サイの御教え
──クリシュナ神降誕祭
クリシュナはいつも悪戯(いたずら)をしては、ゴピカ(牧女)たちからうまく逃れていました。しかしあるとき、ゴピカたちへの思いやりから、彼女らが自分を見つけることができるように手がかりを残しておこうと考えました。ある日、ゴピカたちは皆クリシュナをつかまえようと、家のまわりで待っていました。クリシュナはこっそり中に入って来てミルクの壺を壊し、素早く隠れました。ゴピカたちはクリシュナが壺を割ったことに気づき、見つけ出そうとしました。クリシュナが残して行った、ミルクのついた自い足跡のおかげで隠れていた場所が分かりました。そのようにしてクリシュナは彼女らに霊的真理を示したのです。神の御足にしっかり寄り添っているなら、神を悟ることができる、と。「私の足跡をたどって来なさい。そうすれば私を見つけることができる」とクリシュナはゴピカたちに教えました。
ラーダに関して言うなら、クリシュナは彼女の心を攪拌し、神の至福という甘露を与えました。ラーダは親類縁者に対して何の執着も持ってはいませんでした。(スワミは、クリシュナと離れ離れになるときのラーダの悲しみを表した歌を優しく歌われました。)
クリシュナはラーダが人生の幕を下ろそうとしているとき、彼女の前に現れて祝福を与えました。神は帰依者のためにいかなるものをも与えます。神ご自身をも与えます。帰依者のため、神ほどに犠牲をはらうことができる者は誰もいません。最後に欲しいものは何かとクリシュナは尋ねました。ラーダは言いました。「何も欲しいものはありません。ただ、行ってしまう前に一度、あなたの笛の音が聞きとうございます」(「歌ってください、おお、クリシュナ。私に語りかけ、私のハートを至福で満たしてください」とラーダは歌いました。「ヴェーダのこころを雫に変えて、あなたの笛から流れ出る永遠の音楽に、その雫を落としてください、おお、クリシュナ」)
クリシュナは笛を取り、音楽を奏でました。そしてラーダがそのまぶたを閉じたとき、笛をほうり投げました。クリシュナは二度と再び笛を手にすることはありませんでした。クリシュナはラーダを喜ばすために笛を捧げたのです。
このように、クリシュナの神秘的な行いはすべて、帰依者の苦悩を解き放つためになされました。クリシュナは帰依者に仕えるために、持てる力のすべてを使いました。聖典バガヴァータムの意味を正しく理解するなら、神の力を真に理解することができます。
ミーラバイの一生について話しましょう。ラナの妹がミーラに毒の入ったミルクを差し出したとき、ミーラはそれをクリシュナヘの捧げ物として飲みました。するとクリシュナが毒を吸収してしまい、ミーラに甘いミルクのみを残しました。食事をする前に、食物をすべて神に捧げれば、食物は清められ神聖なものとなるのです。
ゴピカたちは無学で、全く無邪気でした。しかし彼女らのクリシュナヘの愛は純粋で、他のことを考えはしませんでした。毎日の仕事をしているときでさえ、想いはクリシュナに集中していました。ですから彼女らは名状しがたい喜びを体験したのです。
帰依者は人種や信条や国籍という壁をすべて取り払い、一つにならなければなりません。(スワミはここでスグナの話をなさいました。彼女はランプの炎の中にクリシュナの御姿を見て、自分の手が燃えていることさえ気づきませんでした。スグナのその様子を見たゴーピーたちの喜びを歌った歌をスワミは歌われました。)
今日はクリシュナの降誕を祝う日です。しかし大切なのはそのお祝いではありません。大切なことは、クリシュナの御教えに着実に従うことです。クリシュナはその御教えと離れては存在しません。スワミはその教えと離れては存在しません。ギータはクリシュナであり、クリシュナはギータなのです。
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