サティヤ サイ海外より

       
ニュージーランドの刑務所にて

 私はピーター フィップスと言います。これは私がニュージーランドの刑務所 で牧師として体験したお話です。私は大学で心理学を専攻し、修士号を取得し ました。体験実習として、1961年に見習い期間を過ごした後、1962年 に刑務所つきの精神分析医として迎えられました。しかし、私はこの仕事を好 きになれませんでした。刑務所での仕事は、服役囚の更正、矯正、変容という 大きな形式的な目的がありました。それは、否定的な考えと、破壊と、怒りと、 他人の悪意を喜ぶ温床でした。私は打ちひしがれ、幻滅を感じて1968年に 退職しました。

 勤務していた期間中、私はニュージーランドにおける刑務所のポリシーとや り方を、一定の皮肉な態度と失望を持って観察してきました。そして、政治家 の仰々しいステートメント(声明)や公的な表明は真実からほど遠いものだと いうことを知らされました。

1975年頃、私はアメリカから来たヒッピーからスワミ(サイババ)のこと を聞きました。しかし、一度はLSDや他の麻薬に浸っていたことのある人の言 うことなので、「生身の肉体を持った神」に出会ったと言う彼の言葉には疑いを 持っていました。とはいえ、彼は私に光の瞑想を教えてくれました。この瞑想 は、大変肯定的なもので、やがてわかりますが、それは後で大きな助けになる ことになります。この瞑想はフィリス クリスタル女史の教える瞑想によく似て いました。

私は長年に亘ってキリスト教の教会で積極的に活動しました。働いていた救世 軍(伝道と社会福祉に力を入れているキリスト教団体)の関係で、1990年 に二人のアメリカ人による犯罪被害者サポートの為のコースを受講しました。 このコースには、大量殺人事件に対するカウンセル(助言・指導)の仕方を教え る半日ワークショップが含まれていました。受講者たちは皆、大量殺人等はニ ュージーランドでは起らないと言って授業を受けることに抵抗しました。しか し、講師たちはこれはコースの一部だから受講するようにと主張しました。

 10日後、南島(ニュージーランド最大の島)の小さな村落のアラモアナで 大量殺人が起りました。私は、今、従事しているすべてのことを置いて、生存 者と地域の人々のケアーをするチームに参加しないかという問い合わせを受け ました。私はこの仕事にかなりの不安を感じましたが、スワミの恩寵で、最近 このような事件に対処する為のトレーニングを受けたばかりでした。これは単 なる偶然でないことは明らかでした。飛行機で現地に向かう途中、私は霊的な 保護とサポートと神のご加護を得るために、いつも使っている瞑想を始めまし た。なぜなら、自分の力だけでこの大役を果たすことは到底不可能だったから です。すぐに、私は愛と英知の力強い存在を感じ、私たちの周りにエネルギー の強力な流れを感じました。このエネルギーは私たちが今回の仕事をしている 間、途切れることなくずっとそこに留まっていました。チームの三人全員がこ のエネルギーを感じ、同じ体験をしました。そしてすぐに、私たちは、目の前 で多くの癒しの奇跡を目撃することになりました。

 この出来事の後、神に感謝の祈りを捧げていたとき、私は内なる声を聞きま した。「私はお前が知っているより偉大である、私を探し、私を見つけなさい」 私はイエスキリストに関して、何か自分が知らないことがあるのではないかと 探し始めました。まず、本屋で「ニューエイジ」(今までの物質中心主義ではな く、これから来ると言われる精神世界を中心とした時代)タイプの本から始め ました。そして、数分程すると、一冊の本が、まるで自分で飛び込むように私 の手の中に落ちてきました。

 それは、リチャードとジャネット ボックが書いた、”The Jesus Mystery” (キリストの謎)という本でした。この本は最初、キリストの生涯に注目し、 その後、スワミ(サイババ)について説明していました。私は自分が探してい たものを見つけたことがわかりました。しかし、私の科学者としての疑念が頭 をもたげ、最初、スワミが「自分は神である」と仰っていることが間違ってい ることを証明しようとしましたが、スワミには何の欠点も見つけることが出来 ませんでした。その後、私は何度もプラシャーンティ ニラヤムを訪れました。

 あるインタビューの中で、私は「どのようにしてあなたのメッセージをキリ スト教徒に伝えたら良いでしょう?」と質問しました。スワミは、「サイババの ことを教えるのではなく、キリストのことを教えなさい。ただし、イエスは普 遍的な愛を説いたということを皆に教えなさい」と言われ、愛の本質について、 「神ヘの愛だけがバクティ、すなわち帰依である」と結んだ美しいミニ講話を して下さいました。

「イエスは、人類の更正と福利の為に自分の命を犠牲にしました。今日(こんにち)、 信仰の違いを、自分たちの利己的な目的の為に大げさに言い、利用する人たちがい ます。彼らはそうすることで、霊的に偉大なそれらの宗教の創始者たちに汚名 を着せているのです。自分たちの信奉者に、他の信仰やその信奉者たちを嫌う ように説いた預言者や救世主は、誰一人としていません。

全ての宗教は、神は一つであり、それは、すべての人に内在する神性であると 宣言しています。イエスもまた、一つの『魂』が全ての生き物に内在している という真理を公言しています。」       ーサティヤ サイババ

 私は自分の教会で指導者として受け入れられ、キリストについて、スワミが 私に示されたように教えました。(中略)

あるとき、近くの刑務所で、信仰を基盤にした牧師のグループを立ち上げる ことになっており、講師と指導者を捜しているという話を聞きました。私は、 以前、刑務所でのあまり良くない経験があったので、今回はもっと肯定的な体 験を証明する素晴らしいアイデアだという希望を持ちました。そこで、その両 方の職種に応募し、2003年からニュージーランドの刑務所協力団体で働く ことになりました。

 他のチームのリーダーやファシリテーター(進行係)はどちらかと言うと原 理主義に近いキリスト教徒で、「神への道はキリストを通してのみ存在する」と 信じていたのに反し、私は、密かにもっと普遍的な教えを伝えるようにしてい ました。

 時折、カウンセルを受けるグループの中には回教徒や仏教徒がいました。私 たち牧師は、彼らをキリスト教徒に改宗させることになっていました。しかし、 私は、仏教徒にはキリストとブッダの教えが同じであることを指摘し、回教徒 にはセッションの初めに「アッラー ホ アクバール」(『アッラーは偉大である』、 と言う回教徒が必ず唱える言葉)を唱えて始めたいと思いました。バガヴァン ババの、「道は多くあるがゴールはただ一つ」という御教えから、私の目的はい つも、それがどんな御姿であろうとも、その人自身が受け入れている神へ一歩 踏み出すことを助けるものでした。

私たちのセッションは聖書を基盤として企画されています。そして、中には、 私が話すことのすべてに聖書の出典元を要求する人々がいました。また、通常 の聖書の枠を超えた質問をする人もいました。私はそれが霊的なことであれば、 どのような質問でも喜んで話し合いました。(中略)

 何人かの服役囚の中には、個人的に、キリストを越えた霊的な質問をする人々 もいました。その中には、過去生やカルマに関する質問もありました。私は答 として、様々なところから取ったそれらに関する資料を提供するようにしてい ました。中には名前こそ出しませんでしたが、スワミの御言葉も含まれていま した。執拗に、そして、誠実に質問して来る場合、スワミに関する本や御講話 のプリントを提供して質問に答えることもありました。

ガーヤトリー マントラは、人類最古の聖典であるヴェーダの中におさめられて いる普遍的な祈りです。それは、真理が損なわれることなく内に反映される為 に鮮明な知性を求める祈りです。  (Sathya Sai Speaks Vol.10, #109)

ガーヤトリー マントラは、あらゆる時代の、すべての教条とすべての地域の男 女から憧れを持って唱えられて当然の祈りです。このマントラを繰り返すこと により、英知が身に付きます。 (Sathya Sai Speaks, Vol.5, #58)


 服役囚の中に、ある男性がいました。ここでは彼をアーサーと呼ぶことにし ます。ある時、アーサーは大変鋭い質問を投げかけました。これはスワミの御 教えを参考にしなければ答えられないような内容でした。私は、スワミの御教 えの資料を提供し始め、アーサーはどんどん新しい資料を求めてきました。彼 は瞑想がうまく出来ないと言ったので、私はイギリスで出版された光明瞑想の 本を渡しました。それに続いて、ガーヤトリー マントラの資料と、スワミが1 08回ガーヤトリー マントラを唱えておられるCDを渡しました。彼は毎朝、 スワミと共にガーヤトリー マントラを唱え始めました。そして、すぐにスワミ は彼の独房を何度も訪れるようになりました。アーサーは自分の意志で菜食主 義者に転向し、刑務所の監督事務所と食事の変更について一悶着起こしたりし ました。

 バガヴァン ババと出会ったことによる突然の内的変容について、アーサーは 次のように説明しています。

「僕は、帰依者であるピーター フィップスからサティヤ サイババについて初 めて聞きました。ピーターは、僕が今、麻薬法違反の罪で服役しているニュー ジーランド刑務所で、信仰を基盤としたキリスト教のグループ・プログラムの ファシリテーターをしています。

ピーターに出会った時、僕は自分の存在についての意味と理由を見つけよう と決意していました。僕はピーターに、以前から持っていた霊的な質問に対す る情報がないかどうか尋ねました。彼は、スワミ(サイババ)の御教えの本と、 スワミについて書いた本を提供してくれました。

スワミの御教えを学び始めて、僕は本に書いてある普遍的真理にショックを 受けました。このため僕は、スワミに関してもっと知りたいという気持ちにな りました。大変恵まれていたことに、ピーターは僕の質問にいつも親切に答え てくれました。スワミとの体験について、僕は彼と長い間話しました。これが、 すべての始まりです。

刑務所に収監されていた僕には、勉強する時間も、瞑想する時間も、スワミ の御教えを実践に移す時間も沢山ありました。僕は、自分の人生を変容させ、 スワミの愛を培う助けを下さるよう、スワミに祈りました。僕の祈りと、人生 を変えて欲しいという願いに対し、大変感銘深い方法でスワミは答えて下さい ました。僕はスワミの愛に深く感謝しています。今思い返すと、スワミはいつ も僕と共にいて、常に保護して下さっていたことがわかります」

  アーサーの質問に答えるため、私は時々スワミの本や資料を持参していまし た。ある日、私はサナータナ サーラティ(サイオーガニゼーションの月刊誌) をコピーして、アーサーのために持って行こうとしていました。私はコピー機 に間違えて紙を挿入したため、1ページ目の文章の部分をだめにしてしまいまし たが、かろうじて、スワミのカラー写真の部分だけが無事に印刷されていまし た。スワミの聖なる御姿の写真を損なうことは絶対にしたくなかったので、私 はその写真をどうしたものかと思案していました。その日、約束した資料を渡 すために刑務所に行った時、アーサーは、「スワミの写真をもらうようにスワミ が言われた」と私に言いました。私は、スワミの写真を持っていると伝えまし た。アーサーは大喜びしました。それ以来、彼は写真と御言葉のために額を作 り、独房に飾っています。他の何人かの服役囚や守衛たちもその写真と聖なる 御言葉に気がつき、アーサーに質問してきました。職員や同僚の服役囚たちも その写真に引きつけられ、御言葉の英知に深く考えさせられたようです。

 去年のクリスマスの前、アーサーは3日間の断食をして空腹でした。彼は同 じユニット(区画)に服役している60人すべてにプレゼントするため、ヌー ドルを買いたいと考えていました。それには自分の持っているお金で足りるか どうか心配していましたが、やはり持っているお金では十分ではないことがわ かりました。

 アーサーには54人分のヌードルを買うお金しかありませんでした。そこで、 誰にプレゼントを渡さないかを考え始めました。断食の二日目、12月23日、 祈っていると独房が明るい光に満たされ、目を開けると、白いローブを着て、 血が流れ出ている手のひらを挙げたスワミが見えました。

 スワミはアーサーに、自分とイエスキリストは同じであると言われました。 イエスは肉体意識を超越していたので、十字架にかけられた時に痛みは感じな かったと話されました。スワミはアーサーに断食を続けるように、そして、も う空腹は感じないだろうと言われました。

 アーサーの心配事についてスワミは、すべての人に渡してあげるように、そ して、全員に行き渡るに十分なヌードルがあることを保証されました。アーサ ーは友人(ここではビルと呼ぶ)である、もう一人の服役囚に配る手伝いを頼 みました。ビルは、皆に行き渡るにはヌードルが足らないと指摘しました。

 にもかかわらず、ビルとアーサーが配り終えて再び集合した時、驚いたこと にすべての人がヌードルの包みを手にしており、更に11袋も残っていたので す。

 私はアーサーにこの体験に関する個人的な意見を聞きました。

「2007年の11月のある早朝、僕は独房でガーヤトリー マントラを唱えて いました。刑務所の看守が独房の鍵を解錠し始めた時、まだ108のマントラ が後30回程残っていました。僕はスワミに、看守がこの部屋に到着するまで にどうか全部唱え終わるようお助けください、と祈りました。

そのときの時間は7時15分でした。なんとか看守が来る前に僕はマントラ をすべて唱え終わり、時間を見ると、まだ7時15分でした。何が起こったの かわかりませんでした。まるで時間が静止したような感じでした。

この体験は、以前にスワミが僕の目の前に現れた時と共に、僕にスワミに対す る深い愛と帰依心を刻み込みました。

サーダナ(修行)を続けているうちに、スワミは何度も僕の独房に来て話し て下さいました。それ以来、僕は自分の人生の中に神の存在を感じるようにな りました。それはまるで、自分が属しているところに帰って来たような感じで した。

クリスマス前に、僕はキリストとスワミに対して抱いていた疑問を解決する ため、三日間の断食を行うことにしました。スワミが僕の面倒を見て下さるこ とはわかっていたので、自分の食事は喜んで他の人にあげました。断食の二日 目、12月23日(2007年)、僕はひどい空腹を感じ、空腹からの苦痛も味 わっていました。

 僕は独房でひざまずいてスワミに祈っていました。そのとき急に自分のそば に力強い存在を感じたので、祈りを止めて目を開けました。驚いたことに、部 屋は輝く白と青色に光り、そこには白いローブを着て美しい笑みを浮かべたス ワミと自分しか存在せず、他のすべては消えてなくなっていました。この瞬間、 僕は自分という感覚を失っていました。スワミは手を上げ、その手のひらから は血が流れ出ていました。スワミは何の声も出さずに僕に話しかけられました が、僕にはすべてを理解することが出来ました。

スワミは、ご自分とキリストは同じであると言われ、キリストは十字架にか けられた時、肉体意識がなかったので何の苦しみもなかった、と言われました。 スワミは僕に断食を続けるように言われ、これ以上、何の空腹感も、空腹から 来る痛みも感じないだろうと言われました。(これは事実でした)

この出来事が起こっている間中、何の時間の感覚も、肉体の感覚もありませ んでした。この体験がどれくらいの時間続いたか僕にはわかりません。スワミ が去られた後、僕は独房の自分の肉体に戻りました。何の感覚もありませんで したが、ただ完全な変容と喜びを感じていました。

2007年のクリスマスも間近なある日、僕は同じ区画に服役する兄弟たち に、袋入りのヌードルをプレゼントしようと思い立ちました。僕は以前から刑 務所で得た労賃でヌードルを買っていました。しかし、刑務所で得たささやか な労賃の蓄えをすべて犠牲にしたとしても、この区画の全員にプレゼントする には足りないのではないかと心配していました。

僕は、一番親しい友達であるビルと自分はヌードルはなしにすることにしま した。クリスマスの日の朝、僕はビルを呼んで、皆にプレゼントを配る手伝い をしてくれるように頼みました。僕たちはこの贈り物を祝福して下さるようス ワミに祈りを捧げ、自分たちはその祝福された贈り物を配る道具に過ぎません、 と祈りました。僕はビルにヌードルの束を渡し、皆に配ってくれるように、で も、皆に行き渡るだけのお金がなかったので、ビルの分はないと告げました。

残りの半分は僕が配りました。ビルと僕は戻って来て驚きました。すべての人 にヌードルが行き渡ったのみならず、まだ11袋も残っていたのです!

説明がつきませんでした。すぐに、僕はスワミがヌードルを増やされたのだ と気がつきました。僕はこのスワミの愛と全能と遍在の力に感激しました。 一緒にプレゼントを配ったビルもスワミが贈り物を増やされたことに気がつ きました。そして、この体験を通じてビルはスワミの帰依者になりました。 また僕は、神の力によって増やされたこれらの食物を食べた多くの人々に、劇 的な性格の変容があったことに気がつきました」。  (中略)

 私は気をつけなければなりません。なぜなら、イエスの教えのすべてが含ま れ、それを実証しているスワミの普遍的なメッセージに対して、人々は限定さ れた理解しか持っていないからです。同僚のファシリテーターたちは、私がキ リスト教ではない宗教や哲学を助長していると誤解する可能性があります。多 くの看守や服役囚たちが、私たちが教えることになっていた「イエスのみが救 いの道」より、広い普遍的な真理へ心を開いているのは興味深いことです。

私は、スワミがこの仕事に大きな恩寵を与え、刑務所の中においても、また 釈放された後においても、スワミのメッセージの偉大な使者となるために人々 を教育なさっているのだと確信しています。

「そこで、王は右側にいる人たちに言う。『さあ、わたしの父に祝福された人 たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。 お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲 ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、 牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』

すると、正しい人たちが王に答える。『主よ、いつわたしたちは、飢えておら れるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し 上げたでしょうか。いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられ るのを見てお着せしたでしょうか。いつ、病気をなさったり、牢におられたり するのを見て、お訪ねしたでしょうか。』

そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小 さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』 マタイ伝25章:34節?40節


「人への奉仕は神への奉仕です」 ーババ
H2H2008年3月号より
詳しくは下記のURLでご覧になれます(英文)。 http://media.radiosai.org/Journals/Vol_06/01MAR08/04-newzealand.htm



(C) 2010 Sathya Sai Organization Japan