームがいます。病院の建設は5ヶ月という非常に短い期間で完了しました。もし政府が引き受けたなら、これほど大規模の病院を建設するには10年はかかったかもしれません。私が1990年11月23日に、この病院は1991年11月22日から機能しはじめると発表した時、多くの人がその日程を守れるのかと疑って眉を吊り上げました。しかし、それはスワミが意志したとおりに現実となりました。

医師たちの信愛と無私無欲の奉仕

ヴェーヌゴーパール医師は、手術をするために1991年11月22日にデリーからやって来ました。彼が仕事に着手して以来、成功の物語はずっと続いています。ヴェーヌゴーパール医師が全インド医科学研究所で働いている公務員の医師であることは公表されていませんでした。彼は土曜日にデリーを発ち、ここに来て日曜日に手術をして、月曜日に仕事のためにデリーに戻っていました。彼はここでの仕事に対していかなる報酬も受け取らず、交通費さえ自分で払っています。私がこうした事実を述べているのは、ヴェーヌゴーパール医師の信愛と無私無欲の奉仕の精神を強調するためです。彼のチーム全員が同じ類いです。彼らはここで奉仕する機会を非常に喜んでいます。彼らのハートの清らかさと無私無欲の奉仕は、この病院がすばらしい成果を達成する助けとなっています。

看護師と技師のほとんどは大学生です。彼らは非常に精巧な機器を操作する技術研修のためにデリーに送られました。彼らはしばしば午前6時から夜中の12時まで笑顔で働いています。彼らがここで働いているのはスワミへの信愛からであり、お金のためではありません。

スタッフの献身の精神の例をあげましょう。昨日スワミが病院から戻る途中、ハードな仕事を3日以上も精力的に続けていた看護師たちが道を歩いていました。訳を尋ねてみると、バスが故障してしまったので、マンディルまでの長い道のりを歩くことにしたということでした。スワミはそこで待つようにと言い、彼らを迎えに行かせるための臨時のバスを手配しました。スワミと帰依者との関係は、愛に基づいたハートとハートのものです。

医者へのアドバイスの言葉

問診から手術、そしてアフターケアまで、患者からは一銭も取りません。栄養価の高い入院食も無料で提供されます。当初、素朴で世間知らずな村人たちは、病院のベッドの使い方がわかりませんでした。何人かはベッドの下で寝て、こんな高価なベッドに寝るなんて自分には分不相応だと言いました。この病院では、患者はどんな心配のそぶりも見せません。

私は医師たちに一言アドバイスしたいと思います。患者を診察している時には、笑顔で優しく患者に話しかけるべきです。もし厳しい顔で脈を測れば、患者はどこかがひどく悪いのではないかと恐れて、倒れてしまうかもしれません。患者の中には、診察のために近寄ってきた医者の目さえも怖がる者もいます。これは良くありません。医師は患者に勇気を吹き込み、心安まる話し方をして思いやりと愛を放つべきです。医師の親切なアプローチは、薬よりも大きな治癒効果を患者にもたらします。医師は患者に勇気を吹き込まなければなりません。もっとたくさんの病院が貧しい人たちに無料で治療を提供することを、スワミは望んでいます。医師は、協力し合い、一体となって働くべきです。

病気のない人間社会を目指す

五感を支配することと不動心によってのみ、幸せで健康な生活を送ることができます。自分の心を支配することに加えて、自分の気分を支配して緊張を避ける必要があります。病気の予防を目標とすべきです。病気のない人間社会を目指すべきです。病院に一人も患者が来ない日、それは幸せな日です。

あなた方は皆、特に心臓および心臓血管の症例の治療に関する医学の分野での知識と経験について話し合い、意見交換をするために、ここに集まりました。私は、皆さんが自由に話し合って問題の解決策を見つけ、人々に奉仕を提供することを望んでいます。

翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:Sathya Sai Speaks Vol.26 C4

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