サイババの御言葉:女性は高潔さと徳の化身

日付:2000年8月11日・場所:プラシャーンティ・ニラヤム
ヴァララクシュミー ヴラタの御講話より

女性は高潔さと徳の化身


このバーラタの国は高潔な女性を多々生み出してきた
息絶えた夫を蘇らせたサーヴィトリー
真実の力で野火(のび)を静めたチャンドラマティー
燃え盛る火の中から無傷で現れて貞節を証明したシーター
純潔の力で邪悪な狩人を灰に帰したダマヤンティー
バーラタの国が、豊かな国、繁栄の国、富の国という名声を得たのは
こうした人格のすぐれた女性たちのおかげ
バーラタの数あるヴラタ〔誓願〕のうち
ヴァララクシュミー ヴラタには最も深い意義がある

(テルグ語の詩)

愛の化身たちよ!

はるか昔から、神聖なるバーラタ国は、人格のすぐれた男女のおかげで平和と繁栄を享受してきました。バーラタはつねに、母に高い地位を与えてきました。このことは、今朝のヴァララクシュミー ヴラタ〔シュラーヴァナ月の満月前の金曜日に家族の繁栄を祈願して南インドのヒンドゥーの既婚女性が行うラクシュミー女神への誓願。ヴァララクシュミーはラクシュミー女神の別名。ヴァラは恵みの意〕の最中にプローヒト(僧侶長)も言及していました。

インド女性であることの栄光

伝説には、昔、パールヴァティー〔シヴァ神の妃である女神〕がイーシュワラ〔シヴァ神〕に、女性の吉兆と繁栄と幸福を確保する方法はないものかと尋ねたとあります。パールヴァティーは、どの女性も、夫と子ども、孫たち、友人や親類と共に、健康で幸福な長寿を送れたらいいのにと願っていました。イーシュワラはこの願いを喜び、女性なら誰もが願うであろうものを授けてくれるヴァララクシュミー ヴラタのことをパールヴァティーに話しました。

この特別なヴラタは、全女性にとっての恵みです。女性はつねに、家族の幸福のために懸命な努力をしています。女性はつねに、サマター(平等心)、サマグラタ(誠実さ)、サマイキヤタ(一体性)、ソウブラトルットワ(同胞愛)を切望しています。女性が話すことは誠実で、女性のハートは平安に満ち、女性の行動はダルマにかなっています。女性は八つの富の形態の受け手であり、家族と社会と全世界に繁栄と吉兆を授けます。

皆さんは、人格の力によって数々の障害を乗り越えて、死んだ夫を蘇らせたサーヴィトリーの物語を聞いたことがあるでしょう。今のこのカリの時代にも、夫の危機に際して守護を求める妻たちの祈りは存在します。過去に多くの女性たちが、帰依と誠実さをもってヴァララクシュミー ヴラタを執り行い、ラクシュミー女神(ヴィシュヌ神妃である富の女神)の恩寵の受け手となりました。

シーターは、ランカーでラーヴァナに監禁されていた十ヶ月間の純潔を証明するために、アグニ パリークシャー(火の試練)を受けるようにとラーマに命じられたとき、燃え盛る炎から無傷で出てきました。全知であり、さらに、シーターの貞節に何の疑いも持っていなかったにもかかわらず、ラーマがそう命じたのは、ひとえに国民の心から疑いを取り払うためでした。邪悪な心を持つ人々は、カラスのように疑い深く、先入観でいっぱいです。しかし、カラスが鳴いているからといって、カッコーは歌うのをやめますか? それと同じように、高潔で徳高い人格をそなえた女性は、邪悪な心の持ち主の批判にうろたえることなど少しもありません。そのような女性には、疑いが入り込む余地などまるでありません。その女性自らの純粋なハートがその目撃者であり、自らの神聖な感情がそのダルマです。彼女たちは自らの良心に従い、真理とダルマを貫きます。これはまさに、バーラタ文化の教えである、

「サッティヤム ヴァダ、ダルマム チャラ」(真実を語り、ダルマを守る)

です。

アナスーヤーとスマティーの物語

あなた方は皆、アナスーヤー(アトリ仙の妻)の物語を知っていますね。アナスーヤーは神自らにより試練を与えられました。ブラフマー、ヴィシュヌ、マヘーシュワラの三大神が、身を変じてアナスーヤーのもとを訪れ、

「バヴァティー ヴィクシャム デーヒ」(母よ、施しものをください)

と頼みました。アナスーヤーが三人に食事を出そうとすると、三人は、もしアナスーヤーが一糸まとわぬ姿で食事を出してくれたら、食事を受け取りますと言いました。すると、アナスーヤーは瞬時に三人を幼子にしてしまい、願いどおりの姿になって食事を出しました。アナスーヤーが、ブラフマー、ヴィシュヌ、マヘーシュワラすらも小さな赤ん坊に変えて、いっしょに遊ぶことができたのは、ひとえにハートの純粋さと貞節の力によるものです。最終的に、三大神の妻たち、サラスワティーとラクシュミーとパールヴァティーが、夫を帰して欲しいとアナスーヤーに頼みました。慈悲の人であったアナスーヤーは、その願いに応じました。三大神はアトリ仙とアナスーヤーを祝福し、ダッタトレーヤ〔三位一体の神の化身〕となって二人のもとに生まれてくると言いました。ダッタトレーヤという名前には、アトリ仙の養子となった者という意味があります。

同様に、スマティーも貞節の女性です。スマティーは清らかなハートの持ち主で、私心がまったくありませんでした。ある日、一人の聖者が、朝日が昇ったら死ぬようにとスマティーの夫に呪いをかけました。スマティーは、自らの誠実さと純粋さのすべてをもって神に祈りました。人の罪を滅ぼし、呪いから救うことができるのは祈りだけです。スマティーは祈りました。

「私の思いが純粋で真実であるならば、どうか朝日を昇らせないでください」

その結果、朝日は昇らず、全世界が闇に包まれました。これが女性の貞節の力です。神々と聖者たちが皆、スマティーのもとに来て懇願しました。

「母よ、自らの夫のために全世界を暗闇にしてしまうのは、理にかなったことではないでしょう?」

スマティーは答えました。

「夫がいなければ、この世界は私にとって何の価値もありません」

神々と聖者たちが夫の安全を保証して、やっとスマティーは太陽に昇ることを許したのでした。

このように、太古の昔から、バーラタの女性は理想にかなった生活を送り、貞節の力を世界に証明していました。過去の時代のみならず、今のカリの時代にも、模範的な生活を送っている女性は大勢います。

ヴラタは恵みをもたらす

古代より、バーラタ女性は家族と地域社会全体の尊厳と名誉を守ってきました。ヴァララクシュミー女神への礼拝は女神の恩寵をもたらし、女性たちはそれらを成就することができていました。ヴァララクシュミーは、女性が祈る一切の願いごとを叶えてくれる女神です。ヴァララクシュミーは、女性たちに八つの富のすべてを授けてくれます。サーヴィトリー、ダマヤンティー、チャンドラマティー、スマティーといった高潔な女性たちは、ひとえにヴァララクシュミーの恩寵のおかげで、大きな務めを成し遂げたのです。ヴァララクシュミーへの礼拝は、富と繁栄と至福を授けてくれます。しかし、現代という時代の影響力により、人々はこうした神聖な儀式を忠実に行っていません。そのために、家に清らかさと神聖さが欠けているのです。バーラタには、「家を見ればその家の主婦がわかる」という諺があります。昔、主婦は、家を神聖で汚れのない状態に保つグリハラクシュミー(家の女神)であると見なされていました。家は、その家の主婦の清らかさの反映です。

ハートを愛で満たしなさい

今、食べるものも、飲む水も、吸う空気も、すべてが汚染されています。人間自身もひどく汚染されています。それは、自分のマインドを悪い感情で満たしているからです。悪い感情とは、悪い欲にほかなりません。当然、人間には欲があるものですが、欲には限度がなければなりません。ペンのインクが青ければ、あなたが書く文字も青くなります。インクが赤ければ、書く文字も赤くなります。これと同じように、もしあなたのハートがネガティブな感情で満たされていれば、あなたが見るものも、聞くことも、言うことも、すべてがネガティブなものになります。ですから、まずあなたのハートを愛で満たしなさい。そうすれば、あなたが見るもの、聞くこと、言うこと、行うことは、すべて愛がいっぱいに詰まったものなります。

「サルヴァム プレーマ マヤム ジャガト」(全世界は愛で満ちている)。

すると、あなたはいたるところに愛を見るようになるのです。

「ヤッド バーヴァム タッド バヴァティ」(感情のとおりの結果が生じる)。

今、人間のハートは、怒りや憎しみ、貪欲、妬み、虚栄心といった悪い性質の巣窟になっています。こうしたネガティブな性質を追い出すことができるのは、愛だけです。欲望、怒り、貪欲、妬みといったようなものは、肉体への執着と食習慣から生じます。ですから、人は肉体への執着がないかどうかよく調べ、欲望を抑えなければなりません。「荷物を少なくして身軽になれば、旅は快適なものとなる」と言われています。人生という旅を快適なものにするために、欲望という荷物を減らしなさい。肉体への執着は、少しであれば、あってもかまいません。なぜなら、人生という旅は、肉体の助けがあってこそ始められるものだからです。家族や友人と生活していれば、肉体への執着を手放すのは不可能です。ですから、

「ローカー サマスター スキノー バヴァントゥ」(全世界が幸せになりますように!)

という高潔な気持ちをもって神聖な生活を送るようにしなさい。

あなたが外界で見出すことのできるあらゆる力は、すべて人間に内在しています。人体は、それ自体が発電機です。人間のマインドはテレビに、ハートはラジオに喩えられます。デリーのラジオ局で発信される番組は、ラジオの周波数をきちんと合わせれば、同時に受信して聞くことができます。現代の人はラジオを持っていますが、昔の人は自分のハートをラジオと見なしていました。ですから、あなたのハートを清らかで神聖なものにしなさい。あなたが外界で見るものは、すべてあなたのマインドのスクリーンに映し出されます。つまり、マインドはそれ自体がテレビなのです。人間にはあらゆる力が潜在しているのです。あなたが外で見るものは、反映と反響にほかなりません。あなたが誰かを批判するとき、あるいは、ののしるとき、あなたは自分の悪い感情が相手に映っているのを見ているのです。善も悪もあなたの中から生じるのであって、外にあるわけではないのです。

神は万物に内在している

鏡に何かが映って見えるのは、ガラスの背面に化合物をコーティングしているからです。あなたのハートは鏡に喩えられます。ハートは愛という化合物でコーティングすべきです。そうすれば、そこに本当のあなたを見ることができます。ヴェーダーンタは、

「ラソー ヴァイ サハ」(神は甘さそのものなり)

と宣言しています。一例をあげましょう。砂糖と水を混ぜると砂糖水になります。そうなると砂糖と水は分けられません。砂糖水の一滴一滴の中に砂糖が存在しているのと同じように、神は全宇宙に存在しています。イーシュワラは、すべての女性に平安と繁栄を授けるために、ヴァララクシュミー ヴラタの秘密をパールヴァティーに明かしました。このヴラタは、行うのは容易であるにもかかわらず、大きな恵みを与えてくれる力を持っています。あなた方は皆、神がいることで聖化されているこの神聖な場所でヴァララクシュミー ヴラタを行うことができて、とても幸運です。この儀式は、きちんとしたやり方で、清らかなハートをもって行えば、望みどおりのご利益があります。

檳榔樹(びんろうじゅ)の葉だけではパーン〔辛味のある檳榔の葉で包んだ噛みもの〕は作れません。適切な量の檳榔子(びんろうじ)とライムの汁を混ぜなければパーンにはなりません。檳榔樹の葉は緑色で、檳榔子は茶色、ライムの汁は白です。これらを全部、適量混ぜ合わせると、赤い色になります。ライムはパーンに風味を添えますが、入れすぎれば舌がひりひりしてしまいます。それゆえ、

「ナフ シュレーヨー ニヤマム ヴィナ」(制限を守らなければ利なし)

と言われているのです。

つまらない噂話はしない

正常な体温は36度9分ほどです。体温がこの限度を超えると熱が出はじめます。同様に、人間の正常な血圧は120/80ですが、たとえば急に150/90に上がったりすれば害になります。それと同じように、すべてのものは一定の限度以下であるべきです。あなたの話や行いも一定の限度内であるべきです。自分の力量に見合った行いをしなさい。何かの活動を引き受ける前に、それはいつ、どこで、どのようにやらなければならないのか尋ねなさい。もしこうした決まりを守らないなら、問題を招くことになるでしょう。

あらゆる霊性修行は、ハートの清らかさとマインドの落ち着きがあるときにだけ、よい結果を生みます。もし神の恩寵があれば、あなたがこの世界で成し遂げられないことなど何もありません。神は死人を生き返らせることもできるのですから、神に不可能なことなどありますか? 神は天を地に、地を天に変えることもできますが、あなたが神の恩寵を得るには、清らかなハートで祈らなければなりません。つまらない噂話をしてはなりません。他人の悪口を言っているあなたに、神が願いを叶えてくれることなど期待できますか?

ダルマは世界の基盤を作る

愛の化身たちよ!

古代人たちは神聖な気持ちでヴラタを行っていました。しかし、現代人はこうした神聖な儀式への信心を失っています。現代人は、束の間の、はかないものごとを信用しています。まず、人間は自分のハートを変容させるべきです。神はフリダヤヴァースィ(ハートに住まう者)であるということを固く信じるべきです。

「デーホー デーヴァラーヤ プロークト、ジーヴォー デーヴァ サナータナハ」(体は寺院であり、そこに住まう者は神)。

すべての身体を神の寺院として敬い、尊びなさい。そうすれば、世界からあらゆる争いがなくなるでしょう。今、利己心と私欲が高まっているために、問題と騒動が世界を捕らえて離しません。争いを一掃するには、人が道徳的価値を育み、ダルマにかなった行いをし、すべての人を愛さなければなりません。

人の一生は、道徳と霊性とダルマの複合体です。今、全世界がお金中心になっています。私はしばしば皆さんに、お金は来ては去りますが、道徳性は来ると育ちますと言っています。お金は流れゆく雲のようなものです。当然ながら、お金はあなたがこの世で生きていくのに必要なものです。けれども、お金は人生の究極の目的ではありません。昔の人々は、

「ダルマ ムーラム イダム ジャガト」(ダルマが世界の基盤を形成している)

ということを信じていました。現代人は、

「ダナ ムーラム イダム ジャガト」(富が世界の基盤を形成している)

と考えています。ダルマだけがあなたに平安と至福を授けてくれるということを理解しなさい。あなたを守ってくれるのはダルマだけです。

クルクシェートラの戦いでは、ビーシュマがカウラヴァ軍の指揮官をしていました。ある日、ドゥルヨーダナとドゥッシャーサナが、ビーシュマの前に立って言いました。

「おお、翁(おきな)よ、近ごろあまり活動的でないご様子ですが、そのせいで、敵はめきめきと力をつけております。もうそろそろ、怠慢は終わりにして、あなたの武勇を示す時ではあるまいか」

ドゥルヨーダナとドゥッシャーサナのこの言い様に、ビーシュマは憤慨して奮い立ち、明日、太陽が沈むまでにパーンダヴァ兄弟を皆殺しにすると宣言しました。五人の夫をもつドラウパディーは、パティヴラター(貞淑な妻)と呼ばれていました。五人の夫とは誰ですか? それらは肉体を持つ者を指しているのではありません。この場合の五人の夫とは、五大元素と五つの生命原理を象徴しています。ドラウパディーは、クリシュナの御足にひれふして、どうかパーンダヴァ兄弟をお守りくださいと願いました。クリシュナは言いました。

「私の命令に従いなさい。私は必ずそなたの夫たちを守る」

「クリシュナよ、あなた以外の誰に従うことなどできるしょう? あなたはわれらのすべてです」

とドラウパディーは言いました。

それは夜でした。その日の戦いは終わっていたので、皆、それぞれのテントで休んでいました。ビーシュマは、とても気が沈んでいました。

「わしは、明日パーンダヴァ兄弟を殺すと誓った。しかし、どうしてわしは、あの高潔で徳高い者たちを、これまでの長い年月この手で育ててきた者たちを殺そうとしているのか? それはカウラヴァ兄弟から得た食事が私の頭(マインド、心)をだめにしたからだ」

そう考えながら、ビーシュマはテントの中を落ち着きなく歩き回っていました。クリシュナはビーシュマの状態を感知していました。クリシュナは、つねに時間と場所と状況に応じた計画を練りました。クリシュナの計画は主の計らいでした。クリシュナはドラウパディーに、ついて来なさいと言いました。

あの時代には電気はありませんでしたから、各テントにはオイルランプが灯っているだけでした。しばらく歩くと、クリシュナはドラウパディーに、足音がうるさいからサンダルを脱ぐようにと言いました。ドラウパディーは黙ってクリシュナの言うことに従いました。クリシュナは、さっとそのサンダルを自分のショールでくるんで持ちました。ビーシュマのテントに着くと、クリシュナはドラウパディーに、急いですぐにビーシュマの御足にひれふすようにと言いました。ドラウパディーはそのとおりにしました。バングルの音が聞こえたので、既婚女性だとわかったビーシュマは、習慣的に、

「ディールガ スマンガリ バヴァ」(そなたとそなたの夫が長生きするように)

と言って祝福しました。その祝福の言葉を言ったあとで、それは自分が翌日殺そうと誓った夫たちをもつドラウパディーだったということがわかり、ビーシュマは大変驚きました。そのとき、クリシュナがその場に入ってきました。ビーシュマは、それがクリシュナの企てた主の計らいであったことを察して、クリシュナを褒め称えて言いました。

「おお主よ、あなたのリーラー(神聖遊戯)を評することなど誰にもできません。あなたのリーラーは、三界で最もすばらしく、最も神聖であられます」

クリシュナはビーシュマに、ドラウパディーはきわめて徳が高いので、私が救いに行かなければならなかったのだと言いました。ドラウパディーの偉大さの秘密は何でしょう?

ドラウパディーは
いつも自分の所有しているものに満足していた
いつも夫に従順だった
いつも夫に仕える時間を作っていた
ドラウパディーよりも偉大な女性はいない

(テルグ語の詩)

今の人々は、パドマーシュリーやパドマヴィブーシャン等、さまざまな称号を授けられます。しかし、女性に授けられる、グリハラクシュミー〔家庭の女神〕や、イッラール〔主婦〕、ダルマパトニー〔ダルマを守る妻〕、アルダーンギニー〔男性の半身〕といった敬称こそ、非常に高位で神聖なものなのです。自らの評判に対するこうした高位の敬称を得ている女性たちを、どうして男性より劣っているだなどと言えますか? しかし、不幸なことに、今はカリの時代の影響で、男たちは女性を見下し、ただの召し使いのように扱っています。これは大きな過ちです。あなたが女性を敬えば敬うほど、あなたも敬われるようになります。

怒りの破壊力

人は女性に涙を流させないということに責任を持たなければなりません。女性が泣けば、家族は苦難に直面するでしょう。足の棘(とげ)は抜くことができますが、辛辣(しんらつ)な言葉でハートを傷つけてしまったら取り返しがつきません。ですから、決して辛辣な言葉を使ってはいけません。やさしく、穏やかに話しなさい。夫には、妻の間違いを注意する権利はありますが、辛辣な言葉を吐いて妻の気持ちを傷つける権利はありません。いつも親切でいることはできませんが、いつも親切に話すことはできます。ひとたび以上の原則を守るなら、家庭は平安と繁栄を得るでしょう。普通、怒りの要素は女性よりも男性に多く見られるものです。一度の怒りで、三ヶ月以上かかって食物から摂取したエネルギーを消失します。それだけでなく、怒りは血液を煮え立たせ、それが冷めるまでには三ヶ月近くもかかります。そういうわけですから、もし何回も癇癪を起こしていたら、あなたの運命はどうなるか、想像してごらんなさい。

神はつねに善いことしかしない

ジャラーサンダ〔クリシュナによって滅ぼされたカムサ王の義父でマガダ国の王〕の物語は、このことを十分なほど証明しています。戦場で、クリシュナは何度もジャラーサンダをけしかけ、ジャラーサンダが激怒してやって来ると、クリシュナはそのたびに逃げ出しました。それが何度も行われるので、どうしてそのような奇妙な振る舞いをするのかと問われると、クリシュナはこう答えました。

「私が彼を恐がって戦場から逃げ出しているなどと誤解しないように。私には一瞬で彼を殺すことができる。しかし、今は彼を殺すのに相応しい時ではない。何度も怒りを生じさせることで、私は彼の力を失わさせているのだ」

次第に力を失っていったジャラーサンダは、ついには死に直面することとなりました。クリシュナは戦場から逃げ出したことを決して侮辱とは考えていませんでした。なぜなら、クリシュナは主としての自らの計画に沿って行動していたからです。クリシュナは、重要な教訓を教えるために、このような方法で敵に勝つことを選択したのでした。神の計画はすべて、ひたすら人々のためを思ってのものです。神は自分のためには何もしません。神はつねに善いことしかしません。それは一部の人々の目には悪く映るかもしれません。過ちは見方にあるのであって、神の創造するものにあるのではありません。神が何をしようとも、それはつねに、あなたを助けること、あなたの神聖さを引き出すことを意図してのことです。

母の愛は筆舌に尽くし難い

イーシュワラは、先の世代がこのヴラタを行って恩恵を得ることができるようにと、ヴァララクシュミー ヴラタの秘密をパールヴァティーに明かしたのです。先ほどプローヒト(僧侶長)は、このヴラタが授けてくれる恩恵を列挙しました。ヴァララクシュミー ヴラタを行った女性は、スマンガリー(夫が生きている女性)として子や孫と共に豊かに繁栄して長生きするという祝福を得ます。ヴァララクシュミーが、過去七代の祖先と、先の七代の子孫を守護してくれます。サーヴィトリーやアナスーヤーといった高潔な女性たちは、この神聖なヴラタを行って平安と繁栄を享受しました。ヴァララクシュミー ヴラタの目的は、あなたの罪を償い、神聖さを引き出して、最終的にあなたを神性へと導くことです。

バーラタ文化は、マータ(母)という言葉を最も神聖な言葉と見なしています。苦しいとき、人は自然と「アンマ」(お母さん)と言います。「アッパ」(お父さん)とは言いません。「アンマ」という言葉は、最も柔和で優しい言葉です。この言葉は計り知れない強さを授けてくれます。子どもが一番最初に口にする言葉は「アンマ」か「マ」(お母さん)です。それゆえ、バーラタ文化は、父親よりも師よりも神よりも、母親に最高の地位を与えているのです。あなたの母親ほどあなたを愛している人は他にいません。母の愛は筆舌に尽くし難いものです。ヴァララクシュミーは、ローカマータ(世界の母神)であると褒め称えられています。すべての人はヴァララクシュミーの子どもです。それゆえ、ヴェーダは人間に、「アムルタッスヤ プットラ」(不死の息子たちよ)と呼びかけているのです。

学生たちよ!

あなたの母からの愛と情を失ってしまったら、あなたの人生は舵のない小船のように、行先を見失ってしまうでしょう。母親はあなたのあらゆる力の源です。ですから、あなたの母親を敬い、母親の言うことに従いなさい。もしあなたの母親があなたのことを喜んでいるなら、全世界があなたのことを喜ぶでしょう。もしあなたの母親があなたのことを喜んでいないなら、世界の目はあなたを粗末なものと見るでしょう。あなたの若さ、美しさ、そして、体力に鼻を高くしてはなりません。あなたはすぐに老齢を通過しなければならないということを、肝に銘じていなさい。今、自分の両親をおろそかにしているなら、あなたの子どももあなたをおろそかにするでしょう。

女性にはより多くの力が授けられている

ヴァララクシュミー ヴラタは女性が行うものです。しかし、男性は女性がこの神聖なヴラタを行うのを邪魔してはなりません。男性は必要とされるあらゆる支援を施すべきです。このヴラタを行うことによる利益(りやく)は、女性だけにあるわけではなく、男性にもあるのです。なぜなら、女性たちは自分の夫の幸福と長生きを祈願するからです。男性は、男は女よりも強くて力があると考えて、女性に対して横柄な態度を取るべきではありません。本当のことを言うなら、女性は男性よりも力があるのです。聖典は、男は三つの力を持っているだけなのに対して、女は五つの力を持っていると述べています。女性は夫のためなら自分の命さえ犠牲にする覚悟があります。サーヴィトリーは夫のために自分の命を投げ出す覚悟でした。しかし、男性にそれほどの犠牲の精神が見られるでしょうか? 妻が死ぬと、男は再婚する気でいます。けれども、女性はそんなことはありません。女性は、敬意、品位、犠牲、満足、繁栄という五つの徳の詰まった宝箱です。その一方で、男性は、怒り、頑固さ、愚かさという悪に陥る傾向にあります。女性は徳と高潔さの化身です。

ラクシュミー ナーラーヤナ、ラーダー クリシュナ、パールヴァティー パラメーシュワラというように、神々の夫妻の名前は、男性よりも女性の名前が先に来ます。それゆえ、人々は招待状の宛名も、「シュリーマト and シュリ 何々様」(Mrs. and Mr.何々様)という順に書き、逆に書くことはありません。プラクリティは神の女性の側面を象徴しています。プラクリティとプルシャは分かつことができないものです。女性たちはラクシュミー(富の女神)の化身ですから、世界は女性が敬われているときにのみ繁栄を得るのです。それゆえ、男性は敬意をもって女性を扱わなければなりません。そうすれば、同様に男性も敬われるでしょう。あなた方は自分でそれを見ることができます。人格のすぐれた女性がいるところには、あらゆる繁栄を見出します。あなた方は皆、二つの世界大戦の最中、多くの国が破壊を被ったことを知っていますね。バーラタの国が安全と無事を保っていられたのは、ひとえに徳高い女性たちがいたおかげです。バーラタの偉大さと栄光は、バーラタの女性たちのおかげです。ですから、女性を敬い、女性を幸せにしなさい。

翻訳:サティヤ・サイ出版協会
出典:Sathya Sai Speaks Vol.33 C11



* 貞女アナスーヤー
アトリ仙には貞女の誉れ高いアナスーヤーという妻がいた。その評判があまりにも高かったので、サラスワティー女神、ラクシュミー女神、パールヴァティー女神は、それが誠か否か、夫たちにその貞節を試してもらうことにした。ブラフマー神、ヴィシュヌ神、マヘーシュワラ神は、アトリ仙の留守に客人に変じてアトリ仙の庵を訪れて、アナスーヤーに食事を出してほしいと頼んだ。アナスーヤーが食事を用意して持っていくと、三人はアナスーヤーに服を脱いで食事を出してくれたら、食事を食べると言った。アナスーヤーは、客人をもてなすというダルマと、貞女のダルマの両方を守るために、三人が赤ん坊の姿になるように念じると、貞女の力により、三人は赤ん坊の姿に変わり、アナスーヤーは裸になって赤ん坊に食事を与えた。三女神は赤ん坊の姿に変えられた夫たち三大神を元の姿に戻して欲しいとアナスーヤーに頼み、アナスーヤーはそれに応じた。三大神はアナスーヤーとアトリ仙を祝福し、三位一体の化身として二人の子として生まれてくるという恵みを与えた。

* 貞女スマティー
ウグラシュラヴァスというバラモンがおり、その妻スマティー(シーラヴァティー)は、貞節の誉れ高い貞女だった。ウグラシュラヴァスは病気で足が不自由になり、出かけるときはいつもスマティーが背負っていくようになった。ある日、ウグラシュラヴァスは売春宿に行きたいと言い、夫に忠実なスマティーは何も言わずに夫を売春宿まで連れて行こうとした。しかし、それを見ていたマーンダヴィヤ仙はウグラシュラヴァスの非道に怒り、「明日、朝日が昇ったら首が落ちるように」と呪いをかけた。スマティーは悲しんで、「私が真に貞女であるならば、明日の朝、太陽が昇らないように」と祈願した。すると、翌朝になっても太陽は昇らなかった。神々も人間も困ってしまい、スマティーのもとに行き、夫の命を保証するから太陽を昇らせるようにと頼み、スマティーは太陽が昇るようにした。

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