サイラムニューズ NO.63  

Sai Speakers



第6回 サティア サイ全国大会特集
ヴェンカタラーマン博士による日本へのメッセージ

 
 9月12・13日、大阪の大東市文化会館において第6回サティア サイ全国大会が行われました。大阪、神戸センターを中心とした多くの方々のセヴァにより準備、開催されたもので、全国の方が一堂に会し盛大で神聖なものとなりました。
 この大会では『内なる平安 ─プラシャンティ─』をテーマに、総勢18名の講演者によるシンポジウムや、展示会、ワークショップ、文化祭などが行われました。主賓としてサティア サイ大学副学長のG.ヴェンカタラーマン博士をお迎えすることができ、サティア サイ オーガニゼーション国際委員長であられるインドゥラル シャー先生にも特別 にご臨席いただくことができました。

● 9月12日のご講演からの抜粋

 最愛のババ様の蓮華の御足に心よりの愛を込めてお祈りを捧げます。

 スワミ、私はこの場で『平安の大使』という名前をいただきました。しかしバガヴァン ババ様、私はただの召使いにすぎません。私はあなたからの平安のメッセージをお伝えするだけです。そしてそのメッセージが日本の帰依者の一人一人の心に触れますよう、どうか私を通 じてお話しください。尊敬すべきゲストの皆さん、また兄弟姉妹の皆さん、私はここにこうして立つことができて非常に嬉しく思います。今回アジアに旅する前に、スワミは私をお呼びくださいました。私が「何を話したらいいでしょうか」とお伺いしましたところ、話すべき内容を教えてくださったのです。

 世界の人々は平安を手探りで探しています。ヨーロッパや中東でも平和が乱されています。またアフリカでは平和が粉々に砕けています。世界の至る所で人々は平和について語っています。しかし彼等は平和を見つけることができないでいます。なぜでしょう? それはそのための様々な手段、戦略がすべて間違っているからです。このような意味において、私は日本の人々は非常に重要な役割をもっていて、それを果 たさなければならないと考えています。それには三つの理由があります。

 まず第一に、日本は非常に長い歴史と伝統と文化をもっています。また伝統の中では、価値観というものが重要な位 置を占めています。日本の人々は非常に勤勉で、献身的に仕事をします。それはある意味ではカルマ ヨーガと言えましょう。一週間前にスワミは私におっしゃいました。「日本の人々をご覧なさい。彼等はなんと勤勉に働くことでしょう」。 つまり皆さんには伝統と価値観が既に備わっているのです。それが第一のポイントです。二番目に、皆さんが大変な苦しみと悲しみを体験してこられたことです。日本は、唯一原爆の恐ろしさを体験した国です。三番目に、今日日本は経済的な奇跡を成し遂げているということです。皆さんには伝統と価値観があり、平和が粉々に砕かれたのを実際に体験し、また繁栄を体験しておられます。そしてサイの帰依者である皆さんは、そうした外側の繁栄は一時的なものでしかないことをよく知っておられます。ですから皆さんはサイのお導きに従って、繁栄する国々において非常に重要なメッセージを伝えることができるわけです。繁栄を求め、生活の快適さを求めることは悪いことではありません。しかし、安っぽい快楽を求めるために人生を無駄 に過ごしてはなりません。皆さんは、この世界中に『ハリ バジャナ ビナー スッカ シャンティ ナヒー』 というバジャンの意味を伝えなければなりません。その意味するところは「神への愛がなければ幸せも平安もない」 ということです。
 それについて、スワミはよくお話しになります。まず神への愛がなければなりません。神を愛していればそこには罪への恐れがあり、人々は罪を犯すことを恐れるでしょう。今日、一人一人の犯す罪の量 は大変な速度で増大しています。それは神を抱いていないからです。私たちは既に神を心に抱いています。私たちは人々にこのことを気づかせなければなりません。私たちにもし神への愛があり、罪への恐れがあれば、社会には道徳がもたらされます。道徳がしっかり根づいた社会は幸せな社会です。その社会は平安が支配するでしょう。
 ですから『ハリ バジャナ ビナー スッカ シャンティ ナヒー』 というバジャンは魔法の方程式なのです。それは非常にシンプルなものです。日本の人々は、幸福と平安とを誤ったところに求めようとしている世界の人々に、今言ったバジャンの本当の意味を伝えるという役割を担っておられると私は考えます。しかし、皆さんが平安の大使になる前に、皆さんお一人お一人が自分の心の中に平安をもたなければならないのです。

 私に「博士には平安があるのですか?」 と聞かないでください。私は平安の大使などではございません。私は神様のメッセージを伝える一人の召使いにすぎません。皆さんの忍耐と愛に感謝します。ここにこうして来て、皆さんにお会いしてお話しすることは非常に豊かな経験であります。スワミの恩寵が一人一人に触れて、皆さんお一人お一人が輝くスワミのメッセージを伝える方となりますようお祈りいたします。昔はスワミは「私の人生が私のメッセージです」 とおっしゃられていました。ところが今は「皆さんの人生が私のメッセージであるべきです」 とおっしゃいます。このようなスワミのメッセンジャーが日本から何人出てくるかを見ていましょう。経済的な奇跡を経験した国は、これから霊的な奇跡を起こすべきです。しかし、このことに関してはインドは大変な競争相手になるでしょう。なぜかというと、皆さんの人口は1億ちょっとでしかありません。私たちの人口は10億です。そして私たちのところにはスワミが肉体をもっておられるのです。ですからお互いに競争するのではなく、一緒に働きましょう。私たちの人口と皆さんのエネルギーをもって、この素晴らしいメッセージを世界中に広げることができると信じています。そして水の洪水ではなく、愛の洪水が世界を覆い尽くしますようお祈りしましょう。

● 13日のご講演からの抜粋

  日本に来たことはとてもすばらしい体験でした。それはただの体験ではなく、気持ちが高揚する非常に霊的な深い意味のある体験でした。私は日本のサイの帰依者たちの、大変深い帰依心を見て感激しました。それは皆さんをただ喜ばせるためだけに言っているのではありません。私は科学者であり、実際的な人間で、事実に基づいた現実的なことしか言わないようにしています。私はプラシャンティ ニラヤムで世界中から来る帰依者たちに出会います。こうして日本に来ると、人々の中に深く根づいたすばらしい純粋な帰依心を見ることができます。

 スワミは日本の人々に言いなさいとおっしゃいました。「サイは皆さんの心の中にいます。サイは神です。サイは皆さんの中にいます。そしてあなたが神なのです。あなた自身が神なのです。あなたが神なのです、あなたが神なのです」 この神をどこに見つけることができるでしょうか? 自分の中です。心の中に見つけるのです。

 スワミは最近、ビジネスマンになられたように思われます。輸出入のことをお話しされるからです。過去にスワミが輸出入に関してお話しされた覚えはありません。ボンベイにおいては輸出入とは密輸のことです。ですからスワミが輸出入という話を始められたときは驚いてしまいました。しかし、スワミがおっしゃる輸出入はまったく別 な話です。「皆さんはハートから愛を輸入しなくてはなりません。そして、その愛を奉仕として輸出しなくてはいけません」 とスワミはおっしゃいます。肉体は工場であり、輸出入産業に関わっています。それは愛を輸入して、奉仕として製品化し、輸出するのです。日本は輸出入に関して非常に有名な国です。これから皆さんは新しい輸出入をしてください。愛を輸入して、奉仕を輸出しなくてはなりません。愛をプッタパルティから輸入する必要はありません。愛をハートから輸入するのです。このハートの銀行は決して閉まることはなく、24時間開いています。そこから無限の愛を引き出すことができ、利息はまったく関係していません。それはまったくただで与えられます。では、私たちは何を待っているのでしょうか?

 これがスワミのメッセージです。このメッセージは二つの言葉につながります。最初の言葉は『シャンティ(平安)』であり、次の言葉は『プラシャンティ(至高の平安)』です。私たちはこの言葉をしばしば使います。しかし、私たちはその意味をよく理解していません。私は日本に向けて出発する前にスワミに「シャンティとプラシャンティの違いをどのように説明したらよいでしょうか?」とお伺いしました。スワミは「非常に簡単なことです」 とおっしゃいました。「ここに花があります。それはシャンティのようなものです。花はそこにあるけれども、花の香りはあらゆるところに漂っていきます。つまり、内なる平安はシャンティのようなものであり、この内なる平安が外に漂っていって人を平安にするとき、それがプラシャンティです」 とおっしゃいました。

 私は皆さんが考えるべきことをたくさんお伝えしたと思います。それらについて深く考えてください。そして私はお祈りいたします。この日本が、奉仕という王冠に燦然と輝く美しい宝石になりますようにと。愛と奉仕は異なったものではありません。奉仕は愛の具体的な形です。ですから愛と奉仕が別 物であると考えてはいけません。奉仕のない愛というのはまったく無意味です。また愛のない奉仕というのは考えられません。この二つは相伴うものです。それは鳥の両翼のようなものです。鳥は片方の翼では飛ぶことはできません。鳥には両方の翼が必要なのです。

 これが今日のこの場において言いたいことです。今回の旅を可能にしてくださったすべての方々と私の旅をこれほど快適にしてくださったすべての方々に感謝を述べたいと思います。本当に多くの方々がいろいろなご苦労をしてくださいました。なぜでしょう? スワミへの愛が皆さんにあったからです。もし私がここに来たことが皆さんの心の片隅に残るのであれば、私はここに来た価値があったと考えられます。
                            ジェイ サイラム

 

○霊性に関するQ&A ─ヴェンカタラーマン博士に聞く─

Q:真の帰依とは何ですか?

A:様々なタイプの帰依者がいます。その一人一人が、「自分は神への深い帰依の心を抱いている」と主張します。ギーターの中でスワミは帰依者を4つのタイプに分類されております。(1) 自分の欲望が満たされることを望む者、(2) 自分の抱えている問題が解消されることを望む者、(3) 英知を求める者、(4) 悟りを得、至福を求める者。   神はまた、こうもおっしゃられています。「帰依者がどのような方法で神に近づこうとも、神はそれと同じ方法で帰依者の信仰心を支えるであろう」 しかし、スワミは「自分が帰依者であると宣言するだけでは十分ではない」 とおっしゃられます。神がそのような帰依を認められるでしょうか? では、真の帰依とは一体何でしょうか? また、神に最も愛される帰依者とはどのような人物なのでしょうか? 答えはギーターの中、特に『帰依の道』について述べられている第12章にあります。要約すれば、真の帰依とは、神を最も喜ばせるものです。神は、いかなる憎しみをも抱かない人、すべてに対する愛に満ち満ちている人、バランスのとれている人、何が起ころうとも常に落ち着いている人、行為のすべてを愛をもって神に捧げる人、常に神を想っている人、あらゆるものの内に神を見る人、そして、何が起ころうとも決して揺らぐことのない信仰をもっている人を最も愛されるのです。信仰は『常なるもの』でなくてはなりません。これは重要なことです。このすべてを達成するための道はたくさんあります。そして、それが霊性修行を構成しているのです。

Q:ガヤトリー マントラを唱える際には、一語一語の意味を思い浮かべながら唱えた方がよいのでしょうか? それとも一文一文の意味をつかみながら唱えた方がよいのでしょうか?

A:ガヤトリー マントラは至高の母、または至高の光(人が見たいと思うどちらか)に対する祈りです。唱えている間は心を集中させ、さまよわせてはなりません。最も簡単な方法は、ただスワミを想って唱えることであり、単語ごと、文章ごとの意味を心配することはありません。しかしながら、このマントラの主な意味は常に心に留めておかなくてはなりません。スワミは「このマントラの目的は悟りと英知を生み出すことにあり、その結果 プレマ、すなわち愛が三界のすべてにおいて光り輝くためである」 とおっしゃられています。実践的に言うなら、唱える時には次のような気持ちを抱いていなければなりません。「おおスワミ、この祈りによって、私のあらゆる思いとあらゆる行動を通 して愛が輝くようにしてください」 これこそが、マントラを唱えている時に抱いていなければならない気持ちなのです。

Q:リーラとは何ですか?

A:リーラという言葉は『神の戯れ』を意味しています。『創造』は一種のリーラです。それは、神が自らの楽しみとして演じておられる劇なのです。偉大な帰依者が、自分の身にふりかかるものを含め、『創造』のうちに起こるすべてのものを神のリーラとして受け入れるのは、この理由からなのです。

Q:神が化身して来られたことは究極のリーラと言えるのでしょうか?

A:創造のリーラにおいて、神はときに名場面 の脇役として姿を現されます。それが神の化身であり、それはリーラの一部分なのです。有名なハリウッドの映画監督アルフレッド ヒッチコックがいつも自分の映画のどこかに出演しているのと同じことなのです。
 ここで二つの疑問が起こります。一つは「なぜ神は創造を行われたのか?」ということです。スワミはこうお答えになっております。「『私』は『私自身』を愛することができるよう、『私自身』から『私』を分離させた」
 もう一つは、「神はいつ化身として降臨なされるのか?」ということです。これについてはクリシュナ神がギーターの第4章でお答えになっております。

Q:なぜ五つの鞘というものがあるのですか?

A:ギーターの中でクリシュナはアルジュナに、人は身体ではなくアートマ(真我)である、すなわち人は身体+心+アートマであるとお教えになりました。ヴェーダンタ哲学では、概してこれを肉体をまとったアートマ、もしくはジーヴァ アートマと呼んでいます。スワミが「ディッヴィアートマ スワルーパラーラ」すなわち「神聖なるアートマの化身である皆さん」という言葉でほとんどの御講話を始められるのには、このような理由があるのです。この肉体をまとったアートマ、すなわち生物は、しばしば様々な組合わせで表現されます。その一つは「人=身体+心+アートマ」であり、また別 の組み合わせは「人=粗雑体+精妙体+起因体」です。三つ目に五つの鞘による組合わせがあります。すなわち、アートマは五つの鞘に覆われているとされているのです。このことは自動的に、アートマが自由になれば鞘を突き抜けてしまうということを意味しています。第一の鞘は粗雑体に関連しています。身体は食物によって形づくられているために、これは『食物の鞘』と呼ばれています。次にくる四つの鞘はそれぞれ『生気の鞘』、『心の鞘』、『理知の鞘』、『至福の鞘』と呼ばれ、それら全体で精妙体を表しています。最後にくる鞘が起因体を表しています。五つの鞘を突き抜け、超越することはまた、覚醒の状態、夢見の状態、熟睡の状態よりも高められ、第四の状態つまり、悟りの境地に到達することとして表現されています。

Q:今年、スワミが特に強調しておられることは何ですか?

A:今年の初め、私はスワミが様々な場面 で『肯定的』ということを強調されているのに気づきました。本質的に、スワミのおっしゃったことは(1) 神は肯定的である、(2) 私達は常に肯定的であるようにしなくてはならない、ということでした。実践的な意味としては、(1) 私達の思考はいつも肯定的でなければならない、(2) 私たちはさらに内面 に目を向けなければならないということです。

Q:スワミの人生の中で印象深い出来事は何ですか?

A:エピソードは数多くあり、そのすべてが様々な土地で語り継がれています。例えば、スッバーマの臨終の際に水をお与えになったこと、ウィリアム コーワンに延命をお与えになったこと、スワミが信者の麻痺を肩代わりし、信者の虫垂炎を肩代わりされたことなどです。

 

G. ヴェンカタラーマン博士 経歴
南インド、マドゥライ出身。ボンベイ大学で博士課程修了後、ガンジー物理学研究室において様々な研究に従事。インド学士院特別 会員、インド物理学会会長、ネルー首相財団特別研究員等を歴任。インド科学界への多大なる貢献により、'91年インド大統領よりパドゥマ シュリ(閣下)の称号を、'95年にはインド国立科学アカデミーよりインディラ ガンジー勲章を授与される。その後、教育の仕事に携わり、'96年よりシュリ サティア サイ大学副学長として五大価値に基いた理想の学生の育成に多大な貢献をなされております。



 

 


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