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厳格に真理の道を歩んだハリシュチャンドラ王も、 (テルグ語の詩) 人は生まれたとき何も携えてはいません。人はこの世での滞在の間にあらゆるものを集めます。皆さんが持っているお金、財産、貯蓄はすべて、生まれたときに持っていたものでもなければ、死んだ後に持って行けるものでもありません。そうであれば、自分の富や財産や貯金を失ったとき、泣いて悲しむ理由はどこにあるでしょう? 生活のあらゆる瞬間に神を思い起こしなさい人は、泣いたり、わめいたりするために生まれてきたのではありません。人は幸せな人生を送り、また、この世を幸せに去るべきです。なぜ、一時のはかないものであるこの世の所有物のことを心配する必要があるでしょう? 人間にはそのような心配はふさわしくありません。すべてを神からの贈りものであると見なしなさい。ヴィヤシティ(個人)とサマシティ(社会)とスルシティ(森羅万象)とパラメーシュティ(神)との間の関係を理解しなさい。森羅万象は神から生じたものであり、社会は森羅万象の一部です。個人のいない社会はありません。ですから、個人がとりわけ重要です。こうした森羅万象は神からの贈りものです。ところが、私たちは神を熱望し、神のために泣くことがありますか? 一時の、永続しないこの世の物事のために泣くのは、人間の特徴ではありません。この世の物事はすべて、来ては去る、流れ行く雲のようなものです。時たま、厚い雲に覆われて、太陽や月が見えないことがあります。でも、心配する必要はありません。いくらか待てば雲は去り、太陽や月がまた見えるようになります。必要なのは、少しの辛抱と忍耐です。 忍耐はこの神聖なバーラタの国〔インド〕の真の美 (テルグ語の詩) 人は大きな力を授けられており、全宇宙に、人が保有しているほどの力を有している者はいません。この理由から、神もまた、人間の姿をとって化身するのです。 ダイヴァム マヌーシャ ルーペーナ 神よりも偉大な者は存在しません。ですから、神を忘れることは、まさに神への 地上を支配した王や皇帝は皆、手ぶらでこの世を去りました。王たちは草の葉一枚すら携えて行くことはできませんでした。生きている間、私たちはこの世の物事や人々との関係を保ちます。けれども、こうした関係はすべて、この世を去るときに終わります。実に、こうしたあらゆる関係は私たちが自分で作っているものです。こうした関係に夢中になるべきではありません。私たちは幸福で至福に満ちた生活を送るべきです。人生は喜びの祝祭です。この喜びとは、ジョイ・アイスクリーム〔インドのアイスクリーム〕のことを言っているのではなく、人の 行為の結果を放棄せよ人間の体は五大元素で出来ており、いつかは朽ち果てるものです。人々は子どもが生まれると幸福を感じ、だれかが死ぬと悲しみます。決して悲しみに シュレーヨー ヒ グニャーナム アビャーサト ( 〔バガヴァッド・ギーター12章12節〕 人間性はすべての行為の結果を放棄することにあります。人に苦しみをもたらすものは、結果への期待です。結婚する前、人は一人で、自分の二本の足でまっすぐに歩きます。結婚した後は、もう二本の足を持ちます。子どもが生まれると、実質的には六本足の生き物になります。足が増えるにつれて、悲しみも増えていきます。人が被るこうしたあらゆる苦しみは、神によって与えられたものではありません。それは自分自身の愚かさの結果です。起こることはすべて自分にとって良いことだと考えるようにしなさい。そうした前向きな思いで人生を歩むなら、悲しみがす隙き入る余地はなくなるでしょう。 毎年恒例のスポーツ文化祭がちょうど終わりました。皆さんがスポーツで行ったことはすべて、皆さんの中から生じたものであって、外側の源から生じたものではありません。皆さんの幸せや悲しみは、皆さんの中から何が生じるかによります。この世のものはすべて、皆さん自身の思いが創り出したものです。皆さんはここにどれくらい長く留まることができますか? 皆さんは自分に課せられた役割が終わるまで、この世に留まります。その後は、すべてを置いて、行かなければなりません。ですから、この真理を認識し、それに従って行動することが絶対に必要です。この世に永遠のものは何もありません。それゆえ、そのように来ては去っていく一時の物事について、心配する必要はありません。だれかの死を嘆き悲しむ必要もなければ、だれかの誕生を大喜びする必要もありません。今日だれかが生まれても、明日その子に何が起こるかはわかりません。実に、昨日も今日も明日も、すべては同一です。何の違いもありません。それと同じように過去も現在も未来も同一のものですが、三つの時間における私たちの体験は異なります。過去をくよくよすべきではありません。過去は過ぎたことであり、戻ってはきません。未来は不確かです。一方、現在は単なる現在(presentプレゼント)ではありません。現在は遍在(omnipresentオムニプレゼント)です。この遍在には、過去も未来も含まれています。ですから、過去も現在も未来も一つのものと見なし、至福を感じるようにすべきです。 心配は捨てよ愛しい学生の皆さん! 世俗的なレベルで体験することはすべて、流れ行く雲のように一時のものであり、現実のものではありません。そうした一切を心配すべきではありません。皆さんは人生という旅を前進して行かなければなりません。前に進んでいるからには、後ろを見る必要がどこにありますか? 過ぎたことはすべて、自分がすでに見たことです。このようにして、過去と現在と未来は来ては去っていきます。それゆえ、決してこの世界の何についても心配しないようにしなさい。けれども、中にはとても心配性な人たちもいます。皆さんの多くは勉強のことを心配しています。他には、家族のことを心配している者もいます。たとえば、以前はいっしょにいてくれたのに、今は自分一人残して逝ってしまったと考えて、夫の死を嘆き悲しむ女性が大勢います。生まれた者はいつかは必ず死ぬ運命にあります。過去にも現在にも未来にも、すべての時に存在しているのは神のみです。人々は自分の想像によって、名前や姿に惑わされています。そうした想像を捨て、すべては一つという原理を理解しなさい。皆さんは新しい年が始まったと思っています。では、この新しい年はどこから来たのですか? 古いものがなければ、どうやって新しいものが存在し得るでしょう? 新しくなったものは古いものであり、時間の経過と共に、新しいものは古くなります。古いとか新しいといったものは、物と鏡に映ったその物のようなものです。ですから、こうした事柄について心配すべきではありません。すべての心配と悲しみと困難を追い払いなさい。 試験が近づくと、「ああ、もうすぐ試験だ、僕はどうなるんだろう?」と考えて心配し始める学生たちがいます。このように心配すべきではありません。皆さんは何でも自分が学んだことを、答案用紙に書くことができます。勇気を持って試験に向かいなさい。決して将来起こることを案じてはなりません。勇気があれば何でも成し遂げることができます。勇気がなければ、すべてを失ってしまうでしょう。それゆえ、決して勇気をなくしてはなりません。勇気はエネルギーです。全宇宙の基盤である五大元素を形作っているのはエネルギーです。同じ五大元素が皆さんの中にあるのです。実に、すべては皆さんの内にあります。外から来たものは何もありません。ならば、外界で何かを探す必要がどこにあるでしょう? 人は六つの悪い性質のために苦しみます。それは、人を打ち負かしている、カーマ(欲望)、クローダ(怒り)、ローバ(貪欲)、モーハ(愛執)、マダ(高慢)、マーツァルヤ(嫉妬)です。皆さんはたくさんの欲望を持っています。自分の中にすべてがあるというのに、なぜ何かを欲しがる必要があるでしょう? 皆さんは自分の力でこの真理を理解すべきです。決して自分には何かが欠けていると考えてはなりません。すべては皆さんの内にあります。内側にあるものが外側に映っているのです。外に映って見えるものは、本当に皆さんの中にあるのです。ですから、心の中の清らかさを保つようにしなさい。そうして初めて、あらゆる努力が実を結ぶでしょう。自分の内側にある実在を忘れて、外側の世俗的な対象物を渇望するのは、大きな誤りです。 愛の化身である皆さん、学生の皆さん! 皆さんはさまざまな種類の知識を追求しています。けれども、皆さんの一切の知識の使い道は何ですか? 現代の教育は論争へと導くだけで、完全な智慧へと導いてはくれない (テルグ語の詩) 真の知識は内側から生じる受けた教育は、皆さんの行動と生活に反映しているべきです。加えて、そうした学識を欠いている人に知識を授けるようにすべきです。その知識は、皆さんの人類同胞が正しい道を歩む手助けとなるべきです。皆さんが学習したことは何でも、すべての人と分かち合いなさい。そうして初めて、皆さんの人間性が表出してくるでしょう。 自分の五感の力を伸ばすようにしなさい。それは皆さんが五感を制御しているときにのみ、可能です。しかし、今、自制はどこにも見られません。私たちは五感を野放しにしています。商店街に行けば、何でも見ています。五感の制御は、勉強のためだけでなく、生活の中での理想的な振る舞いのためにも必要不可欠です。神が皆さんに五感を与えたのですから、五感は正しく使いなさい。五感の制御なしに、プシュティ(体力)とサントゥシュティ(幸福感)を得ることはできません。神が皆さんに五感を与えたのは、他の生き物と同じようにただ勝手気ままにこの世にあるものを楽しむためではありません。同じことは鳥や動物や小さな虫さえしています。子どもを作って子育てをすることは、蟻にもできます。人は家族を養うためだけに多くのお金を蓄える必要はありません。すべての生き物を創造した者には、すべての生き物に生計を与えることもできるということを、人は信じているべきです。ですから、皆さんは食べ物や生活必需品のために心配しすぎる必要はありません。 人々はただ高額の給料を稼ぐためだけに外国に行きます。そして、そこで月に五千ドルという、インドの通貨に換算すれば何十万ルピーものお金を稼いでいるかもしれません。けれども、海外での五千ドルよりも、私たちの国の中での五百ルピーのほうがずっと価値があります。(大拍手)。皆さんは海外で多くのお金を稼ぐかもしれませんが、失うものは得るものよりも大きいのです。たくさんの人々が、たくさんの欲を抱えて外国に行きます。しかし、外国にあるものは何ですか? 実に、皆さんは外国に行くと寛大さを失います。ですから、外国に行く必要はありません。ここにいて、両親に奉仕し、良い方法で子どもを育て、子どもたちにインド文化のすばらしい思想を教えなさい。それが本当の教育です。教育とは何ですか? 読み書きができる人を教養のある人と呼べますか? いいえ、決して呼べません。体験で得た知識がなければ、皆さんの教養まったくゼロということです。すべての知識は皆さんの中にあります。外にあるのではありません。教師は単なる書物の知識を教えるだけです。一方、本当の教養は皆さんのマスタカ(頭)の中にあるのであって、プスタカ(本)の中にあるのではありません。本は情報集めに役立つのみです。 識別力を育てよ単なる情報集めに時間を無駄にしてはなりません。皆さんは、眠ることさえ忘れて、日夜勉強しています。そういうやり方では健康を損ないかねません。所定の時間にだけ勉強するようにしなさい。必要なことだけ読みなさい。必要でないことを読んで時間を無駄にしてはなりません。人々はあらゆるところから本を手に入れます。また、本という名の付いたあらゆるゴミを道端で買っています。それは皆さんが読むべきものではありません。皆さんはまず、映画のストーリーといったゴミのような作品を読むことで頭に溜め込んだがらくたを、すべて捨てるようにしなさい。そういった無益な本を読めば、皆さんに対する敬意も評判も失われるでしょう。どんな新聞でも開いて見てごらんなさい。映画の写真と宣伝であふれています。そこから得られるものは何もありません。本当の教養は皆さんの内なる声から生じます。それこそ、皆さんが従うべきものです。良心の声に従うなら、真の人間性を得るでしょう。 皆さんは、人間の姿をしているからというだけで、自分を人間と呼ぶことはできません。足や手や目や鼻や口等々を持っているからというだけで、人間になれるわけではありません。手足は小さな虫でさえ持っています。私たちは虫のように生活を送るべきですか? いいえ、送るべきではありません。私たちは人生に高い理想を掲げるべきです。皆さんの振る舞いは真の人間性と文化を反映するものであるべきです。皆さんの真の文化は、理想となるべきものです。文化は、何をすべきか、そしてそれをどのようにすべきかを教えています。何が良くて何が悪いかを教えてくれるのは文化です。自分は人類というカーストに属しているということを思い起こしなさい。皆さんの真のカーストは、自分が生まれたときに手に入れたものではありません。皆さんの真のカーストは人類というカーストです。これは決して変えられることがありません。この真理を大切に 親を幸せにせよ自分を産んで、育ててくれた親の気持ちを決して傷つけてはなりません。そのため、ヴェーダは次のような指示を与えているのです。 マートル デーヴォー バヴァ ところが、最近の子どもは、親の面倒を見ずに、自分の妻が一番大事だと考えています。そして、あらゆる苦労に耐えながら、自分を九ヶ月の間お腹の中で育ててくれ、産んでくれ、養育してくれた母親を忘れているのです。皆さんは妻を愛しているかもしれませんが、親のことも思いやりと敬意をもって扱うべきです。一番に親を大切にすべきです。親以外の関係は二の次です。何よりもまず、自分の母親を愛し、母親の言うことを聞くべきです。母親を幸せにして、初めて人生は幸福で平安に満ちたものになるでしょう。母親が泣けば、皆さんは必ず人生で苦しむことになります。母親を幸せにするなら、皆さんの一生は幸福で満たされるでしょう。残念なことに、今、母親の愛に気づいていない人が大勢います。母親が何か言ってくると、自分は何でもわかっているのだから黙っているようにと口答えします。そして母親に、「僕はたくさんの学位を取ったんだ。こんなに多くの学位を持っている僕に、知らないことなんかあると思うの?」と言うのです。皆さんは多くのディグリー(学位)を持っているかもしれませんが、それによって得た知識は、わずかな科目に限られたものだけです。日常生活のためのディグリー(身分)はどこからもたらされましたか? 皆さんの両親からです。(大拍手)。どれほど高い学位を持っていたとしても、まず母親に奉仕し、母親を幸せにしなければなりません。そうして初めて、あなたの人生は幸せなものとなり得ます。自分が学ぶべきことをすべて学び、日々の生活において自分の義務をすべてきちんと果たすようにしなさい。このメッセージは、皆さんへの私のプレゼントです。 絶えず神の御名を唱えていなさい。神の御名を唱えることで与えられるものは何でしょう? 御名を唱えることは平安と幸福を与えてくれます。 ハリ バジャナ ビナ スカ シャーンティ ナヒン・・・ バジャンをすると、皆さんはどれほど幸せになり、平安に満たされるでしょう! バジャン以外の歌や詩にこの平安や幸福感をもたらすことはできません。ですから、バジャンはきわめて重要です。皆さんはバジャンに参加するために集まってきました。一つになってバジャンを歌うことを、身につけるべきです。まず自分が歌い、それから他の人に自分といっしょに歌うように言いなさい。そうして初めて皆さんは本当の平安を得るでしょう。 ジャパ ディヤーナ ビナ サンヨーガ ナヒン とりわけ重要なのはバジャンです。声に出して歌うことがためらわれるなら、心の中で歌ってもかまいません。けれども、人々はその程度のことさえしていません。これは良くありません。何を忘れてもかまいませんが、決して神 翻訳:サティア・サイ出版協会 |
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