一人からできる青年部
全国の青年たちが毎回定められたテーマのもとに活動を行い、その体験をサイラムニューズ誌上で分かち合うものです。
『識別心』(1・2月号のテーマ)
〈自分なりのテーマ〉
自分のやらなければならないことと、自分のやりたいことを識別するよう心がけました。
〈実践結果〉
今までは夜遅くまであれこれやっていて、ついつい遅く寝る習慣になっていましたが、奉仕する道具である自分の身体の調子を整えておくのは自分の義務であると考え、定時に床に就くように心がけました。食事も日によってあまり食べないこともありましたが、身体のために規則的に取るように心がけました。他の人にとっては当たり前のことかもしれませんが、自分にとってはなかなか大変なことでした。
それまでは、食事を削ったり、睡眠を削ったりすることで、欲望をコントロールしたり、自己犠牲を払ったりしているつもりでした。けれどもよく考えてみると、ただ周囲の状況に流されていたような気がします。どんなに忙しいときにでも食事や睡眠がきちんと取れるように、計画的に行動するのが本当の『セルフコントロール』なのだと思いました。
『優しく穏やかに話す』(3・4月号のテーマ)
考えてみると、私は幼いころから言葉遣いについて注意されていたように思います。けれども私は言葉の使い方と人間性は関係ないと思っていました。
また言葉によって生じる誤解のことを考えると、言葉ではなく自分の感受性を生かして人と接する方が大切ではないかとも思っていました。
それでも今回のテーマを実践してみることにしました。1回や2回スワミに祈った所で、はじめはうまくいくはずもありません。
そんなある日、ごくあたりまえの話を、不思議と心穏やかに話すことができた時がありました。穏やかに話ができると、今度は優しい気持ちになります。優しい気持ちになると、心が落ち着きます。互いに思いやることができて、話をしていて気持ちがいいと感じました。
いつもそのように話すことができたら、私自身もっと穏やかになり、もっと神を感じることができるのだろうと思いました。
今回気づいたことの一つは、言葉の使い方と心の状態が密接に関係しているということでした。もう一つ、私に幼いころから注意を与えてくれたのはスワミだったということにも気づきました。今回のテーマにより、あたりまえと思って気づかずにいたことを『愛』として実感できたように思います。
『優しく穏やかに話す』(3・4月号のテーマ)
〈自分なりのテーマ〉
神がすべての人に内在していると見て、皆にできる限りの事をし、必要としている奉仕を何でもやる。そうすることで心穏やかになり優しく話せるようになる(目標)
〈実践結果〉
@ 神がすべての人に内在していると見ることは、気持ちの浮き沈みによって左右されてしまった。右記のテーマのようにできたこともあるが、気持ちが沈んでいるときには難しかった。『神がすべての人に内在している』ということは、書物や御講話等で頭に入ってはいるが、本当に理解するためにはもっともっとハートを純粋にしなくてはならないと思った。
A 今まで優しく穏やかに話していなかったので、その習慣を抜け出ることもまた難しかった。口数を少なくして、必要なことだけ優しく穏やかに話すようにしようと思うのに、口数を少なくして、言わなくてよい一言を衝動で言ってしまうということが多く、言いながら気がついたり、言った後に言うべきでなかったと思ったり、の繰り返しだった。
(@A対して)神に祈りつつ、だめでも努力し、結果は神に委ねて決してあきらめずにがんばろうと思う。
『両親を尊敬する』(5・6月号のテーマ)
いつも身近にいる両親には、「言わなくても分かっているはず」などと思って、尊敬の気持ちを表すことなど恥ずかしくてしていませんでした。
けれども今回よく考えてみました。自分の寝る所、食べるもの、着るもの、そして必要なお金を、20年以上も何も見返りを求めずに与えてくれる人が他にいるだろうか。もし一日でもそのようなことをしてくれた人がいたとしたら、自分はその人に会うたびに心から礼を言い、丁寧な言葉で話し、何か喜んでもらえることをするだろう。それならどうして自分の両親にはそうしないのだろうか。
それは親子だから、という甘えがあったのかもしれません。また親子という関係に対して執着があったのかもしれません。両親と他の人を区別せず、同じ人間同士として見つめたとき、今までとは違う心からの両親への感謝と尊敬の気持ちが湧いてきました。
●今回のテーマ 『ナマスマラナ』
今回のテーマは『ナマスマラナ』です。
ナマスマラナとは、『神の御名を唱え、神の御姿を心に抱き、神の栄光を憶念すること』です。
ババ様は、
「今日の時代はシャーストラ(経典)に、解脱をよく促す時代として記されています。なぜなら、過去の時代においては、厳しい苦行がその方法として処方されていましたが、一方あなた方が生きるカリの時代は、解脱を勝ち取るのにただナマスマラナのみが要求されているに過ぎないからです」
とおっしゃっています。ナマスマラナの実践は、私たちの内に、ハートに、神がいることを実感させてくれます。ナマスマラナは、人を神と融合させる最善の方法と言えるのです。
神の御名と御姿は、どんなものでもよいとされています。この点についてババ様は次のように述べています。
「神はあなたの選んだ御姿をとらざるを得ず、あなたの好む御名をとらざるを得ません。実際、あなたが神をそのように形づくるといってよいのです。それゆえ、自分の選んだ御名と御姿とを変えることなく、あなたにもっとも喜びを与える御名と御姿にしがみつきなさい。たとえ効果の現れるのが遅く感じられようとも」
2カ月という短い期間では、それほどの成果は得られないかもしれません。しかし今回をきっかけとして、ナマスマラナが、人生という暗闇の中を通るための〈ランプ〉となれれば幸いです。
「時計の針が一周すれば、長針が少し動きます。長針が一周すると、短針が少しだけ動きます。大事なのは秒針が動き続けなければならないことであって、そうすれば他の事はひとりでに整います。
それと同じことで、舌がナマスマラナに専念していれば、頭脳は少し動いて神を愛するようになります。ナマスマラナの実践によって、このように頭脳が動けば、心は神の至福に向かって働きます。大事なのは舌が常に神の御名の甘美さを味わいつづけていなければならないということであって、そうすれば、他の事はひとりでに整うのです」
「ナマスマラナは最善の方法です。それがあなた方を直したり助けたりし得ることを、あなた方は本気で信じていないだけであり、それが悲劇なのです」
今回のテーマを実践した体験談を400字程度にまとめて、ハガキ、ファックス、Eメール(SSP@mail.at-m.or.jp)のいずれかでサイラムニューズ『一人からできる青年部』係までお送りください。
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