Special Interview  
 

サファヤ医師へのインタビュー

ワールドスペース「サイ・グローバル・ハーモニー」より

 
  Pink Line  
 

オーム シュリ サイ ラム

こちらはラジオ サイ グローバル ハーモニーです。バガヴァン シュリ サティア サイ ババの御教えと普遍なる愛のメッセージを日々お届けしています。
ここでサファヤ医師へのインタビューをお送りします。サファヤ医師はプラシャーンティ グラム キャンパスとホワイトフィールド キャンパスのシュリ サティア サイ高度専門病院院長です。聞き手は、シュリ サティア サイ大学前副学長、G・ヴェンカタラーマン博士です。


ヴェンカタラーマン:サイ ラム。

サファヤ:サイ ラム。

ヴェンカタラーマン:サファヤさん、ラジオ サイのスタジオへようこそ。いうまでもなく、我々は皆サファヤさんのことをよく存じ上げています。ですから、正式なご紹介は無用でしょう。しかし、我々が、そしてほとんどの人が知らないことは、たとえば私も知らないのですが、サファヤさんがどういうきっかけでスワミのもとにいらしたのかということです。きっかけとなる経験は人によってさまざまです。サファヤさんは何がきっかけでスワミのもとにいらっしゃるようになったのですか?

サファヤ:私がスワミのもとに来るようになったのは、私が人生における霊的な側面 に思いをはせていたという純粋な理由からです。私は二つの素朴な疑問に対する答えがほしいと思っていました。その疑問とは「神は、あるいは神性は、存在するのか?」、そして「もし神が存在するなら、どうやって見つけるのか?」というものでした。なぜなら、もしこの二つの質問に対する答えがイエスということであれば、その後すべき仕事は非物質的なものになりますし、背景がまったく異なってくるからです。

ヴェンカタラーマン:その疑問をずっともっていたわけですね?

サファヤ:ええ、子どものときから、ずっともっていたと思います。そして、私は多くの人々、それもヒンドゥー教徒だけでなく、あらゆる宗教の聖者、霊的な人々、純粋な宗教家たちに会いました。そして、唯一私の心をとらえたのが、バガヴァン シュリ サティア サイ ババだったのです。それから、私はハワード マーフェットの『奇跡が生まれる』(1) を読みました。この本はヒンディー語で書かれていましたが、私はヒンディー語があまり分からないので、小中学生が読むように読んでいました。

ヴェンカタラーマン:その本が英語でも出版されていることをご存知なかったのですか?

サファヤ:ええ、その時は。友人からその本を借りたのですが、友人は「奥さんに渡して、声に出して読んでもらったらいいですよ。そうすれば1週間程で読み終えられます。そうしたら本を返してください」と言いました。そうして私は読み始めました。読み始めたのは朝で、朝食の時間でした。読み始めると、自分がどこにいるか、何を読んでいるか、その日は何の用事があるのか、といったことなど完全に忘れてしまいました。私は病院での仕事がありましたし、そのころは教鞭も取っていました。その本は、強く私の心をとらえる、たいへん興味深いものでした。それだけでなく、私は読み進めるに従って、スワミへの恋に落ちました。

ヴェンカタラーマン:サファヤさんにとっての時が来たということですね?

サファヤ:そうです、私にとっての時が来たのです。ちょうど鍵と錠前のように、本は私の心を開いてくれたのです。本を読み終えたとき、ついに私は待っていた人を見つけたのだということがわかりました。

ヴェンカタラーマン:それで「彼」に会いたいと思ったのですね?

サファヤ:ええ、「彼」に会いたいと思いました。

ヴェンカタラーマン:そして、ここにやって来たのですか?

サファヤ:私はバジャンなどに参加し始め、それから、ここ(プラシャーンティ ニラヤム)にも来るようになりました。そう、それは1984年のことでした。私はバガヴァンに「ここには総合病院があります。この数日間、私がそこで仕事をするというのはいかがでしょうか? 私にはダルシャンの合間に十分な時間があります。」とたずねました。するとスワミは、「いいえ、いけません。そのうち時期が来ます。そうしたら、あなたに何をすべきかお話しましょう。」とおっしゃいました。

ヴェンカタラーマン:1984年ですか?

サファヤ:84年です。

ヴェンカタラーマン:(プッタパルティに高度専門病院ができる)7年前ですね?

サファヤ:そうです。それからスワミは、「私は世界中の医師たちの会合を開き、その会合で何をすべきかを決定します。その時まで待ちなさい。」とおっしゃいました。

ヴェンカタラーマン:すばらしいですね! そう言われた時、どう思いましたか?

サファヤ:それは私の初めてのインタビューで、実を言うと、私は少し狼狽していました。すべてを受けとめきれませんでした。私は、喜びと、愛と、さまざまな感情でいっぱいになってしまい、もはや理解することはできませんでした。それ以来、私は「私の役目は何なのか? スワミが私にとお考えになっているものは何なのか? 医師たちの会合はいつ開かれるのか?」ということを考え続けました。私は病院が設立されることなど、まったく想像もしていませんでした。

ヴェンカタラーマン:そのようなことをだれが想像したでしょう? だれも想像していませんでした。

サファヤ:ええ、だれも。それから、ある日私がデリーの病院で机に向かっていると、「すぐにホワイトフィールドに来るように」という電話が、突然かかってきたのです。

ヴェンカタラーマン:それは何年のことでしたか?

サファヤ:1990年です。1990年の初めでした。そして私は、「プラシャーンティ ニラヤムに高度専門病院を設立するために、バガヴァンが国際委員会を発足させました。あなたはその委員会の委員長です。」と言われたのです。私は突然のことにすっかり慌てふためいてしまいました。

ヴェンカタラーマン:サファヤさんは忘れてしまっていても、スワミは覚えていらしたのですね?

サファヤ:ええ、スワミは覚えていらしたのです。そこで、私はすぐに飛行機に乗ってホワイトフィールドに行きました。スワミはホワイトフィールドにいらっしゃいました。私は飛行場でティグレット氏(2) とジョーガ ラオ氏と落ち合い、車でまっすぐアシュラムに連れて行かれました。そして事は始まったのです。私はすでにアシュラムに到着していた大勢の医師たちに会いました。インド国内からだけでなく外国からの医師たちもいました。その多くは、名前はよく知っていましたが、会ったことはありませんでした。それがその国際委員会でした。

ヴェンカタラーマン:それから、最終的に1991年に病院ができたときに、プッタパルティに移っていらしたのですね。さて、大都市の大病院から村に移って、すいぶんと様子の異なる病院で仕事をするというのはどんなものでしたか?

サファヤ:ある意味で、それは大きな挑戦でした。何でも手に入る大都市から160キロも離れた、何もない場所に病院を設立するのです。ですから、人々の間の完全なチームワークが必要とされました。リストを作り、クギ1本でも用意しそこなうことがないようにしなければなりませんでした。本当を言うと、「僻地」に病院を設立するということを飲み込めるようになるまでは、しばらく時間がかかりました。病院の隣の家は、今でもわらぶき屋根の小屋です。村人にとっても、自分たちチームにとっても、基本的な設備が整っていませんでした。建築計画に携わる人々も、技術者にあれこれと指示する人々も、みんなL & T建設会社の食堂で肉体労働者たちといっしょにお茶を飲んでいたのを覚えています。そのような状況だったのです。それから徐々に物事の形が整っていき、私のチームの人たちも労働者も同僚たちも、周りの状況と考え方をだんだんと理解していきました。一つ言えることは、一人ひとりが多大なる献身をしたということです。病院とはどんなものかを知っている病院関係者だけでなく、金てこやセメントやブロックを運ぶL & Tの肉体労働者といった土木作業員さえもです。全員がよく働きました。この病院の気風は、定礎が行われた日に生まれたのではないかと思います。

ヴェンカタラーマン:言うまでもなく、スワミに感化されたのですね。そうでなければ挫折しかねなかったでしょう。

サファヤ:私だけでなく、皆そうでした。

ヴェンカタラーマン:スワミはよくおいでになりましたか?

サファヤ:スワミは頻繁にいらっしゃいました。1日に2度足を運ばれることもありました。

ヴェンカタラーマン:スワミはとても細かいことにまで気を配り、すべてを見て回られますね。

サファヤ:スワミはすべてにおいて指示を与え、勇気づけ、感化してくださいます。スワミが毎日おいでになるため、私たちは次の日の朝までに、少しでも状況が改善し、建設が進んでいることを示さなければなりませんでした。

ヴェンカタラーマン:サファヤさんはそれを完全にやり遂げて、この10年間をうまく切り抜けてこられました。今、思い返してみて、どのように思われますか? それはどのように映りますか?

サファヤ:あれはほとんど奇跡と言えます。ヴェンカタラーマン博士! 病院の落成式は(1991年11月の)22日に行われることになっていましたが、その2日前、私は絶望し、ベッドに伏せ、夜中の12時ごろ妻に「私はもうだめだ。病院は落成式に間に合わない。手術をするための無菌状態が整っていない。まだ科学的な準備が整っていない。私は主の信頼を裏切ってしまった」と言いました。そして私はベッドで男泣きしました。私はそれまでただの一度も妻の前で涙を見せたことがありませんでした。妻は驚いて、私を力づけ、「もし、あなたがスワミを神と信じているなら、スワミは何かしてくださいますよ。心配は要りません。神のサンカルパ(神聖な意志)は果 たされなければならないものですし、必ずや果たされるでしょう。」と言いました。そして、驚いたことに、病院は完成したのです。そしてスワミは、落成式が行われる22日の午前9時ちょうどに患者にメスが入れられる、と予告なさり、まさにその通 りになったのです。

ヴェンカタラーマン:それよりは小さなことですが、私も同じような体験をしました。私たちは今年(2001年)の11月23日にこのラジオ サービスを開始しなければなりませんでしたが、私たちがそのことを言われたのは直前のことでした。私はまさかそんなことが起こるなどとは思ってもいませんでしたが、そうなったのです。なぜなら、スワミがそう意志なさったからです。私にはそんなことが起こったなどとは信じられませんでした。

サファヤ:神のサンカルパですね。

ヴェンカタラーマン:そのようなマジックに押し流されるというのは、すばらしい体験です。

サファヤ:そして、それはスワミの物理的なインパクトでもあるのです。

ヴェンカタラーマン:そう、その通 りです。それがそのようなことを起こさせるのです。

サファヤ:そして、その人がスワミに対して抱いている思いが、それを起こさせるのです。また、それ以外にも、超自然的で神聖な何かがあるのだと思います。

ヴェンカタラーマン:そうですね。解決が困難に見えることも、どうにかこうにか、すべてうまくいってしまうのです。

サファヤ:実を言うと、インド政府は私の辞職を快く思っていませんでした。それを証明する書類もあります。全インド医学協会会長からの最終的な辞職願の授与通 知には、「不本意ながらサファヤ医師の辞職を承諾する」と書いてありました。「不本意ながら」という言葉が意味深長でした。会長は厚生大臣です。大統領や首相からの圧力があったにもかかわらず、会長は私の辞職を快くは思っていなかったのです。結局、私は最後の日にバガヴァンのところに行きました。病院長は私に、これ以上仕事を休んではいけない、今仕事をやめてはいけない、デリーに留まらなければならない、と言っていました。ですから私はバガヴァンに、すべてが上手く行かず、もう私の努力では解決できませんと告げました。私はバガヴァンに「もし、私がここ(プッタパルティ)にいることをバガヴァンがお望みなら、神のレベルでのバガヴァンの介入が必要です。」と言いました。バガヴァンは微笑んで、「心配要りません。あなたは2月1日に退職できます。」とおっしゃいました。

 1月31日の午後6時、私はその日定年退職する人のために送別 会を開いていました。その人は私の代行を務めてくれていた人でした。その席で厚生大臣が突然、おまえは本当に辞めたいのかと私に聞いてきました。私は「はい。これは私のグルの命令なのです。大臣のおっしゃることはそれはそれで正しいのですが、グルと弟子の伝統的な関係により、私はグルの命令に従わなければなりません。ですから、どうか辞めさせてください」と言いました。大臣はしぶしぶペンを取り「不本意ながらサファヤ医師の辞職を承諾する」という先の一文を綴ったのです。このことが起こったのは午後7時でした。私は厚生大臣に「病院長に電話をして、ここにいる私の代行者をやめさせないように頼んでください」と言いました。というのも、彼は私の後任にならなけばならないからです。そして私は、それがすんでから私を辞めさせてくださいと頼みました。午後8時、その人、ヴァルマ医師は、病院長から1年の定年任期を言い渡され、喜んで受け入れました。次の日の朝、私は退職届を提出しに行きました。この話を通 じて私が言いたかったことは、他のすべてが失敗に終わったそのときに、神のサンカルパ(意志)が働くということです。

ヴェンカタラーマン:すばらしいお話ですね。サファヤさんからこのお話をうかがい、この話が後世に伝えられることを嬉しく思います。さて、いささか現世的なことへと話が移りますが、プッタパルティの病院ではどのような治療が行われているかを話していただけますか? 病院は高度専門病院と呼ばれていますが、どのような専門技術を提供しているのですか?

サファヤ:バガヴァンは、病院を設立すること、そして、病院では心臓、脳、腎臓、肺、ガンの5つの専門分野を扱うことを発表なさいました。5つの分野のうち、バガヴァンはプッタパルティでの心臓の治療から始められました。それから腎臓の治療、そして、腎臓移植へと進みました。その後、眼科ができました。ですから今は、心臓と腎臓と眼の病気の診察と治療を行っています。あらゆる診察と治療はその分野の高度な専門技術を用いて行われています。そのため、設立から10年たった今でも、プッタパルティの病院はこれらの専門分野において全国でも最良の病院の一つとされています。

ヴェンカタラーマン:プッタパルティは現在でも比較的遠隔地です。先ほど、病院の隣の家は今でもわらぶき屋根の小屋だとおっしゃいましたが、それをお聞きして生じた質問があります。ここにやってくる患者はどのような人たちで、どこからやって来るのですか?

サファヤ:中流階級、中の下の階級、貧しい人々――あらゆる人たちです。その多くは村人たちです。

ヴェンカタラーマン:そういう人たちは、どうやってこの病院のことを聞いたのですか?

サファヤ:一つは、国中のさまざまな地域に拡がっているサティア サイ オーガニゼーションを通じてです。しかし、村人たちはたいへん貧しく、病院のことを知ったとしても、子どもや病人に治療を受けさせるためにここまでやって来るお金も意志も決断力もありません。ですから、これらすべての都合がついたとき、彼らはここにやって来るのです。朝早く病院の門の前で待っているのは、こういった人々です。

ヴェンカタラーマン:この病院で治療を受けた患者さんで、貧しく、切迫して治療が必要だった人の具体例を一つ挙げていただけますか?

サファヤ:実に、一番最初の患者さんのことを思い出します。手術の2日前に心臓カテーテル室がオープンし、外来病棟がオープンしたのはその2日前でした。診察は落成式の4日前に始まっていました。

ヴェンカタラーマン:そのとき、何人の患者が来ていましたか?

サファヤ:そのときは二十数名の患者がいました。その人はアナンタプールから来た男性でした。確か、ラジャシェーカール レディーさんといった名前だったと思います。

ヴェンカタラーマン:その人の歳はいくつでしたか?

サファヤ:15歳ぐらいだったと思います。年若い少年でした。少年の父親は小さな店の店主でした。少年は心臓に問題がありました。心臓に穴が開いており、大手術が必要でした。少年は一人っ子で、家族の唯一の希望でした。両親はひどく気落ちしており、また、本当に貧しかったのです。私たちは、手術が終わるまで父親がここに滞在できるよう、食料やお金の面 での援助を与えなければなりませんでした。ほとんどの患者がそのような状況です。病院がオープンした日に行われた4例の手術は、すべて成功し、合併症もありませんでした。その月に行われたすべての手術では、亡くなった人も、経過が思わしくなかった人もいませんでした。

ヴェンカタラーマン:病院がオープンした翌日の23日、スワミがヒル ビュース タジアムですべての手術は大成功だったと発表なさったことを覚えていますよ。

サファヤ:バガヴァンは一日早く病院においでになりました。先に申し上げたように、当時バガヴァンは1日に2度いらっしゃることもありました。バガヴァンは夕方にいらっしゃり、ヴィブーティを物質化して、手術を受けることになっていた患者すべてにお与えになりました。その人たちの術後の経過はとても良いものでした。ここで注目すべきは、そうした患者はだれも貧しい家の人で、水分不足、栄養不足で、低タンパクだったということです。血中のタンパク質の量 が不足しているのです。そうした人は、手術で切開された組織を修復する身体能力がとても低いのです。にもかかわらず、術後の経過がたいへん良かったのです。

ヴェンカタラーマン:よくバット医師がおっしゃるように、医者が切り、神が治すのですね。ところで、その後、その最初の患者さんにはお会いになりましたか?

サファヤ:はい。

ヴェンカタラーマン:いつのことでしたか?

サファヤ:今年(2001年)のスワミのお誕生日、つまり病院の10周年記念の日でした。彼は、10周年記念式があると聞いて、アナンタプールからやって来たのです。

ヴェンカタラーマン:どのような様子でしたか?

サファヤ:体格が良く、健康そうな、背の高い立派な青年になっていました。幸運なことに、その日はバガヴァンが病院においでになったので、彼に会っていただくことができました。

ヴェンカタラーマン:スワミは何とおっしゃいましたか?

サファヤ:スワミは青年に会ってたいへんお喜びでした。スワミはヴィブーティを物質化して与え、彼を祝福なさいました。

ヴェンカタラーマン:そういった人たちは、前からスワミの帰依者だったのですか?

サファヤ:いいえ、バガヴァンのことを知ってはいましたが、わざわざプラシャーンティ ニラヤムにやって来るほどの帰依者ではありませんでした。そうした人たちは、ただ毎日の生活を何とかやりくりしているという状態でした。

ヴェンカタラーマン:つまり、病院は本当にだれにでも門戸が開かれているのですね?

サファヤ:そうです、カースト、信条、肌の色、国籍、宗教に関係なく、だれにでもです。

ヴェンカタラーマン:遠方からの患者さんが来たことはありますか?

サファヤ:ええ、ありますとも。シッキム州(ネパールとブータンの間にある州)、ネパール、ブータン、さらにはマレーシアからの患者さんが来たこともあります。

ヴェンカタラーマン:本当に遠くからですね。

サファヤ:そうです。私たちのコンピューター システムでは、そのようにとても遠くから来ている人には何点かのポイントを加えています。スリ ランカからの患者さんが来たこともありますし、パキスタンから診察を受けにやって来た患者さんさえいました。

ヴェンカタラーマン:ここで、別 の質問をしたいと思います。スワミの学校の卒業生が、この病院や、バンガロールの病院で働いているのをご存知だと思います。このことについてどうお感じになりますか?

サファヤ:私はそうした人たちを、たいへん誇りに思っています。

ヴェンカタラーマン:私もです。

サファヤ:私の従業員の中でも、彼らは高い動機をもつ一団に挙げられます。バガヴァンは、この病院を設立することによって、心臓病で苦しむ人々がもっと手術を受けられるようにしているだけでなく、ここで行われていることを人類が見て教訓を得るための試みを行っているのです。試みの一つに、良い結果 を得るために、高い動機をもつ若者たちのグループを技術分野に投入するというものがあります。そうしたグループの人たちは、大学で学んだ各自の専門分野に長けているのみならず、医学も身につけ、医学に対する正しい認識も備えています。これらスワミの学生と呼ばれる人たちは、今現在、年少の医療スタッフへの指導役として働いています。

ヴェンカタラーマン:そうした動機は、基本的にスワミへの深い愛の気持ちから湧いてくるものだと思われますか?

サファヤ:それは、愛と尊敬と献身からわいてくるものです。彼らには、人生においてスワミ以外のものへの関心がほとんどありません。ですから、彼らは注意をそらされることがありません。彼らは結婚することさえ忘れているほどです。彼らのほとんどがそうです。

ヴェンカタラーマン:そして彼らは、仕事への献身と、患者さんに愛を与えることによって、スワミへの愛を表現しているのですね?

サファヤ:そうです。彼らは、バジャンに参加したり(ダルシャンホールの)ベランダへ行ったりという、外から見てよくわかる形で献身を表すことはほとんどありません。しかしその一方で、彼らは実際きわめて献身的であり、自分が扱っている機械、自分が扱っているシステムをよく管理し、自分が患者に対してなすべき仕事をよく行っているのです。

ヴェンカタラーマン:そういったわけで、サファヤさんは彼らの動機や献身を特別 に評価なさっているのですね?

サファヤ:その通りです。すべての優れた科学機関や病院にそうしたグループが作られる必要があります。先日、フィリップス社でトップのチームが、我々の心臓カテーテル室を見に訪れました。部屋を見た彼らはたいへん驚いて「このカテーテル室はできてから10年も経つのですか? 信じられません」と言っていました。今年で11年目に入りますが、それは今でもインドで最高のカテーテル室のうちの一つです。

ヴェンカタラーマン:スワミはどのようにサファヤさんを導き、助けてくださっていますか?

サファヤ:スワミはつねにアイデアをくださいますので、スワミにはいつも十分な注意を向けていなければなりません。自分に対するスワミの話し方、話の内容、身振り、さらには、スワミが自分に話しかけてくれないことも、すべてがスワミの言葉の一部なのです。これらはすべて、運営に関して自分が正しい決断をしているかどうかを教えてくれるものです。すると、自分は何をすべきかという点に関して、ある種の真理がわかるようになるのです。

ヴェンカタラーマン:ということは、しっかりとスワミに波長を合わせていなければならないということですね?

サファヤ:そうです。波長をスワミに合わせていなければなりません。そうして初めて最終段階がやって来るのです。そして、もう自分ではどうすることもできないというとき、すべてを全託して、バガヴァンに自分の抱えている問題を話すのです。バガヴァンは必ずそれに対する解決策をおもちです。問題を抱えてバガヴァンのところに行くと、いつもバガヴァンは「わかっている」とおっしゃいます。バガヴァンはすでにご存知であるということに対する、完璧な証拠があります。バガヴァンは、ただ私が言い出すのを待っているだけであって、解決策はすでにお持ちなのです。

ヴェンカタラーマン:私の経験をお話しさせていただくと、私が副学長になったとき、スワミは私にある質問をなさいました。経験が浅かった私は「スワミ、あなたはすべてをご存知なはずです。」と言いました。スワミは「そうです。そして、私にはあなたが答えを知っているかどうかも分かっています。けれども私は、あなたがそれを知っているかどうかをあなた自身に知ってほしいのです。」とおっしゃいました。その言葉は私を黙らせ、それから私は細かい点にも気を配るようになりました。

サファヤ:ええ、そしてさまざまな考えを検討し、自分が観察したあらゆる傾向をスワミに報告しなければなりません。存在するどんな問題点も報告しなければなりません。そうして初めて、スワミから正しい解決策をいただかなくてはなりません。

ヴェンカタラーマン:つまり、スワミは、導いても、促してもくださるのですね。

サファヤ:ええ。スワミほど多くを教えてくれた人はいません。私はインドで一番大きく、東南アジアでも一番大きい、全インド医学協会病院を18年間運営してきました。そこには35の専門の科がありました。にもかかわらず、私はそこで学んだことのほとんどを学び直さなければなりませんでした。

ヴェンカタラーマン:どうしてそうなったのですか?

サファヤ:心のあり方です。ここでは、癒しの寺院にいる神が患者を治します。患者はこの上ない配慮を受けます。つまり、ここで行うこと、考えること、計画することはすべて、患者のためのものです。他の病院でも同じことをしますが、その動機は、お金であったり、個人のエゴであったりするかもしれません。一方、この病院ではそのようなものは一切関わってきません。

ヴェンカタラーマン:そうであれば、1日を終えるとき大きな幸せをお感じになるのではありませんか?

サファヤ:ええ、本当にそう感じます。病院で働く人すべてがそう感じています。

ヴェンカタラーマン:お金に関してですが、大勢の人が聞きたいと思っていることが一つあります。病院は無料で治療を行っていますが、どうやって資金を得ているのですか?

サファヤ:シュリ サティア サイ医療信託財団というものがあり、そこにお金が寄付されます。その元金につく利子で、病院の運営が成り立っています。また、医療機器や、特定の医療機器のためのお金を寄贈してくれる人もいます。「愛」こそが、この病院を維持しているのです。

ヴェンカタラーマン:ということは、病院を維持しているものは基本的に「愛」なのですね。お金や機器や奉仕という形をとった愛なのですね。病院には、バガヴァンに対する愛の表現として奉仕をしている人が大勢いるのでしょう。

サファヤ:そうです。それはスワミが私たちにお示しになっているもう一つの実験、つまり地域の参加です。私が医学生になりたてのころから、人は「地域の参加と病院」といったことを口にしていますが、この病院に来るまでは、それが実際に機能しているのを見たことがありませんでした。今、プッタパルティの病院には、インドのあちこちの州から、時期毎に100名の人がセヴァをしにやって来ます。男性50人、女性50人です。

ヴェンカタラーマン:セヴァ ダルのことをおっしゃっているのですね?

サファヤ:そうです、セヴァ ダルです。普段は何をしている人かということは関係なく、日夜患者のために働いています。

ヴェンカタラーマン:村から来た貧しい人が車椅子に座っていて、インドール(インド中部の都市)から来た大学教授がその車椅子を押しているのを見たことがあります。車椅子に座っていた人は靴の修理屋だったかもしれません。

サファヤ:ええ、今病院に行けば、軍上層部の人や、大学教授や、医者までもがセヴァ ダルとして来ていて、外来病棟に座って患者を診るのではなく、手押し車を押したり、床を拭いたり、皿やコップを洗ったりしているのを見ることができますよ。

ヴェンカタラーマン:最後に、もう一つお聞きしなければならない質問があります。というのも、今、たくさんの人が、ここと同じような病院を他の場所に建てようとしています。政府も、個人もです。二つの病院を真似ることができると思われますか?

サファヤ:真似ることですか? 率直に言いますと、もしスワミがなさるのであれば、真似ることもできるでしょう。基本的に、スワミが二つの病院を建てたご意向は、万人のためのモデル病院を作るためです。二つの病院、とりわけプッタパルティの病院が世界中に与えた認識は、たいへん近代的で、専門設備が万全に整った、完全に無料の病院が、インドという発展途上国で過去10年間上手く機能し続けているということです。

ヴェンカタラーマン:つまり、愛と献身が奇跡を起こすのですね。それがこの病院の主なメッセージでしょう。

サファヤ:そうですね。

ヴェンカタラーマン:それでやっていけるのか、などと考える必要はないのですね。

サファヤ:ええ、金銭的な問題は二の次です。今までやってきて、私はそのことに気づきました。自分に意志があれば、神の助けがあり、事は可能になるのです。

ヴェンカタラーマン:無私の愛と献身があれば、神の愛はやって来ます。つまり、無私の愛と献身こそが病院を成り立たせているのですね。

サファヤ:それは愛の奇跡です。

ヴェンカタラーマン:それが本当の教訓ですね。

サファヤ:それは過程における愛の奇跡でもあり、結果 における愛の奇跡でもあります。患者への治療の結果もまた、愛の奇跡です。

ヴェンカタラーマン:そして、患者さんたちもまた、愛とは何かを知るのではないでしょうか?

サファヤ:ええ、そうです。患者はだれもがスワミの写 真を持って家に帰ります。私は時たま無礼をしなくてはならないことがあります。というのも、患者たちが病院のベッドの横の壁にスワミの写 真を貼りたがるからです。患者たちはそうした写真を持って帰ります。彼らは帰依者ではなかったのですが、今ではだれかが自分を気遣ってくれているということを知っています。スワミは時間を割いて病院にいらっしゃり、必ず一つか二つの病室を訪れて、重い状態にある患者さんを祝福なさいます。

ヴェンカタラーマン:サファヤさん、どうもありがとうございました。お話ができたことをすばらしく思います。ラジオをお聴きの皆さんも、お話を聞いて大きな喜びと満足を得たに違いありません。病院について、私たちの知らないたくさんのことをお話しくださいました。私もその中の一人です。私はここに10年間おりますし、何度も病院の前を通 り、病院へも行ったことがありますが、今日お話しくださったことの多くを知りませんでした。

サファヤ:私も、この「愛の開花実験」についてお話できたことを、とても嬉しく思います。医学界では今のところこの実験の意義は認識されていませんが、プッタパルティの病院の話は、WHOの発行する小冊子に紹介されています。その冊子は世界の40の言語で発行されています。人は知っているのです。人々がこの実験を、つまり「愛の開花」を、見にやって来て、そこから教訓を得るという時がそのうちやって来ます。

ヴェンカタラーマン:その日が遠い先のことではなく、サファヤさんにも私にも、その光景を見るという喜びがありますように。本当にどうもありがとうございました。サイ ラム。

サファヤ:サイ ラム。

 

訳注:
(1)『奇跡が生まれる』(Sai Baba, The Man of Miracles) : 日本語版もサティアサイ出版協会から出版されている。
(2)アイザック ティグレット氏:彼はロンドンでザ ハードロック カフェを創業し、起業家として成功したが、崖からの転落という自身の自動車事故において、スワミに抱きかかえられ、かすり傷ひとつない状態で救出されたという奇跡の体験をもつ。後に事業を売却し、プッタパルティの高度専門病院の設立のために寄付をしたことでよく知られている。

 

ディクテーション:Avni Kaushal
翻訳:サティア サイ 出版協会

 

 
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