サイババの御言葉

日付:2002年10月20日・場所:プラシャーンティ ニラヤム

神の回想


1940年10月20日、この日はたまたま日曜だった
スワミは襟章えりしょうを紛失し、それと共にマーヤーのベールは消えた
世俗的な執着が、襟章と共にスワミから離れた
マーヤーはこれ以上私を縛ることができないと言って、スワミは家を出ていった
それはハンピを訪れた後に起きた

(テルグ語の詩)

愛の化身である皆さん! 私がウラヴァコンダにいたときの出来事です。バッラーリの地方長官が夢を見て、ウラヴァコンダにある一軒の家に行ってサティヤをバッラーリに連れて来るようにというお告げを受けました。それと同じ時刻に長官の妻も夢を見て、夫のお供をしていっしょにサティヤを連れて来るようにというお告げを受けました。二人は、サティヤは偉大な、そして、有名な人物になるのだろうと思いました。今、私の身長は5フィート〔約152.4cm〕あまりですが、そのころはもっと小さかったのです。私はいつも半ズボンとシャツを着ていました。そのとき私は14歳でした。私が家から出てくると、長官夫妻はすぐに私が夢で見たのと同じ人物であることがわかりました。二人はたいそう喜んで、路上で私にひれ伏しました。二人は私が小さな子どもであるという事実をまったく気にかけませんでした。私は何冊かの本を片手に持って、学校に行こうとしていたところでした。

長官夫妻は、この体の兄であるシェーシャマ・ラージュのもとに行って、「どうか今日、サティヤをバッラーリに連れて来てほしい。君は仕事を休まなければならないだろうが、それでも構わない」と頼みました。長官ほどの地位の人には逆らえません。ですから、シェーシャマ・ラージュは、学校の校長であったカメーシュワラ・ラーオのところに行って、休暇をくださいと頼みました。シェーシャマ・ラージュは休暇を願い出る理由も説明しました。カメーシュワラ・ラーオは、私のことがたいそう好きでした。カメーシュワラ・ラーオは言いました。「バッラーリでもどこでも、サティヤを好きなところに連れて行って構わない。この件に関して、私の許可を求める必要はない」。そして、私をバッラーリに連れて行くために自分の車まで提供してくれました。

ヴィルーパークシャ神としてのサティヤ

長官夫妻は、三日間私たちのホスト役を務めました。二人は、私たちを近くのハンピ・クシェートラにあるヴィルーパークシャ寺院に連れて行きました。シェーシャマ・ラージュとその妻は、自分たちが中に行って神のダルシャンを受けている間、寺院の外に残って荷物を見張ってるようにと私に言いました。私は快く承諾して外に残りました。一行は、寺院に入るやいなや、驚いたことに、神像が立っているはずの至聖所に私が立っているのを見ました。シェーシャマ・ラージュは自分の目を疑いました。そして、「外に残って荷物の番をしているようにとはっきり言ったのに、なぜあの子はここに来たのだ?」と考えました。シェーシャマ・ラージュはすぐに寺院から出てみましたが、そこには私が立っていました! シェーシャマ・ラージュは再び寺院の中に入りましたが、そこにも私が立っていました! それでもシェーシャマ・ラージュは確信がもてませんでした。そして、妻に、「お前は外に行って、サティヤがどこにも行かないように見張っていなさい。その間、私は寺院の中に行って、あの子がまだいるかどうか確かめてくる」と言いました。妻は言われたとおりにしました。シェーシャマ・ラージュは再度、サティヤが至聖所に笑顔で立っているのを見ました。長官もこれらすべてを目撃していました。長官は私の神性に気がつきました。一行が寺院から出て来ると、長官はシェーシャマ・ラージュの手をつかんで、「ラージュ、サティヤが自分の弟だという感覚に惑わされてはいけない。サティヤは普通の人間ではない。君はサティヤの体を見て惑わされているのだ。サティヤには神聖な力が備わっている」と言いました。

私たちは長官の家に戻り、そこで食事をして、ウラヴァコンダへの帰路に着きました。長官は私に贈り物をしたいと思いました。そして、私のために四組の半ズボンとシャツを作らせようと言いました。私はきっぱりと、一組すら受け取りませんと言いました。長官も私に強制しようとはしませんでした。すると長官の妻が、私には金の襟章の贈り物がよいのではないかと言いました。当時の子どもにとって、襟章を付けることは特権的な事でした。長官はすぐに金の襟章を買って、私のシャツの襟に付けました。私は抵抗しました。私はいかなる状況でも他者からは何も受け取ったことがありませんでした。しかし、シェーシャマ・ラージュは私に贈り物を受け取るようにと言い張りました。シェーシャマ・ラージュは、私が贈り物を受け取るのを拒むことは、長官をないがしろにすることだと言いました。そのため、私はシェーシャマ・ラージュに従いました。

マーヤーのベールが消え去る

ハンピから戻った後、私はその襟章を付けて学校に行こうとしていました。その途中で襟章が落ち、行方がわからなくなりました。私の中で大きな変化が起こりました。世俗的な執着が、襟章を装って私から離れました。私は、自分の帰依者たちの苦しみを軽減するという自分の使命に着手することを決心しました。私は教科書を投げ捨て、徴税官のハヌマンタ・ラーオの家の庭に入って行きました。ハヌマンタ・ラーオは熱烈な帰依者でした。私を見ると、ハヌマンタ・ラーオは妻にいろいろなごちそうを作るようにと言いました。しかし、私はそのとき出されたものに何一つ触れませんでした。 シェーシャマ・ラージュがそこにやって来て、私に家に戻るよう強要しました。私は帰りませんと言いました。私はそれまで、シェーシャマ・ラージュにそのような口の利き方をしたことは一度もありませんでした。年長者に口答えするのは私の性向ではなかったのです。ですから、シェーシャマ・ラージュは驚きました。そして、「サティヤはどうやってこのような勇気を身につけることができたのか」と不思議がりました。シェーシャマ・ラージュは微笑む私の顔を取り囲む明るい光を見ました。シェーシャマ・ラージュは即刻プッタパルティに電報を打ちたいと思いました。当時は、ウラヴァコンダからプッタパルティに電報が届くまで、最短でも一週間かかりました。そこでシェーシャマ・ラージュは、男子生徒の一人を送って、この体の両親であるイーシュワランマとペッダ・ヴェーンカマ・ラージュに至急ウラヴァコンダに来るよう伝達させました。

二人が到着すると、シェーシャマ・ラージュは、二人を私のところに連れて来ました。イーシュワランマは目に涙を浮かべながら、「サティヤ、おいで。いっしょにお兄さんの家に戻りましょう」と懇願しました。しかし、私は同意しませんでした。「もし、私に来てほしいなら、いっしょにプッタパルティに行きます。私は自らそこに行き、村人たちを幸せにします」。

当時、私は、校長先生からの愛情深い要請で、学校の祈りのリードをしていました。「ラージュ、君は若いかもしれないが、君の祈りは私たちの心を溶かしてしまう」と校長は言っていました。私が学校を去った翌日、教室で私の近くに座っていた生徒が、祈りをリードするようにと言われました。壇に上がると、その少年は私のことを思い出して泣き出しました。生徒も先生も皆、涙に暮れて、祈りの会合は中止になりました。生徒たちは私についてプッタパルティに来たがりました。しかし、どうしてこの村に、それほど多くの子どもたちを受け入れることができるでしょう? そこで私は、私について来ないよう何とか子どもたちを説得するように、とカメーシュワラ・ラーオに言いました。

神は信者のためなら何でもできる

教室の机は三人掛けでした。私を真ん中にして、ラメーシュとスレーシュが両側に座っていました。二人はあまり勉強の成績がよくありませんでした。先生が二人に質問をするたびに、二人は私に答えを教わって答えていました。ESLC〔小学校卒業資格試験〕の一斉テストが行われたときのことです。受験番号に基づいて、私たちは互いにだいぶ離れた席に座らなければなりませんでした。二人に私の回答を書き写すことは不可能でした。二人はとても心配しました。私は、「君たちは何も書かなくてもいい。試験に出て答えを書く真似をするだけでいい。あとは僕がうまくやるから」と言って二人を勇気づけました。

試験時間は二時間でした。私は10分で自分の解答用紙を書き上げました。そして、試験官からもう何枚か紙をもらって、ラメーシュの筆跡で答えを書きました。それが終わると、また何枚か紙をもらって、スレーシュの筆跡で答えを書きました。二人の名前もそれぞれの解答用紙に書きました。終了の鐘が鳴り、生徒全員が立ち上がりました。私は、黙って三人分の解答用紙を試験官の机の上に置きました。誰もそれをとがめた者はいませんでした。

結果は翌日発表され、私たち三人だけが一級の成績でした。先生たちは、どうしてラメーシュとスレーシュも一級が取れたのかと驚きました。疑いの入り込む余地はありませんでした。私たちは離れた席に座っていたので、二人に私の答案を書き写すことはできませんでした。二人の解答用紙はそれぞれ本人の筆跡で書かれていました。地元の人々は大喜びでした。人々は私たちを肩に担いで行進をしました。二人の少年は、私とそれほど親密な関係にあったのです。

私がウラヴァコンダを離れたとき、ラメーシュとスレーシュは私との別離に耐えられませんでした。ラメーシュは深く落胆し、井戸に身を投げて死にました。もう一人の少年スレーシュは、「ラージュ、ラージュ、ラージュ」と名前を繰り返し続け、ついには気が狂ってしまいました。スレーシュはあちこちの精神病院に連れて行かれましたが、症状はまったく良くなりませんでした。最後に両親が私のところに来て、「ラージュ、一度でもあなたに会うことができれば、あの子の精神異常は治ります。どうかあの子に会ってください」と懇願しました。私はスレーシュに会いに精神病院に行きました。スレーシュは終始、「ラージュ、ラージュ、ラージュ」と繰り返していました。そして、私を見ると、涙を流し、私の足元に身を投げ出して、息を引き取りました。二人は私に全託していました。二人は二度と私から離れることがないようにと祈りました。

死が二人を離すことはできなかった

私がプッタパルティに着くと、カラナム・スッバンマがサティヤバーマ寺院の近くに1エーカー〔約4.8キロu〕の土地を寄進し、そこに小さな家が建てられました。私はそこに住んでいました。ラメーシュとスレーシュは、子犬に生まれ変わって私のところにやって来ました。マイソールのマハーラージャ〔藩王〕の姉が、その子犬にジャックとジルという名前を付けました。二匹はいつも私といっしょにいました。

ある日、マイソールのマハーラニー〔藩王女〕が私のダルシャンを受けに来ました。マハーラニーは立派な帰依者で、きわめて厳格な正統派のヒンドゥー教徒でした。マハーラニーは毎日、花でプージャーを行いました。水と牛乳を振りかけて草花を清めてから、自分でその花を摘んでいました。プッタパルティに通じるきちんとした道がなかったので、マハーラニーはカルナータナーゲパッリ〔川の対岸の村〕で車を降りて、旧マンディールまでの残りの道を歩きました。現在ペッダ・ヴェーンカマ・ラージュ・カッリャーナ・マンダパム〔ババの父の名を冠した結婚式場〕が建っている場所に、小さな小屋が建っていました。マハーラニーは、旧マンディールで一晩休むことにしました。運転手は夕食を済ませ、車を停めていたカルナータナーゲパッリに戻るところでした。私はジャックに、運転手といっしょに行って道案内をするよう命じました。ジャックが先に歩いて、運転手はその後について行きました。ジャックは自動車の下で眠りました。翌朝、運転手は車の下でジャックが眠っていることを知らずに車を出しました。自動車の車輪がジャックの背中をひいて、ジャックの背骨は砕けてしまいました。ジャックはずっとうめき声を上げながら、身体を引きずって川を渡りました。当時、スッバンナという名の洗濯夫が、日夜、旧マンディールの管理をしていました。スッバンナは非常に忠実で、スワミを自分の命そのものであると考えていました。スッバンナは私のところに駆けてきて、「スワミ、ジャックは事故に遭ったのかもしれません。うめき声を上げながらこちらにやって来ます」と言いました。私はすぐ外に出ました。ジャックは大声で悲鳴を上げながら私のそばに来ると、私の足元に倒れて息を引き取りました。

亡骸なきがらは旧マンディールの裏に埋葬され、ブルンダーヴァナムが建てられました。私の指示に従って、その石碑は敷地の真ん中ではなく片側に埋められました。私はもう一つサマーディ〔墓〕のための場所が必要だと言いました。ジャックが死ぬとジルは何も食べなくなり、数日後に死んでしまいました。ジルはジャックのサマーディの隣に埋葬されました。このようにして、ラメーシュとスレーシュは私と共にいるために苦行をしたのです。死んだ後も、二人は私といっしょにいるために犬として生まれ変わったのです。

最初に襟章がなくなりました。それから、私は学校に行かなくなり、両親がやって来て、私をここに連れて来ました。このようなさまざまな変化のために、私はウラヴァコンダを離れたのです。私がここに来てから、バンガロールやマイソールから大勢の人々が自動車でこの場所を訪れるようになりました。ここに来ていた人々の中には、マイソールのマハーラニーや、コーヒー園の女主おんなあるじのサカンマ、マイソールのマハーラージャの母方の伯父であるデーサラージ・アラスなどがいました。ある日、彼らは、「私たちにとって、再三ここに来ることは困難です。ですから、どうかマイソールにいらして居を定めてください。あなたのために大きな邸宅を建てて差し上げましょう」と懇願しました。私は、「宮殿のような建物は要りません。私はここにいたいのです」と言いました。その夜、母親のイーシュワランマが、目に涙を浮かべて私のところにやって来て、こう言いました。「スワミ、人々は利己的な目的のために、スワミをあちこちに連れて行きたがっています。もし、スワミがプッタパルティを離れるのなら、私は命を絶ちます。どうか永遠にプッタパルティに留まると約束してください」。私は決してプッタパルティを離れないとイーシュワランマに約束しました。私が帰依者の快適さと利便のためにアシュラムの中に多くの建物を建てたのは、こうした理由によるものです。

プラシャーンティ・ニラヤムの誕生

私がプッタパルティを離れないことを明らかにすると、サカンマとマイソールのマハーラージャの母方の伯父は、村から少し離れた場所にマンディールを建設することを決めました。二人は10エーカーの土地を手に入れて、建設作業を開始しました。ヴィッタル・ラーオという名の熱心な帰依者が、建設作業全体を監督する仕事を引き受けることを申し出ました。彼は英国統治時代、林野庁の役人でした。彼は、先ほどここでスピーチをしたジャヤンマ(ジャヤラクシュミー・ゴーピナート教授)の父親です。彼が建設作業を監督したのです。マドラスのR・N・ラーオ、ピッタプラムのマハーラージャの娘婿のニーラドゥリ・ラーオ、バローダのマハーラージャの娘婿も、皆、建設作業に積極的な関心を示しました。彼らが皆、協力したために、マンディールは非常に短期間で完成しました。当時は第二次大戦中でしたので、建設作業のために鉄材を確保することは非常に困難でした。彼らはそのようなあらゆる障害を、誠実さと信愛によって克服しました。彼らは、私が不自由な目に遭うといけないので建設が完了するまで現場に来ないようにと懇願しました。彼らの私への愛はそれほどのものでした。

私は帰依者への約束を必ず守ります。私のすることはすべて帰依者の幸せのためです。私は自分のためには何一つ必要としません。私にはまったく何の欲望もありません。

彼らは昼夜を問わず働き、労働者たちに給料を払い、建設が無事完成するように気を配りました。ジャヤンマはそのころ、まだとても小さな子どもでした。毎週日曜日、ヴィッタル・ラーオが自分の車でやって来て、労働者たちに給料を支払いました。ジャヤンマはいつも、いっしょについて行くことを許可してほしいとせがみました。ヴィッタル・ラーオは娘を非常にかわいがっていました。ヴィッタル・ラーオはバンガロールで食べものを準備させて、娘を連れて来るのがつねでした。ジャヤンマは、60年にわたってスワミに仕えてきました。この体が17歳のときに、ジャヤンマは私のところに来たのです。今や、この体は77歳の誕生日を迎えようとしています。ジャヤンマは頻繁にプラシャーンティ・ニラヤムを訪れて、スワミのバジャンを覚え、その栄光を歌いました。このようにして、ジャヤンマは神聖な感情を養い、スワミに対する強い信愛を培いました。神の近くにいることを体験するには、そのためのプラープティ(それにふさわしい資格)をもっていなければなりません。ただ単に願っただけでそれを手に入れることはできません。それはまた拒否することもできません。人は数々の過去生で積んだ功徳によって、それを獲得します。ジャヤンマの家族は実に豊かな恩寵を受けています。私はジャヤンマがスピーチの中で、ヴェーンカンマ・ガル(スワミの長姉)のことを何度も話したことに心を打たれました。

思い出される姉のセヴァ

ヴェーンカンマ・ガルは、スワミのために食事を作ってくれていました。ジャヤンマは料理を覚えるためにいつもヴェーンカンマといっしょにいました。二人の間にはそのような親密な友情がありました。のちに、パールヴァタンマ・ガル〔スワミの次姉〕もここにやって来ました。二人は交代で、午前中一回、夕方一回のスワミの食事を持って来ました。二人は他の人にスワミの食事を作ってもらうのは安全ではないと心配していました。二人は、私が二人のこしらえた食事だけを食べるという約束を私から取り付けました。二人は息を引き取るまで私に仕えました。二人共、バンガロールのマニパル病院で最期を迎えました。

ヴェーンカンマは意識を失った状態でここからバンガロールに運ばれました。ヴェーンカンマはずっと目を閉じたままでした。私がそばに行って「ヴェーンカンマ」と呼ぶと、ヴェーンカンマはすぐに目を開けてスワミを見ました。ヴェーンカンマは私の手を取って自分の目に近づけて、私に礼拝を捧げました。そして、涙を流して肉体を離れました。

パールヴァタンマのときも同じことが起こりました。パールヴァタンマもバンガロールに運ばれたときには意識がありませんでした。私はパールヴァタンマのところに行って名前を呼びました。パールヴァタンマはすぐに目を開いて、涙を流し、息を引き取りました。二人は、生きている間、毎日朝夕の食事を運んでスワミに仕えました。これほどまでに神と近い関係をもつのは、過去生における功徳の結果です。それは人間の努力で得られるものではありません。二人は自分の病気すら気にかけず、愛を込めてスワミに仕え続けました。二人の一生は聖化されました。

今日に至るまで、食事は二人の家から運ばれています。シェーシャマ・ラージュの息子はここに住んでいます。イーシュワランマの息子であるジャーナキラマイアフ(ババの弟)もここに住んでいます。皆さんも彼を知っているでしょう。彼の妻が私のために食事を作って運んできます。同じく、パールヴァタンマの娘も私に食事を運んで来ます。このようにして、二人は毎日スワミに仕えています。私は夜は食事をとりません。毎朝、二人は私に食事を運んで来ます。スワミはこの家族とこのような緊密な関係をもっています。中には、両親の祈りによって降臨した神の化身もいましたが、スワミの場合はそれとは異なります。誰が父親となり誰が母親となるべきかを決めたのは私です。この体は通常の人間的な方法で生まれたのではありません。

果たされたスッバンマとの約束

カルナム・スッバンマは、この体とは身体面では血縁関係はありませんでしたが、感情面ではスワミに対する強い愛着をもっていました。スッバンマは昼夜を問わず私を思っていました。スッバンマは私にスッバンマの家に滞在するようにと頼んできました。スッバンマは私のために家を空ける準備があったのです。スッバンマの親戚の多くが、スッバンマに、「ブラフミン〔バラモン階級〕なのに、なぜクシャトリヤ〔武人階級〕に家に住まうことを許そうとするのか?」と詰め寄りました。スッバンマは、「私は誰の家にもうかがいません。あなた方の誰も私の家に来る必要はありません。私にはスワミがいらっしゃるだけで十分です」と言いました。スッバンマの信愛と決意はそれほどのものでした。スッバンマには一つだけ望みがありました。スッバンマは、「私が体を離れるときに、どうかあなたの美しいお顔をお見せください」と懇願しました。私は必ずスッバンマの願いをかなえると言いました。

あるとき、私は帰依者の祈りに応えてマドラスに行きました。そのころスッバンマはブッカパトナムにいました。スッバンマは自分の母親の家に滞在していました。私がマドラスから戻る前に、スッバンマは息を引き取りました。私がここに来ると、人々が駆けつけて、「スワミ、あなたのスッバンマが昨夜、亡くなりました」と言いました。私はすぐに車の進行方向を変え、ブッカパトナムに直行しました。スッバンマの体はベランダに置かれ、布がかけられていました。家族全員、悲しみに沈んでいました。スワミは、一度約束をすると、どんな状況の下でも必ずそれを守ります。私は体を覆っていた布を取りました。スッバンマは前の晩に息を引き取ったので、全身に蟻が群がっていました。私は、「スッバンマ」と呼びかけました。スッバンマは目を開けました。このニュースは燎原りょうげんの火のごとく瞬く間に広まりました。ブッカパトナムの人々は、お互いにスッバンマが生き返ったと言い合って、その場所に詰めかけて来ました。スッバンマの母親はそのとき百歳でした。私は母親にコップ一杯の水にトゥラスィー〔神目箒かみめぼうき〕の葉を一枚浸して持ってくるようにと言いました。私はトゥラスィーの葉をスッバンマの口に入れて、水を少し飲ませました。そして、「スッバンマ、私は約束を守りました。さあ、安らかに目を閉じていいですよ」と言いました。スッバンマは、「スワミ、これ以上何が必要でしょうか? 私は至福に包まれておいとまします」と言いました。歓喜の涙を流しながら私の手を握り、スッバンマは息を引き取りました。これが、どのような状況の下あれ、私がいかに必ず約束を守るかということです。このように、私は決して約束を破りません。スッバンマの奉仕はとても言葉では言い尽くせません。クリシュナ・アヴァターのころ、養母のヤショーダーは生みの母のデーヴァキーよりもクリシュナを愛し、仕えることができました。

選ばれた両親の安らかな最期

そのころ、イーシュワランマとスッバンマは、いつもお互いの家の境の壁の窓越しに言葉を交わしていました。二人の夫は互いに言葉も交わさない間柄だったので、二人はお互いの家を行き来することができなかったのです。しかし、イーシュワランマはスッバンマと暖かい関係を保っていました。

この体の両親は私が選びました。ペッダ・ヴェーンカマ・ラージュはスワミを訪れる帰依者たちをいつも助けていました。帰依者が必要とするココナツ一個だとか食料を調達するためにさえ、よくブッカパトナムまで走って行きました。ある日、ペッダ・ヴェーンカマ・ラージュはマンディールにやって来て、私と話したいと言いました。私はすでに一つのグループをインタビューに呼んでいました。私はペッダ・ヴェーンカマ・ラージュを中に入れました。ペッダ・ヴェーンカマ・ラージュは言いました。「スワミ、私は借金を残したくありません。私は小さな店を持っていました。私は誰かに1パイサか2パイサを返し忘れているかもしれません。ですから、私が死んでから12日目に、貧しい人々に食べ物を配ってくださるようお願いします」。それからいくらかのお金を取り出して、「これは私が苦労して稼いだお金です。貧しい人々への食事に使ってください」と言いながら、私の手に握らせました。また、そのために必要な何袋かの米とジャッガリー〔椰子糖〕もとってあると言いました。その後、ペッダ・ヴェーンカマ・ラージュは自分の家に行き、横になって眠って安らかに死にました。

イーシュワランマの最期も非常に神聖なものでした。イーシュワランマは私がどこに行っても、いつもついて来ました。イーシュワランマは夏期講習に参加するためにブリンダーヴァンにやって来ました。そして、多くの学生たちを見て非常に幸せに感じました。昼食の時間に学生たちに水をついであげるようなことまでしていました。イーシュワランマはいつも、「私たちがこんなにすばらしい出来事を見ることができるのはスワミのお陰です」と言っていました。ある日、いつものように学生たちに朝食が配られました。イーシュワランマも朝食をとりました。イーシュワランマの世話をしていたヴェーンカンマは、そのときイーシュワランマの隣にいました。イーシュワランマは檳榔子びんろうじをすり鉢でつぶしていました。私は二階でその音を聞くことができました。突然、イーシュワランマは、「スワミ、スワミ、スワミ」と叫びました。私は、「今、行きます。今、行きます」と言いました。私はすぐに下に降りて行き、イーシュワランマは息を引き取りました。イーシュワランマにはまったく何の苦しみもありませんでした。軽い頭痛さえありませんでした。二人の一生は、二人がスワミに選ばれたために神聖化されたのです。

いつも助け、決して傷つけない

ラメーシュとスレーシュは、スワミを自分の生命を支える息吹そのものと見なしていました。二人はとても若かったにもかかわらず、スワミを強く愛していました。私がお金を持ち合わせていないことを知って、ラメーシュは私のために二組の服を作らせて、「もし、君が受け取ってくれなければ、僕は命を絶つ」というメモを添えて私の机に入れました。私は、「僕たちの友情と愛は、やり取りの上に成り立つものであってはいけない。僕たちの関係は純粋な愛をもった心と心の関係だ。僕たちは愛だけを分かち合うようにすべきだ。品物のやり取りはすべきではない」と言って、それを断りました。その時から今に到るまで、私は、誰からも何一つ受け取ったことはありません。

私はいつも「つねに助け、決して傷つけてはならない」という行動規範に沿った振る舞いをしています。これはずっと私のモットーです。私は誰も傷つけたことはありません。私は人を助けることに大きな喜びを感じます。私が帰依者たちに、つねに「ローカー サマスター スキノー バヴァントゥー(世界中のすべての人々が幸せでありますように!)」と祈りなさいと言うのはそのためです。すべての人が、幸せで、健康で、至福に満ちているべきです。そのような神聖な動機をもって、私は愛のメッセージを全世界に広げてきました。私の学生たちは私の最大の財産です。小学校と中高等学校の生徒たち、そして、大学の学生たちは、いつも私といっしょにいます。学生はスワミを離れることがなく、私も学生なしではいられません。

私の人生は人類全体のためのものです。人々の幸せがスワミの幸せです。私は自分の誕生日を祝うことには何の興味もありません。しかし、帰依者たちが私を放っておきません。帰依者たちはさまざまなお祭りをしたいと望んでいますが、私は何も望んでいません。私は皆さんの誕生日を自分の誕生日だと考えています。皆さんが幸せでいる日が本当の私の誕生日です。体は異なっていても、皆さんはいかなる差別にも付け入る隙を与えてはなりません。すべての人は一つです。誰に対しても同じ心でいなさい。スワミが帰依者との間に持つ関係は、世俗的な性質のものではありません。それは神聖な愛を基盤とした関係です。

翻訳:サティア・サイ出版協会
出典:Sathya Sai Speaks Vol.35 Ch17

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