サイババの御言葉

日付:1996年9月7日・場所:サイ クルワント ホール
シャンカラに関する御講話@より

神の方策―シャンカラの降臨


泥は一つの物質です。しかし、泥からは、名前や形の異なる様々な製品を作ることができます。同様に、金からは、様々な装飾品を作ることができます。色の違う牛たちから、同じ白い牛乳が得られます。至高の神我は1つですが、異なる名前と姿形をした無数の体に宿っています。

宇宙の光景を調べてみると、同じ基本的な物質から様々な形をした様々な物体が生み出されていることに気づくでしょう。例えば、1つの種から、様々な枝、葉、花、実を有する木が生じます。これらは形も名前も用途も様々です。しかし、そのすべては1つの種から生じたものです。

エーコーハム バフッスヤーム
(一なるものが多になることを選んだ)


これには3つの要素が関係しています。陶器を作ることにおいては、陶工がその原因であり、陶器が結果です。陶器を作るためのベースは粘土です。陶器は割れますが、粘土〔割れた材質〕はそのまま残ります。陶工は粘土という恒久的な物質で陶器を作ります。陶器の運命は陶工には影響しません。陶器の粘土も粘土として残ります。このことは、金と金細工師と金で作られた宝飾品にも当てはまります。

同じ類比において、神は、名前や姿形が変化を免れない被造物を無数に創造する、不変なる創造主です。関係する3つのものの関係を正しく理解する必要があります。粘土がなければ、陶工は陶器を作ることができません。粘土だけあっても、陶工がいなければどんな陶器も作れません。陶器を作るには、陶工と粘土の両方が必要です。

主の5つの姿

創造主はニミタ カーラナ(創造における具現化させる原因)です。体は陶器と同じです。体は様々な目的のために使われます。体は楽しみの源です。ですが、陶器と同じように、体は崩壊するものです。時が来れば、体は消えてしまいます。一方、創造主は永遠です。体を創った材料である元素は残ります。体は、善い使い方も悪い使い方もできます。

神性には5つの名前〔ナーマ〕があります。第1の名前はパラ ナーマです。第2の名前はヴューハ ナーマ、第3の名前はヴィバヴァ ナーマ、第4の名前はアンタラアートマ ナーマ(アンタラートマ ナーマ)、第5の名前はアルチャナ ナーマです。神は、これらの5つの御名の下に宇宙で働きます。

パラ ナーマは、至高神の住まい、すなわちヴァイクンタ天を指しています。「ヴァイクンタ」とは、「変わらないもの」という意味です。そこには至高神がパラ ナーマという名の下に住んでいます。誰も主の住まいに入ることはできません。主は1つの光輝となってそこに住んでいます。主はすべてを監督しています。しかし、主は誰にも見えず、誰もその姿を見ることはできません。

第2の名前はヴューハ ナーマです。この名前は、乳海で蛇にもたれる主を指しています。この姿をとった主は、デーヴァたち(様々な神々)だけが見ることができます。特別な力を持っている者だけが、ここで主を見ることができます。普通の人間には見ることはできません。ヴューハの姿をとった主は、デーヴァたちの願望を満たします。皆さんは羅刹王ヒランニャカシプの話を知っていますね。ヒランニャカシプは様々な方法でデーヴァたちに嫌がらせをしていました。そこで、デーヴァたちは乳海の上で横たわる主のもとに行き、主に懇願しました。その懇願に答えて、主は地上に化身することを承知しました。

主が化身する様々な人間の姿

第3の名前はヴィバヴァ ナーマです。これは、善人を守り、悪人を罰して善の道に向かわせるために、主がラーマとクリシュナというアヴァターとして地上に化身した、人としての様々な姿を指します。10人のアヴァターとして崇められている化身たちは、このヴィバヴァ ナーマの範疇に属します。この姿では、主は神と帰依者との関係を現します。

第4の名前はアンタラアートマ ナーマです。この姿では、主は人間のあらゆる部分に宿る魂〔アートマ〕として遍満します。人間に宿る魂は神です。

第5の名前はアルチャナ ナーマです。これは、神の恩寵を求めて神を礼拝し、賛美し、崇めることのできる姿形を指します。

時代時代の人間

これら異なる姿をとった主のアヴァターたちは、時代時代に自らを顕現させてきました。これは現代の子供たちにとっては、かなり驚くべきことかもしれません。例えば、クリタユガ〔善(クリタ)の時代〕の物事の状態を聞いたら、驚くべきこと、信じられないことだと感じるでしょう。クリタユガの人間は何百年も生きました。その上、人々の体は今の時代のように小さくはありませんでした。人々は巨人で、腕は6フィート〔約183センチ〕もありました。人々はどのような人生を送っていたのでしょう? クリタユガでは、骨が完全に残っているかぎり体に生命が留まっていました。骨以外の部分が崩壊しても、生命は骸骨の中に留まっていたのです。

トレーターユガ〔三(トレーター)の時代〕では、人間の背は低くなり、寿命も縮まりました。生命は、筋と肉が残っているかぎり体に留まっていました。

ドワーパラユガ〔疑い(ドワーパラ)の時代〕では、血液が循環しているかぎり体に生命が留まっていました。皆さんも知っているように、ビーシュマ〔マハーバーラタの英雄の一人〕はクルクシェートラの戦いで負傷したのち、矢の床にありました。体に血液が残っているかぎり、ビーシュマは生きられたのです。ビーシュマは56日間生きながらえました。

今のカリユガ〔最悪(カリ)の時代〕では、生命は、体の中に食べ物があるかぎり存続します。食べ物がなければ人は生きられません。

クリタユガとトレーターユガには、人は神との密接な関係を持っていました。食べ物はそれほど重要ではありませんでした。ドワーパラユガでは頭が重要になりました。

クリタユガとトレーターユガには、ダルマがこの上なく重要でした。「ダルマ ムーラム イダム ジャガト」(宇宙はダルマを基盤としている)というように。

ドワーパラユガではダルマの衰えが始まり、富がこの上なく重要になりました。「ダナ ムーラム イダム ジャガト」(世界は富の上に建てられている)というように。カウラヴァ兄弟とパーンダヴァ兄弟の間の戦い〔マハーバーラタの戦い〕は、財産の権利をめぐってのものでした。

カリユガでは、ダルマも慈悲(ダヤ)も、富(ダナ)ほど重要ではありません。慈悲の欠如のために、今の世界はとても多くの困難に苦しんでいます。

シャンカラの降臨

今のカリユガの初期の世紀では、宗教の中で仏教とジャイナ教が優勢でした。当時、ケーララ州のカーラディという村で、シヴァグルとアルヤーンバ夫婦に幼子が生まれました。その時代は、異なる領土の王同士の戦争が頻繁に行われていました。それらの戦争は、異なる地域の人々の間に憎しみを生みだし、国家の一体感が失われました。一体性が失われると、あらゆる類の悪行が始まりました。非真、不正、不誠実、悪評高い行為が、日常的に行われるようになりました。それだけではありません。当時の学識あるパンディト〔学僧〕、学者、知識人でさえも、ヴェーダの解釈を曲解するようになりました。まさに経典の顔に泥を塗られたのです。その結果、人々のヴェーダと経典への信頼が損なわれました。

そのような時には、神、あるいは神のごとき聖人や救世主が地上に現れ、悪を改め、ダルマの治世を復興します。そうした化身たちは、神のアルチャナ ナーマの姿として知られています。アルチャナ ナーマの姿をとった顕現は、神の側面〔一部〕の顕現です。それはアムシャ アヴァター、すなわち、神の側面の顕現〔神の一部が化身したもの〕と見なされます。

ヴィバヴァ アヴァター〔クリシュナなど〕は、プールナ アヴァター(完全な神の顕現)〔神の全部が化身したもの〕です。アルチャナ アヴァターは、アムシャ アヴァター(部分的な顕現)です。このアヴァターは、インドだけでなく、すべての国で時折現れます。

イエスは最初、「私は神の使いである」と宣言しました。使者(使い)とは何なのでしょうか? 使者は2種類います。ヤマドゥータとアヴァドゥータです。ヤマドゥータは人に害を与える使者です。アヴァドゥータは人を守る使者です。イエスはアヴァドゥータのカテゴリーに属していました。やがて、イエスは自分の内なる神性を認識しました。その時イエスは、「私は神の子である」と宣言しました。そうすることで、イエスは神のすべての資質を共有する権利を宣言したのです。神のすべての資質を手に入れた時、イエスは「私と父は1つである」と告げました。

これと同じ3段階の進歩は、ゾロアスターの言明にも見ることができます。まず、ゾロアスターは、「私は光の中にいる」と言いました。次に、「光は私の中にいる」と言いました。最後に、「私は光である」と言いました。これらの言明は、インド哲学の二元論、条件付不二一元論、不二一元論という3つの体系に匹敵します。不二一元論の教義を伝播する中で、シャンカラは自分を神のしもべと考えていました。

シャンカラとグル

シャンカラの父シヴァグルは、シャンカラがわずか3才の時にこの世を去りました。そうした状況に関して、神がいかにして操っているかという点に注目するのは興味深いことです。息を引き取る10日前、シヴァグルは光のヴィジョンを得ました。光はシヴァグルに、あるメッセージを告げました。それは、「息子のウパナヤナ〔聖紐式〕を行いなさい」というものでした。シヴァグルは大急ぎで3才のわが子にウパナヤナを行いました。こうして、シャンカラは幼くしてガーヤトリーマントラを唱え始めました。

シヴァグルがこの世を去ったのち、悲嘆に暮れた母親は、幼いシャンカラの養育に精力を傾けました。母親はシャンカラをグルのもとに連れて行き、グルはシャンカラにあらゆる類の霊的知識を授けました。16才になるまでに、シャンカラは四ヴェーダと六派哲学を学び終えていました。普通なら、こういった学問を習得するには50年あっても足りるものではありません。シャンカラは神童でした。シャンカラは、相手が話の主題を述べ始めるやいなや、どんなことでも理解することができました。シャンカラ少年の天才ぶりには、グルでさえ驚嘆しました。

一方、息子の結婚を切に望んでいたシャンカラの母は、そのことをグルに切り出しました。シャンカラは結婚にはまったく反対でした。「私は出家行者(サンニャースィ)になりたいのです」とシャンカラは言いました。「私は、自分の体と心、さらに、それ以外のすべてを神に捧げたいのです。これらはすべて神の贈り物です。私は自分を神に全託しています」と。

シャンカラはいかにして出家の生活を手に入れたか

シャンカラの母は、息子の決意に深く悲しみました。ある日のこと、母親が川に水をくみに出かけた時、青年シャンカラはそのあとを追い、真剣に請い願いました。

「母上! 私が遊行期(サンニャーサ)に入ることをお許しください」

母親は承知しませんでした。母親が水を浴びようと川に入るや、シャンカラは川に飛び込み、しばらく川を下ると、片手を上げて叫びました。

「母上、私はワニに捕まってしまいました。今すぐ私が出家行者(サンヤースィ)になることをお許しください」

母親は言いました。

「もし遊行期に入ることであなたがワニから救われるのなら、そうなさい。あなたが命を取りとめさえしてくれるなら」

すると、シャンカラはすぐに川から上がり、母親に向かって言いました。

「サムサーラ〔世俗〕の海の中で、私はあやうく妻という姿をとったワニに溺れさせられるところでした。母上が出家行者になることをお許しくださった時、私はワニの支配から自由になりました。出家行者を夫として迎えることは誰にもできません」

遊行期(サンニャーサ)とは、単にローブの色を変えること〔インドの出家行者は黄土色や黄色やオレンジ色の衣をまとう〕を意味するのではありません。遊行期とは自分の性質を変えることです。

シャンカラは、母親の前にひれ伏して、行者としての生活を始めるために母親のもとを離れました。その時、母親はシャンカラに、母親の死に際に会いに来ることを約束させました。

国のすべての神聖な寺院への巡礼

シャンカラは遊行に出て、国のすべての神聖な寺院を訪れました。旅はずっと徒歩でしなければなりませんでした。シャンカラはあらゆる学者の集まりに行き、学者たちを討論で打ち負かしました。シャンカラは不二一元論(アドヴァイタ/アドワイタ)の教義を広めました。シャンカラはこう明言しました。「体は異なり、姿形は異なりますが、内なる自己は同一です。どのサトウキビから搾ったサトウキビの汁も同じあるように、神はすべて人の中に存在しています」

シャンカラは、カルマ スィッダーンタ(因果応報の教義)の支持者であったマンダナ ミシュラと討論を交わしました。シャンカラはその討論でマンダナ ミシュラを破りました。

このようにして、シャンカラは北はカシミールから南はカンニャクマーリーまで、何度も全国を回りました。シャンカラは学者たちに、不二一元論の真理、「エーカメーヴァ アドヴィッティーヤム ブランマー」(神は唯一無二なり)を確信させました。

アーディ シャンカラ〔アーディは初代という意味〕は、すべての学者にアドヴァイタ(不二一元論/アドワイタ)の真実について納得させることができました。人々は名前や形の多様性に惑わされています。しかし、そうしたあらゆる多様性の基盤は、一なる神です。その基盤がなければ、何も存在できません。この事実は、あらゆる信仰〔宗教〕によって認識されています。神は1つであり、ゴールは1つです。アドヴァイタ(不二一元論/アドワイタ)の教義は簡単には理解できません。それは、シンプルでわかりやすい言葉で学生に説明する必要があります。

シャンカラは32歳という若さで亡くなりました。しかし、シャンカラは自分が降臨した使命をまっとうしました。逝く前に、シャンカラは5つのリンガ(リンガム)を、プリー、ドヴァーラカ、シュリーンゲーリ、ベナレス、カーンチーという5つの中枢〔聖地/僧院〕に安置しました。カーンチーにはヨーガ リンガを安置しました。その地の祭官の一人はスレーシャという人物でしたが、彼は遊行期に入ったマンダナ ミシュラその人でした。

そういった僧院を開いて、人々の間に霊的な一体感を促進することによって、アーディ シャンカラは国の調和を促進しました。残念なことに、一部の弟子たちがシャンカラの教義を歪曲し、自分の見解をシャンカラの見解だと主張しました。最終的に、弟子たちは対立し、互いの見解に反目し合いました。

それと同じように、キリストの11人の弟子(使徒)の間にも違いが生じ、弟子たちは離れ離れになりました。マタイだけがイエスに忠実であり続けました。マタイは福音を広めました。ペテロはイエスの弟子の中で最初の弟子でした。しかし、当局から問われた時、ペテロはキリストを否定しました。

シャンカラの後に生まれたラーマーヌジャは、シャンカラの不二一元論を部分的に変えたもの〔条件付不二一元論〕を発表しました。その後、二元論を唱えたマダーヴァーチャーリヤが生まれました。彼らの教義については、後の講話で説明しましょう。

サイババ述

翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:Sathya Sai Speaks Vol.29 Ch.42

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