サイババの御言葉

日付:2002年11月23日・行事:77歳御降誕祭・場所:プラシャーンティ ニラヤム
バガヴァン シュリ サティア サイ ババ様による御講話

宇宙の主の言葉に耳を傾けて
理想的な人間へと自己変革を遂げなさい

毎日、この上なく規則正しく、朝日を昇らせ、夕日を沈ませているのは誰でしょう?
星が夜の間だけ輝き、日中には姿を隠すのはなぜでしょう?
風は、どのようにして、一瞬も休まず吹き続けて、生物を養っているのでしょう?
心地よいさざなみやせせらぎの音を立てて、
永遠に川が流れているのは誰のお陰でしょう?
宇宙における迷妄は誰が引き起こしているのでしょう?
お金や宗教や社会や国籍によって、人々が差別をするのはなぜでしょう?
これらの驚くべきことのすべてを支配している主とは、いったい誰のことでしょう?
おいでなさい。彼の言葉に耳を傾け、彼の命令に従いなさい。

(テルグー語の詩)

愛の化身である皆さん!

すべての人が、またすべての生き物が、平安と幸福を得ようと努めます。誰もが人生の目的を知ろうとしています。しかし、人々はその努力に成功することができないでいます。強い決意をもって、目標に到達するまであきらめない人は、百万人に一人です。限りある命をもつ普通 の人は、それが自分の手に届かないものだと考えて、いっさいこの方面の努力をしません。彼らは、物質的なその場限りの快楽を追及することに一生を費やします。彼らは、衣・食・住こそが人生の三大目的であると勘違いしています。その人生は、妻子を中心としたものになっています。彼らは、人生にはこれよりも高い目的があるということに気がつきません。

人々は、永遠の至福を経験するために、さまざまな道をたどります。タイティリヤ ウパニシャッドには、この意味合いで、鳥のたとえが紹介されています。この鳥の頭はシュラッダ(誠実さ)と呼ばれています。左右の翼は、それぞれリタムとサティアム(真実)に喩えられています。胴体はマハータットワムを象徴し、尻尾しっぽはヨーガを象徴しています。

リタムとは何でしょう? リタムは、過去・現在・未来を通じて変わることがありません。

シュラッダ(誠実さ)はとても大事です。「誠実さによって真理を勝ち取ることができる」のです。バガヴァッド ギーターの中で、クリシュナは、「誠実さをもった人は私を勝ち取ることができる」と言っています。彼はさらに、「私は誠実さの化身そのものである」と宣言しています。誠実さのない人は、小さな仕事すら達成することができません。とくに、霊性の領域においては、誠実さは大変重要です。強くゆるぎない信仰によって、誠実さがもたらされます。ウパニシャッドは、さまざまな方法でシュラッダ(誠実さ)の原理を説明しています。誠実さによって獲得した英知は、ターラカム(解脱)です。誠実さの欠如は束縛(マーラカム)です。ターラカム(解脱)の永遠の原理は、理解され、実践され、広められなければなりません。これがタイティリヤ ウパニシャッドの根本的な教えです。

愛の化身である皆さん!

タイティリヤ ウパニシャッドは、あらゆる職業において、誠実さを培う必要があることを強調しています。霊性においては、誠実さこそが解脱のマントラ(ターラカ マントラ)です。それは永遠不滅のものです。人間は、シュラッダ(信仰)、サティアム(真実)、リタム(不変)、ヨーガム(合一)、マハータットワムという五つの側面 を培ってハートを浄化したときに、初めて英知を獲得することができます。英知とは、書物によって得られる知識ではありません。「不二一元性の体験こそが英知です」。見かけの二元性の根底には、不二一元の原理が存在しています。これが、タイティリヤ ウパニシャッドが教える根本的な真理です。

アディ シャンカラは、「勝利の行進」の途中で、北インドにおいてマンダナ ミシュラという名の偉大な学者に会いました。シャンカラは、彼と学問上の問答をしました。マンダナ ミシュラの妻のウバヤ バーラティもまた立派な学者でした。彼女は、リタム、サティアム、マハータットワム等の原理に精通 していました。マンダナ ミシュラが問答で敗れた場合は、出家の生活に入るという取り決めがなされました。シャンカラは、その討論の審判として、ウバヤ バーラティを選びました。問答の進行中、彼女はこの上ない集中力をもって論議のやり取りに耳を傾け、公平な判定を下して、シャンカラが勝者であると告げました。彼女は英知の人であったために、夫が問答に敗れても落胆しませんでした。マンダナ ミシュラは、問答の取り決めに従って出家しました。ウバヤ バーラティは、彼の伴侶であったので、運命を共にしました。夫婦揃って世を捨てて隠遁生活に入り、英知の道を広めました。もし人が英知を獲得しないのであれば、人生には何の価値もありません。

「アンナム ブランマー、ラソー ヴィシュヌフー、 ボークタデーヴォー マヘーシュワラ」(食物はブラフマ神であり、エッセンスはヴィシュヌ神、食事を摂る者はマヘーシュワラ≪シヴァ神≫である)と言われています。この三つは、それぞれ、肉体と、心と、行動に対応しています。

『思いと言葉と行動が完全に調和している人々は、高貴な魂である』

思いと言葉と行動が一致していることがリタムです。この三つは、ブラフマ、ヴィシュヌ、マヘーシュワラの三神を表しています。ですから、誰もがこの三つのものを純粋にするように努めなければなりません。例えば、ランプにかぶせるガラスの火屋ほやのことを考えてみましょう。しばらくすると、ガラスにすすがたまります。その結果 、光は暗くなります。ガラスをきれいにしたときに、初めてはっきりと光が見えます。これは、あなたがなすべきことです。ガラスについたすすは、あなたの心を包んでいるエゴに例えられます。あなたが聖なる英知の炎を見ることができないのは、エゴがあるからです。エゴはどのようにしてあなたの心に入るのでしょう? それは、あなたが真実の道を手放したときに、あなたの心に侵入するのです。あなたが、真の自己を知らずに、世俗的な思いや感情を育てるときに、あなたは利己的になります。エゴを取り除くには、世俗的な思いや感情をコントロールしていなければなりません。エゴを取り除かないままに英知を獲得することはできません。アートマ(真我)のまばゆい光を見るには、心を覆っているエゴというすすを取り除かなければなりません。これがウバヤ バーラティの教えでした。

彼女は、ガンジス川の岸辺の修道院に住んで、女性の求道者に霊的な教えを説いていました。多くの女性が彼女の弟子になりました。毎朝、彼女たちはガンジス川で沐浴をしました。川から修道院への途中に、人々からブラフマ ジュニャーニ(神を知った人)と呼ばれる遊行僧が住んでいました。確かに彼は隠遁者であり、知恵のある人でした。ところが、彼は水を入れておく小さな土製の壷に、たいそう執着していました。ある日、彼は、その壷が盗まれないように、それを枕にして横になっていました。弟子たちを連れてガンジス川に行く途中、ウバヤ バーラティがこれを見て、言いました。「彼は知恵者だけれど、小さな欠点が一つあります。彼は世を捨てたのに、土の壷に執着していて、それを枕に使っています」

遊行僧は彼らの会話を耳にして腹を立てました。ウバヤ バーラティと弟子たちが、ガンジス川から戻って来たとき、彼は、自分が壷に執着していないこと示すために、それを道に投げ捨てました。これを見たウバヤ バーラティは言いました。「私は、あの男には、執着という欠点が一つあるだけだと思っていました。今、彼にはもう一つ、エゴという欠点があることが分かりました。エゴと執着のある人が、どうして英知の人と言えるでしょう?」その言葉によって、遊行僧の目が開かれました。

ウバヤ バーラティは、英知の道を説き広めながら、この国の隅々まで旅をしました。女性は生まれながらにして、知性(ヴィグニャーナ)と、英知(スグニャーナ)と、至高の英知(プラグニャーナ)の化身です。女性は、すべての美徳の宝庫です。しかし、カリの時代(現代)の影響のために、女性は軽視されています。それは重大な誤りです。女性は、しかるべき敬意を込めて扱われなければなりません。今日、女性は、男性と競って職を得ようとしています。しかし、その前に、女性は家事の面 倒を見なければなりません。

もしすべての女性が仕事に行くとすれば、
誰が家の面倒を見るのでしょう?
もし夫婦揃って会社に行くとすれば、
誰が家事をするのでしょう?
もし女性が人の子どもを教えるために外に出たとすれば、
誰が彼女たちの子どもを教えるのでしょう?
もし女性が男性のように、手に本を持って外に出たとすれば、
誰が台所で働くのでしょう?
お金を稼げば、経済的問題はある程度解決されるかもしれませんが、
家庭の問題がどうして解決できるでしょう?
もしこのことを真剣に考えれば、
重要な役職についている女性には、幸福はありません。

(テルグー語の詩)

もし、女性も外に出てお金を稼ぐとすれば、経済的な苦しさは解消されるかもしれませんが、家の中に多くの問題が生まれるでしょう。女性は勇気と決意の権化です。女性は忍耐をもってあらゆる苦難に耐え、家族の名誉を守ります。女性は主婦としての評判に恥じない生活を送ります。

人間は、真実の道を守って、英知を獲得しなければなりません。「サッティヤムブルーヤート、 プリヤム ブルーヤート、 ナ ブルーヤート サッティヤマー プリヤム(真実を語りなさい。快い言葉を語りなさい。不快な真実を語ってはなりません)」と言われています。この三つは、それぞれ道徳的価値と、正義としての価値と、霊的価値に対応しています。すべてが真実に包含されています。皆さんは神を求めて神殿を訪れる必要はありません。真実こそが神です。それはあらゆるところに浸透しています。真実はすべての人に豊穣と繁栄をもたらします。ですから、真実の道を歩き、正しい行いを実践しなさい。英知を獲得しなさい。

これらのすべての霊性修行(サーダナ)にとっての第一歩は、正しい食物を摂ることです。食物を、神に捧げることによって清めなさい。「アンナム ブラムハー」食物をブラフマ神の姿そのものと見なしなさい。「ラソー ヴィシュヌフー」全身に広がる食物のエッセンスはヴィシュヌ神の化身です。「ボークタ デーヴォー マヘーシュワラ」食物を摂る者は、シヴァ神の原理の化身そのものです。そのような神聖な感情を培った人は、シヴァ神そのものになります。

シヴァは、完全な犠牲と放棄の象徴です。この世においては、すべての人が肉体に執着しています。しかし、シヴァには、まったく肉体的執着(デーハビマーナ)がありません。彼にはアートマへの愛(アートマビマーナ)があるのみです。

彼には豊かな髪があり、三日月が頭を飾り、
編まれた髪の間からはガンガの清涼な水が流れ、
額の中央には英知の目が明るく光り、
紫色の首がクロイチゴの光沢のように輝いている。
彼は蛇の腕輪と、蛇のベルトを巻いており、
全身にヴィブーティ(神聖灰)が塗られている。
彼の額にはクムクムの点が飾られ、
血色の良い唇にはベテルの汁が光っており、
ダイヤがちりばめられた金の耳飾りが音を立てて、
彼の浅黒い身体全体が神の光輝に包まれている。

(テルグー語の詩)

あるとき、パールヴァティ女神が、シヴァ神に近づいて、自分たちのための家を建てて欲しいという願いを伝えました。女神は言いました。「おお、主よ、あなたは家々を回って食べ物をもらって歩かれるだけで、私たちの家を用意することをお考えになっていません。ちゃんとした家がなければ、どうして私たちが一緒に生活することができるでしょうか?」

シヴァは、「パールヴァティよ! 家を建てることが何の役に立つだろうか? 私たちがそこに入る前から、ネズミがそこに住みつくだろう。ネズミを取るには、ネコを飼う必要がある。すると、ネコにミルクを飲ませるために、牛を買わなければならないだろう。このようにして、必要なものは何倍にも増えて、我々は心の平安を失ってしまうであろう。だから、そのような欲望を抱いてはならない」と言って女神をなだめました。

シヴァには、まったく肉体的な執着がありません。彼は放棄の化身です。完全な放棄は英知をもたらします。これが、人類に対するシヴァ神の教えです。

英知とは何でしょう? 思いと言葉と行動の純粋さこそが真の英知です。あなたの肉体と心と行動は、純粋でなければなりません。このことに基づいて、「人が研究すべきは人間である」と言われています。それは、思いと言葉と行動の一致こそが、真の人間性であるという意味です。それは非常に単純で、容易に実践することができます。しかし、誰もこの方向で努力をしている人はいません。ガンジス川が近くを流れていても、人々はそこで沐浴をして身体を清めることをしません。人々は自分たちで利用できる便利さを活用していません。これはまったくの怠慢であり、鈍性(タモーグナ)の表れです。あなたは、この動物的特質を取り除いて、自分の中に人間性を培い、神のレベルへと昇らなければなりません。

愛の化身である皆さん!

ハートを純粋にするために努力をしなさい。このことにあなたの最大の努力を傾けなさい。ハートが純粋であれば、どのようなことでも成し遂げることができます。ハートを純粋にするには、神聖な食物を食べなければなりません。食物を調理する人は神聖な感情をもっていなければなりません。昔は、正統のブラーミンは、自分の妻が調理した食物にしか手をつけませんでした。その理由は、主婦は、家族全体の幸福を願って食事の準備をしたからです。一方、料理人を雇えば、彼らがどんな感情で食事を作るかは、神のみぞ知るところです! 料理人の不浄な思いが料理に入れば、それはあなたの心を毒します。アンナム ブラムハ(食事は神)です。ですから、食事は神聖な気持ちで調理すべきです。物理的な清潔さのみでは不十分です。心もまた純粋でなければなりません。料理に使う野菜は、正しい方法で手に入れたものであるように気をつけるべきです。例えば、夫が市場から野菜を持って帰ります。彼は、職権を乱用して、お金を払わずにそれを持ち帰ったのかも知れず、あるいは、小売り業者自身が、不正な手段でその野菜を手に入れたのかも知れません。そのような野菜を食べれば、あなたの心は汚染されます。あなたは、自分が食べる食物があなたの行動の原因であることに気づきません。不浄な食物は、人に神聖でない行動をとらせます。

愛の化身である皆さん!

祈って、食物を神に捧げたあとでなければ、食事を摂らないようにしなさい。そうして初めて、食物が神聖化されて、あなたの知性が明るくなるでしょう。あるとき、シヴァナンダのアシュラムの近くの庵に、一人の遊行僧が住んでいました。彼は敬虔な魂でした。あるとき、老年の実業家が、若い妻の死後11日目に、アシュラムの住人の食物を準備するためのお金を寄付しました。その実業家は裕福だったので、金の力で若い妻の父親をそそのかして、その娘と結婚したのです。彼女は、自分の不運を嘆きながら、実業家の家で時を過ごしました。ある日彼女は、そのような人生を送ることが嫌になって、ガンジス川に身を投げて命を絶ちました。その実業家は、彼女が死んで11日目に、死亡通 知の儀式を行ったのです。アシュラムでは、集会が行われていたので、調理された食物は受け取られませんでした。そこで、実業家は食物を準備するためのお金を寄付しました。純粋なハートをもった遊行僧は、アシュラムの住人たちと共に食事を食べました。彼は、その夜よく眠れずに、若い女性の夢を見ました。遊行僧は、「私は、一度もそのようなことを思ったこともないし、感覚的な喜びを求める心もない。なのに、なぜ私がこんな悪夢を見るのだろう?」と考えました。彼は、瞑想中にまで、同じ姿を見ました。

彼は、サッチダナンダという名前のグルのところに行って、自分の苦しみを説明しました。「スワミ、どうして私にはこのような不浄なビジョンが見えるのでしょう?」グルは、心配しなくてよいと言いました。サッチダナンダは、実業家を呼びに行かせて、彼と話し、妻が早死した理由を突き止めました。彼は、遊行僧が彼女の死亡告知の儀式の一環として準備された食物を食べたために、彼女が僧の夢に出てきたのだということを理解しました。その日から、遊行僧は食事をとるのをやめ、果 物とミルクのみを食べて暮らしました。「身体を支えるために、食物は欠かせません」自動車が走るにはガソリンが必要です。同様に、身体は、それを維持するための食物を必要とします。ですから、人は、身体を維持するために、何らかのものを食べなければなりません。時々、あなたは悪夢を見たり、瞑想中に悪いものを見たりすることがあります。これは、清らかでない食物をとった結果 です。あなたは、調理をする前に、食材が神聖な手段によって得られたものかどうかを調べなければなりません。そうであるときに初めて、食物は食べるのに適したものとなるのです。

あなたは、食事の前に、次のように祈るべきです。

ブランマールパナム ブランマハヴィール
ブランマグノー ブランマナーフタム
ブランメーヴァ テーナ ガンターヴィヤム
ブランマ カルマ サマー ディナハー

もしあなたが神聖な感情をこめて祈れば、食物は神聖化されます。

あるとき、ヴィクラマディティヤ王が、大きな会議を招集しました。彼は、「識別 知(ブッディ)と知能(メーダス)とはどちらが偉大であるか?」という問題を出しました。参加者は、知能の方が偉大であると言いました。しかし、ヴィクラマディティヤは彼らの見解に同意しませんでした。彼は、識別 知は非常に神聖であって、その中に真我の知識が含まれているので、識別知の方が偉大であると言いました。「識別 知は心と感覚を超越する」のです。

愛の化身である皆さん!

食事を食べる前に、神聖なマントラを唱えなさい。そうすれば、あなたのハートには、神聖でないものが入ることはありません。「アンナム ブランマー、 ラソー ヴィシュヌフー、 ボークタデーヴォー マヘーシュワラ」(食物はブラフマであり、エッセンスはヴィシュヌ、食事を摂る者はマヘーシュワラである)。この三つは、それぞれ肉体と心と行動に対応しています。思いと言葉と行動が純粋であることこそが真の英知です。あなたは、それ以外のいかなる霊性修行も行う必要はありません。人々は、さまざまなサーダナ(霊性修行)を行います。しかし、それはただ、一時的な満足をもたらすだけです。一方、思いと言葉と行為が純粋であれば、あなたは永遠の幸福を味わうことができます。

愛の化身である皆さん!

リタムとは、過去・現在・未来という三つの時間区分を通じて変化しないもののことです。それが真の英知です。変化するものはマーラカムであり、変化しないものはターラカムです。

サッドグル(真の霊的教師)の恩寵によって、 ターラカムの原理を理解して、
永遠のものと一時的なものの違いを見つけなさい。
ターラカム(ソーハム)の秘密を知りなさい。
それは、個々の魂が、覚醒・夢見・熟睡の三つの状態のすべてにおいて、
休みなく繰り返すものです。

(テルグー語の歌)

あなたは、どんな宗教や社会に所属していたとしても、このターラカ マントラを理解しなければなりません。今日、人々は自分のことを帰依者と呼んでいますが、彼らの行動はその主張に見合ったものではありません。彼らの思いと言葉と行動は、虚偽と不正に満ちています。彼らの愛は利己心と自己関心によって汚染されています。彼らは帰依者であることを装って、世界を回り、さまざまなよこしまな行為に携わっています。外見的には、彼らは敬虔に見えますが、内面 的にはよこしまな傾向に満ちています。彼らは、お金のために人生を台無しにします。あなたはそのような人に注意し、彼らに近づかないようにしなければなりません。彼らの顔を見るだけでも罪になります。

一部の帰依者が言いました。「スワミ、私たちはスワミの御降誕祭に参加したいのですが、休暇を取ることができません。ですから、病欠の申請をして参加することに決めました」。私は彼らに、「それは正しいことではない。あなたがここに来ることができるかどうかは問題ではありません。でも、決して嘘をついてはいけません」と言いました。真実を守るという誓い(サティア ヴラタム)を守りなさい。そうして初めて、あなたは万物の主(サルヴェーシュワラ)のビジョンを得ることができます。あなたは、祈りによって自分を浄化することができます。祈りを通 じて英知の夜明けが到来します。その祈りは、「アンナム ブランマー、ラソー ヴィシュヌフー、 ボークタデーヴォー マヘーシュワラ」です。それ以外の霊性修行は必要ありません。

霊的な求道者のために、次のような九つの帰依の道が定められています。

スラヴァナム(聞くこと)
キールタナム(歌うこと)
ヴィシュヌスマラナム(神を憶念すること)
パーダセーヴァナム(神の蓮華の御足に仕えること)
ヴァンダナム(神を崇敬すること)
アールチャナム(礼拝)
ダーシャム(奉仕)
スネーハム(友情)
アートマニヴェーダナム(全託)

あなたは、神との友情を培うべきです。もし神があなたの友人であれば、全世界をコントロールすることができます。しかし今日、不運な人々は、神との友情を失いつつあります。神と友達になるのは容易なことではありません。しかしあなたは、この方向に、あらゆる努力を傾注すべきです。いったん神と友情を培うことができれば、サーダナ(霊性修行)を通 じてそれを最大限に活用しなければなりません。おしゃべりをして時間を無駄 にしてはなりません。

愛の化身である皆さん!

常に真実を語りなさい。あなたはきょう、このことを学ばなければなりません。真実はあなたの人生の基盤です。まことに、真実こそが神なのです。ですから、決して真実の道を外れてはなりません。

学生の皆さん!

皆さんは、ここで教育を受け、今までスワミの教えを聞いてきたからには、自己変革を遂げて理想的な人間になるべきです。遠い外国に住む人々は、ここに来る機会が巡って来るのを待っています。神の居場所にいつも住むという神聖な機会に恵まれた以上は、それを最大限に活用しなさい。決してきつい言葉を使ってはなりません。決して嘘をついてはなりません。ときには、真実を語ることが危険につながる場合があります。そのような状況では、真実も嘘も語らずに、沈黙していなさい。皆さんは真実と非真実という二元性を超越しなければなりません。皆さんは青春の絶頂期にありますから、真理の道を歩き出すのに、今が最適の時です。早いうちに出発して、ゆっくり運転し、無事に目的地に到着しなさい。

私は、自分の誕生日を祝うことに、まったく興味がありません。帰依者たちがこの機会にさまざまなプログラムを準備したいと希望しました。しかし、私はそれを許可しませんでした。皆さんがここにたくさん集まって来たので、この会合が行われているのです。そうでなければ、私はこのような会合を持つことにすら興味がありません。私にとっては、毎日が祭日です。私は常に至福に満ちています。私は永遠の至福の化身です。どのような種類の至福でしょうか? それは、他の人が与えることのできるようなものではありません。私は、他者が至福を与えてくれるのを待つようなことはしません。私の至福は、内側から湧き上がってきます。

ニッティヤーナンダム、パラマ スカダム、ケーヴァラム グニャーナムルティム、ドゥワンドゥワーティータム、ガガナ サドゥリシャム、タットワマシヤーディ ラクシャム、エーカム、ニッティヤム、ヴィマラム、アチャラム、サルヴァディー サークシーブータム、バーヴァーティータム、トゥリグナラヒタム

神は永遠の至福の化身である。彼は絶対の英知であり、唯一無二の存在であって、二元対立を超えており、空のように限りなく広がり、すべてに満ち満ちている。神はタットワムマシ(汝はそれである)という大格言によって示されている目標であり、永遠、純粋、不変であって、一切の知的条件と三つのグナ(浄性≪安らかさ=純粋さ)・激性≪激情=活動)・鈍性≪慣性=怠惰)という三つの徳性)を超えて、知性のすべての働きを照覧する者である

私はすべての特質を超越しています。皆さんが信じるかどうかは別 として、私は至福の化身です。あなたがもしそれ以外の考え方をするならば、過ちはあなたの側にあります。私がすることは、何であれ、あなた自身のためであり、あなたの繁栄と幸福のためなのです。至福に満ちた、穢れのない生活を送りなさい。それが、私が皆さんに望むことです。いついかなるときにおいても、私には心配や苦しみがありません。私がすべてを持っているというのに、何を心配しなければならないのでしょうか? 私にはまったく欲望がありません。私が何を言っても、何をしても、それは、私にとってではなく、皆さんにとって良いことなのです。私は皆さんのためにやって来ました。ですから、私を十分に活用しなさい。皆さんが神聖な思いを培うかぎり、私はいつでも用意ができています。神聖な生活を送りなさい。

ときには、私が皆さんに話しかけないことがあります。皆さんは、「私たちは何か過ちを犯したのかもしれない。だからスワミは私たちに声をかけてくださらないのだ」と考えます。しかし、実を言えば、私には他者の欠点を探す性質はありません。私の視力は非常に神聖です。私は常にあなたの中の善を見ます。あなたが見る悪は、あなた自身の想像の産物です。あなたの中に悪があるために、あなたは他者の中にそれと同じものを見ているのです。しかし私には、悪さえも善に見えるのです。ですから、スワミに関して、いかなる疑いももたないようにしなさい。「疑いをもつ者は滅びます」堅い信仰をもちなさい。

愛の化身である皆さん!

客人を歓迎し、しかるべき敬意を払いなさい。すべての人に愛を与えなさい。腹をすかしている人々に食物を与えなさい。そうして初めて、皆さんは心の平安を得ることができます。思いと言葉と行動を調和させなさい。これ以上に高度の英知は存在しません。リタム(過去・現在・未来を通 じて不変のもの)を実践しなさい。これがターラカム(解脱)の道です。もしあなたの心が、ときおり大きく揺れるようであれば、あなたは大変不幸な人です。不安定さは、モンキー マインド(サルのような心)の特徴です。皆さんは人類の一員です。人間として生まれたからには着実な心を培うべきです。人類はターラカムを象徴しています。モンキー マインドは、マーラカム(束縛)を代表するものです。

愛の化身である皆さん!

この降誕祭の日に、皆さんは非常に大切なことを学ばなければなりません。おしゃべりをして時間を無駄 に過ごしてはなりません。いったん失われた時間は取り戻すことができません。真実を神と見なしなさい。「真実を守ることよりも偉大なダルマはありません」(サッティヤンナスティ パロー ダルマハ)。ですから、真実の道を守り、正しい行いを実践しなさい。

バガヴァンは、「サッティヤ ダルマム シャンティ プレーマラト」というバジャンで御講話を締めくくられました。

(了)

 

出典:http://www.sathyasai.org/discour/2002/d021123.html
((C)Sri Sathya Sai Books & Publications Trust, Prashanthi Nilayam)

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