サイババの御言葉
2001年7月15日
ラトゥールにおけるバガヴァンの御講話
 

“オーム シュリ サイ ラム”

愛の具現である皆さん、

  全世界は愛で満ちております。ここでいう世界とはあなたが見ている単に形のある世界を意味しているのではなく、愛に満ちた世界を意味しています。この愛はこの世では2つの形を取っております。一つは世俗的な愛であり、もう一つは精神的な愛であります。これらは異なるものではありません。あなたがたはみんな愛の具現であります。あなたの愛はあなたに神性が発現される助けとなるでしょう。神の愛は無私の愛です。無私の愛のあるところには恐れはありません。第三の要素は、愛は愛のためだけにあって、それ以外の何のためにもないということです。しかしながら、世俗的な愛は利己心でいっぱいです。利己心のあるところには恐れがあります。世俗的な愛は物質的な目的があります。全世界は愛で満ちています。何らの特質を持っていない人でも愛だけは必ず持っています。この愛は人を引きつける力を持った磁石です。私たちの間には愛ゆえに引きつける力があります。この愛の磁石は全ての人の中にあります。この世の中で愛のない人はいません。その愛こそが神の性質です。私たちはその愛を無私の心で用いなければなりません。神はひとかけらの利己心もありません。利己心とは愛の無いことであり、愛とは利己心の無いことであります。神は愛の中に生きること以外に何も望みません。神は特定の形ではありません。愛は神ですから、愛をもって生きなさい。しかしながら、世俗的な感覚で、人はこの愛を家族、妻及び子供たちのために用いています。愛は神そのものの形です。愛は神の形であり、神は愛に満ちております。愛を愛と結びつけることは絶対的に必要なことです。もしもあなたがこの愛を強化すれば、あなたは神を体験し、神の英知を獲得するでしょう。あなたがたの中に愛があるから、あなたがた皆はここにいてバガヴァンを見ることができ、バガヴァンはあなたがたに対する愛ゆえにダルシャンを与えているのです。あなたは単に人間だけではありません。あなたは宇宙の形です。あなたの中にある能力(パワー)は誰もわかっていません。あなたがた各人の中には無限の可能性があるのです。しかし、あなたはその内在する能力を知ることができないのです。あなたが人々を愛すると、その代わりに人々はあなたを愛するでしょう。それ故、先ず最初に皆を愛しなさい。そして、いったん神の愛を体験すると、その人は神になります。最近の人の愛ははかなく、一時的で、世俗的なものですが、神の愛は属性や形が無く、純粋無垢で甘美なものです。その神の愛は何処にでも、全てに存在しています。従って、この世の中に神でないものは何もありません。全ての物質は神の顕われです。非二元の体験がないために、人は過ちを犯すのです。これは何ですか。これは布です。本当の意味では、これは布ではありません。これは細かに編み込まれた糸の集合体です。それはまた糸ではなく、もとはといえば綿です。綿から見れば、糸と布は一つの同じものであり、これと同様に、自然界と個人の魂と神は一つで同じものです。あなたは単なる人間ではありません。あなたがあなたと思うものは肉体であります。他人があなたと思うものは心であります。真実のあなたは精神即ち意識であります。あなたがたは神の火花です。肉体と心は道具です。

愛の具現である皆さん!
 霊性について理解することができない範囲にまで深入りする必要はありません。私たちの日常生活において生命の本質は一つで同じです。貧乏人から億万長者まで、愛の原理は一つで同じです。愛の具現である私たちは、自分が基本的には神であるということを知るべきです。あなたが一旦、自分が神の火花であるということを知ったなら、あなたはあなた自身を救うでしょう。この自然界に名前と形があるために、私たちはこれに内在する神性を忘れてしまいました。全宇宙が神で満ちているならば、神の社を築くことが可能でしょうか。あなたのハートが神の社です。そこであなたは神の顕現を見ることができます。それは簡単な途です。億万長者といえども衣食住で満足すべきです。彼は金を食べることはありません。だから、私たちが必要とするのは食物です。食物は神です。食物は肉体を維持するために必要です。心的な事柄は幻想と空想に満ちています。今日の人間生活は妄想で満ちています。欲望がその根本的な原因です。

愛の具現である皆さん。
 実際、あなたは自分の中に愛と愛と愛だけを見つけます。全ての根源は愛の中に種を宿しています。一旦あなたが愛の本質を知ったなら、宇宙全体に対する完全な信仰を抱くでしょう。最初に自分自身を信仰しなさい。この信仰を自分自身の中で強めなさい。信仰のあるところに愛があります。愛のあるところに真実があります。真実のあるところに神があります。真実のあるところに平安が生まれるでしょう。この世では、平安は他から離れて存在しません。平安はあなたの中にあり、真実はあなたの中にあり、愛はあなたの中にあり、全ての世界はあなたの中にあります。数千もの人々がここに集まっています。名前と形は異なっていますが、五大元素は同じです。この世では、五大元素を備えない人はいません。五大元素は神の宇宙での形です。あなたが一旦真実を失ったなら、生命の本質を失うことになるでしょう。

花はたくさん でも礼拝は一つです。
宝石はたくさん でも金は一つです。
雌牛の色は違っても ミルクは一つです。
生き物はたくさん でもスピリットは一つです。

 ここにいる皆さんは電球に例えることができます。電球は電圧が異なっています。電球の色は異なっています。電圧が異なることがあっても、電流は一つです。従って、神は一つで、誰にとっても同じです。私たちは生命のこの世における滞在期間中、自分は神であるということを充分に感じながら生きなければなりません。わかりやすくいうならば、もしあなたが探求するならば、苦しみが入り込む余地が無いことがわかります。いかなる悲しみも入り込む余地はありません。実際、至福はあなたの中にあります。物質的世界と感覚的喜びのために、あなたは不幸になっているのです。あなたは得をしても損をしても、また幸せでも不幸せでも心の平静を保つべきです。私たちの心は喜びや苦しみに反応します。自分たちの欲望が満たされないとき悲しくなります。そして、その欲望が満たされたとき、あなたは至福に浸ります。決してあなた自身を喜びや悲しみの奴隷にしてはいけません。あらゆること、そしてあらゆる目的には真理の原理が働いているのです。真理の点からあらゆるものが創造されるのです。あらゆる創造物は真理に帰融します。真理が存在しない場所を探すことはできません。これが純粋無垢の真理です。あらゆる人の中にある真理は神です。今日、わたしたちは真理に対する信仰を失いました。小さな例として、わたしたちの愛はどうですか?最近の男性は青年時代の適齢期に結婚します。2,3ヶ月の間、その青年は彼の妻を自分の命のように思います。彼らが散歩にでかけて、夫が途中でトゲのある低い木を見つけたら、それが彼女の足に刺さるかもしれないので、彼は妻に警告します。6ヶ月後に彼が途中で同じようなトゲのある木を見つけたら、その夫は、足もとに気を付けろ、途中にトゲのある木があるかもしれないと言います。1年後、夫が同じようなトゲのある木を見つけたら、彼は叫んで「トゲのある木があるのがはっきり見えないか」と言います。人間の愛は日々減少します。神の愛はこのようなものではありません。それは減ることもなければ増えることもありません。それこそが正に真理です。わたしたちは永遠の真理であるこの愛を持つべきです。あまりに多くの欲望のために、わたしたちは真理を知ることができないのです。わたしたちはこの長い旅、即ち人生の乗客にすぎないのです。荷物が少なく気楽なことは旅を楽しくします。一旦あなたが欲望といった荷物を減らしたならば、不安が無くなるでしょう。苦しみも喜びも心が原因となっています。自由または束縛の責任は心にあります。ここに錠があります。そしてまた鍵があります。あなたがその鍵を錠に差し込んで左側に回せば錠は開きます。同じ鍵を右側に回せば錠は閉じます。あなたのハートは錠で、心は鍵です。もしあなたが鍵を世俗の側に回せば止錠されます。また、もしもあなたが鍵を神側、神方向に回せば神性を獲得するでしょう。人は自分自身によって束縛を受けているのです。人としての生命は大変高貴で神聖なものです。あらゆる生命の中で、人としての生命は神聖なものです。このような神聖にして吉兆の生命は今日汚されています。

 人間の生命はわたしたち自身の実態を知るために神から与えられた贈り物です。今日、わたしたちはそのように考えません。わたしたちは肉体を道具とみなさなければなりません。何度も何度も探求しなさい。肉体はたくさんの部品、例えば鼻、耳、目、手、足などを持っています。これらの手足なしにはこの肉体を持つことができません。肉体は自然の手足です。そしてこの人間の肉体は社会の手足です。社会なしには神性を見ることはできません。これは神性の手足です。全世界は手足と手足の結びつきが組み合わさったものです。もしも手足が分離されたら肉体は存在できません。今日の人間はそれを別 々の部分に分断しています。昔、誰かがあなたは何処の出身ですかと訊ねると、その人はわたしはバーラット(インドのヒンディー語名)出身ですと答えました。彼は彼の母国を彼の住まいと思っていました。しかし、今日では彼はマハラシュトラ、カルナタカ等のように州レベルで出身地を答えます。州単位 でわたしたちを区別すると、わたしたちは困難に対面しなければなりません。真の一体性(ユニティ)が全く失われてしまいました。一体性は完全に破滅してしまいました。同一性が一体性であり、単一性は全ての中に存在します。各部が切り取られたらば、無駄 な血が流れるでしょう。国がさらにもっと分割されることは無駄な血が流れるのと同じことです。

愛の具現である皆さん!
 わたしたち皆で一緒に一つの国を構成しているということを解ってください。全ては一つ、誰に対しても等しくしなさい。わたしたちは人類に属しています。人類は世界でたった一つです。わたしたちはもっともっと人間性の価値を高めなければなりません。人間性価値の喪失の故に世界はバラバラになってしまったのです。各人は人間性価値を育まなければなりません。思いと言葉と行動に調和があるとき、その人は真の人間です。思いと言葉と行いが一致していないとき、その人はバラバラ人間です。わたしたちはみんな基本的に人間です。私は人類に属しています。私はバーラットを表しています。わたしたちは同じ国に属しており、わたしたちの生命は一つで同じです。花の種類は異なっていても礼拝は同じです。各人は皆の中に存在する神性を認めなければなりません。自分自身の中に神を宿しながら、人はあちこちと動き回って時間を浪費しております。あなたが対面 する全てのものは神です。あなたが赴く全ての場所は神です。あなたが発するあらゆる言葉は神からくるのです。真の神性原理があなたの中にあるというのに、何故あなたはそんなに迷っているのですか。あなたがたは愛の具現であり、真理の具現であります。あなたは誰を憎んでもいけません。わたしたちは誰を傷つけてもいけません。もしあなたが誰かを傷つけたなら、それは自分自身を傷つけていることに等しいのです。全てが一つで同じ家族であるとみなしなさい。わたしたちは宇宙の家族に属しているのです。同じ家族の一員であるのに、何故そこに争いがあり、衝突や不和があるのでしょう。従って、あなたは自分の心の中に他人に対するいかなる憎しみを持つべきではありません。あなたは全ての人を愛さなければいけません。愛の流れは非常に速く、それは永続的に流れ続けます。愛は不滅で甘美です。その不滅の愛が今日では毒されています。それ故にわたしたちは嫉妬、憎悪、怒り、短気といった多くの悪感情を持つのです。わたしたちは悪い性質が心に入ってこないように注意すべきです。個々の魂が肉体の中に宿っており、神は肉体の中に宿っています。人間の愛と神の愛は異なってはおりません。事実、両者の愛の根底に流れている原理である純粋さは同じです。貴金属装身具のように首飾り、飾り輪、指輪など種類は色々ありますが、神は同じです。

愛の具現の皆さん!
 あなたがたは愛の具現そのものであります。他人を憎むことは正しいことではありません。お互いに愛し合いなさい。愛は不滅へと導きます。人間の生命は不滅の命へと変容され、それによってあなたは神性を獲得すべきです。この神性に満ちた生命が正しく利用されていません。近隣の人との間に結びつきがありません。わたしたちは全ての人を一つの家族とみなすべきです。あなたは人間の価値を一つの同じものとみなすべきです。全ての人の中に真理があります。全ての人の中に愛があります。あなたはここで愛を用いて何をしていますか。あなたは誤った方法でそれを用いています。

愛の具現の皆さん!
 愛をもってすればあなたはあらゆることを達成できます。5大元素の全ては愛をもって制御できます。あなたが一旦5大元素を制御したなら、あなたは全世界を制御できます。決してあなた自身を小さな存在と思ってはいけません。あなたは巨大な存在です。あなたの無知があなた自身を卑しい存在と思わせているのです。あなたから無知のヴェールを取り除くのを手助けしてくれるのは愛です。愛は神で、神は愛です。もしも一旦わたしたちがこの単純な真理を発展させたなら、全世界を合体することができるでしょう。バガヴァンとあなたがたとの間にどのような関係があるのでしょうか。バガヴァンの肉体はアンドラプラデシュ州で誕生しました。あなたはマハラシュトラ州から来ました。バガヴァンとあなたとを結びつけているものは何でしょうか。ただ愛、愛、愛だけです。あなたのバガヴァンに対する愛ゆえにあなたはここに来ました。愛がバガヴァンをとても幸せにします。バガヴァンの至福はあなたの愛から成り立っています。あなたの愛はなんと強力なことでしょうか。また、それはなんと広大なことでありましょうか。それは測ることができないほどの深さをもっています。あなたは愛の本質を知ることができません。誰も憎んではいけません。全ての人は兄弟姉妹です。もしあなたがこの種の関係を発展させるのであればそれで充分です。また、もしあなたがこの種の奉仕をするのであればそれで充分です。苦行とか巡礼は必要ではありません。知識とか神の名を繰り返し唱えることもまた必要ではありません。この人生の大海を横切るには、奉仕が基本でありそれで充分です。これによってもたらされる至福を越えるものはありません。いかにたくさんのお金といえどもこの至福を与えることはできません。お金は幸せや至福を与えません。お金はやって来て去ってしまいますが、道徳はやって来て成長します。たくさんの人が生まれてきてお金を稼ぎました。その人達にどのようなことが起こったでしょうか。今までに1ナヤパイサ(インドのお金の単位 )でもあの世に持っていった人は一人でもいますか。あなたがこの地上を去るときお金を持っていくことはできません。もし人がこの世を去るときに砂を持っていくことができるとしたら、砂はこの世から全て無くなっているでしょう。わたしたちが持って行くものは善い行いと悪い行いだけです。わたしたちは善良な評価を獲得すべきであります。

 ラーヴァナは強力で偉大な人でしたが善良な人ではありませんでした。ラーマは善良な人でした。何故でしょうか?ラーマは自分の良質を正しく使うことができたからです。ラーヴァナにもまた良質はありました。しかし、彼はそれを誤用してしまいました。ラーヴァナは偉大な人になりましたが、ラーマは善良な人になりました。従って、人は偉大な人ではなく善良な人となるべく努力をすべきです。今日、至る所が汚染されています。わたしたちの考えも汚染されています。水も周囲の環境も空気も汚染されています。全てが汚染されています。心もまた汚染されています。どうしたらこの汚染された世界において善良でいられるでしょうか。偉大な人でなく善い人になりなさい。偉大な人の状態は過ぎ行く雲のようなものです。人々は多くのお金を稼いで偉大な人になろうとしますが、最終的にはその人には何も残らず、偉大さも残りません。最後まで残るのは善良さだけです。従って、わたしたちが求めるべきものは善なる評価です。だれもが自分は善良なる人であるというべきです。バーラットの全ての人は善良なる人です。事実、全宇宙は善良な人々で満ちています。実際、あなたは善い評価を得て、善良な人間になるべきです。あなたが善いことをしていれば、悪評をうけることはありません。

愛の具現の皆さん!
 世間では、最近人々は、「やーやー、ご機嫌いかがですか、ご機嫌いかがですか」と言います。そして、これで終わってしまいます。誰も責任を取ろうとしないで、誰もが権力を欲しがります。しかし、権力と責任は手と手を取り合って行くものです。あなたは権力に価する人になりなさい。それは単なる虚飾や見せかけであってはなりません。あなたが権力に価するときには、それを獲得するでしょう。悪い考え、悪い性質および悪い行いから離れて、あなたの義務を果 たしなさい。人はこれらのこと全てを知るべきです。厚い本や教科書を読む必要はありません。たくさんの善い情報が本の中にはあります。それは充分ではありません。本の中に書いてあることはまた行いのなかにも在るようにしなさい。あなたの行いが本になるようにしなさい。ただ良い本を読むだけでは充分ではなく、このような本に書かれた内容を日々の生活に取り入れこの内容を実行すべきです。

愛の具現の皆さん!
 よい思いを持つようにしましょう。全ての人を兄弟姉妹とみなしましょう。もし誰かが苦しんでいるなら、行って助けてその人に奉仕しましょう。わたしたちは自尊心と自信とを持ち続けるべきです。全ての人は自信を培うべきです。そうすれば人生は神のようになります。実際のところ、この世の全ての人は自信を培うことを望んでいます。何故でしょうか?何故わたしたちはこの世に生まれてきたのでしょうか。この世に誕生してから獲得したものは何でしょうか。人生の目的は何でしょうか。それは、ただ単に食べたり、飲んだり、動き回ることではありません。動物も獣も鳥もまたそのようなことはしています。動物にはある理由があります。しかし、この世において、人間には何の理由もなく季節もありません。その理由は人間の悪い性質によるものです。わたしたちは感覚を誤用しています。感覚は聖なるものですが、わたしたちは悪い性質のためにその真の実体から離れてしまっています。わたしたちがひとたびその感覚を善用するならば善人になるでしょう。

 マハラナはミーラを家から追い出しました。しかしミーラは熱心な帰依者でした。マハラナはミーラに寺院からも去るように言いました。それは彼女にとってショックな出来事でした。わたしは何処へ行ったらいいのでしょう。直ちに彼女はクリシュナに瞑想しました。(スワミは詩を吟唱されました)。イダとピンガラはガンガとヤムナと同じです。中央にはスシュムナがあます。(スワミは詩を吟唱されました)。おお心よ、ガンガとヤムナの岸に沿って進み、汚れることがないように。彼女の至高の愛の故に、彼女は自分の呼吸を神とみなしました。彼女は巡礼に行くための切符を買いませんでした。ガンガとヤムナは彼女の心の中にあったのです。(スワミは詩を吟唱されました)。それ故、わたしたちは霊的喜悦の至高の頂きに到達するためにバジャンを歌い神の栄光を唱えなければならないのです。このマハラシュトラ州にはたくさんの聖者がいます。また、世界中に多くの聖者がいます。しかし、わたしたちはどのように生活し、どのように過ごしているでしょう。奉仕するために自分の手を用いることができない人、また神の栄光を歌うために自分の舌を使うことができない人は、自分の人生を無駄 にしています。それ故、わたしたちは神の名を唱えなければならないのです。神に対する愛を越えるものは何もありません。愛は神です。わたしたちはこの愛を神ご自身とみなすことができます。この愛でもってあなたは神と融合できるのです。

神の具現の皆さん、愛の具現の皆さん!
 あなたがた皆は神の聖なる一部です。クリシュナは、生き物の全部と神の一部は永遠であると言いました。誰も傷つけてはいけないし、誰も恐れてはいけません。あなたは肉体を持っているので、自分自身のことを人間ということができます。しかし実際は、自分自身は神なのです。プレム イシュワラ ハイ! イシュワラ プレム ハイ! ヒンズー教徒、キリスト教徒あるいはイスラム教徒でもよいのです。神性は同じです。全ての人は人類という階級に属しています。人類には神性があり、神性はまさに愛そのものです。あなたは信念を持ってバーラティア(インド人の古称)であると宣言しなさい。従って、あなたは神の栄光を歌い、団結し、その国を守護し、保護すべきです。実際、もしもわたしたちが神の名を一緒に唱えるなら、わたしたちは一体的に生きていることになるでしょう。わたしたちはどの国にも追従する必要はありません。バーラットの偉大さと壮大さは他のどこにも見ることはできません。従って、バーラットはリーダーの位 置を占めます。そして、バーラットに生まれた以上、神の栄光を歌い、仲間に奉仕し、神性を獲得します。それ故、あらゆる宗教の人たちに神は一つであると思わせなさい。決して神は二つ在ると思ってはいけません。決してあなたは自分をキリスト教徒、イスラム教徒またはヒンズー教徒と限定的にみなしてはいけません。実際、神は一つで、全てのイスラム教徒は一つで、全てのヒンズー教徒は一つで、全てのキリスト教徒は一つです。そして、あらゆる宗教の全ての人は一つです。人が自分自身のハートの畑で神を刈り込むとき、その人は真のヒンズー教徒であり、真のキリスト教徒であるのです。従って、あなたのハートを愛で満たすとき、どのような宗教に拘わらず、あなたは一つになり一体感を得るのです。

愛の具現の皆さん!
 バガヴァンはとても幸せです。マハラシュトラの全ての子供たちがバガヴァンに対する愛のためにここに集まりました。バガヴァンはあなたがたに繁栄と長寿と幸せが降り注がれますように祝福します。もしあなたがた皆が合体したなら、あなたがたは真に幸せになり繁栄することができます。それ故、もしあなたがたが調和と一体性をもって働けば幸せになり繁栄するでしょう。数人の大臣が国全体を動かすことはできません。あなたがた皆が合体し、あなたがたの力と協力を大臣達に差しのべなさい。そうすればそれが国の力になるでしょう。もし布から糸を引き抜いたら、その布は非常にもろく弱いものとなり、容易に破けてしまうでしょう。しかし、全ての糸がそのままの布は簡単に破けることはありません。しかしながら、国民は正極の流れで政府は負極の流れであることを知る必要があります。この二つが合流したときのみ一体性のうねりが現れるでしょう。それ故一体性を達成しなさい。

愛の具現の皆さん!
 バガヴァンはとてもとても幸せです。バガヴァンはあなたがたが平安な人生を送り、社会の進歩と発展のために働き、あなたがたの人生が意味のある目的に満ちたものとなることを望んでおります。充分な雨が降り、よい収穫があり、豊作で繁栄しますように。あなたがた全ての人が幸せな長寿を全うすることができることを祈念して、バガヴァンはこの講話を終えます。

(バガヴァンは“シバヤ、パラメシュワラヤ、チャンドラシェクハラヤ ナマホー”のバジャンで御講話を締めくくられました)

 

 

訳:一色 健輔
出典: http://www.srisathyasai.org.in/

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