サイラムニューズ NO.71  


愛を実践し、愛に生きた

─第1話─

 
平和の祈り
貧困と飢えのうちに生きて死ぬ
闇あるところに光を
世界中の同胞のために
悲しみあるところに
主よ、仕えることのできる人と
喜びをもたらすように
ならせてください
主よ、慰められるよりも慰めることを
私たちの手を通して、
理解されるよりも理解することを
今日この人々に
愛されるよりも愛することを、
日々のパンを与えてください
求めることができますように
私たちの理解を通して、
私たちは、
愛と平和と喜びを与えてください
人に与えることによって
主よ、私を平和の道具としてください
多くを与えられ
憎しみあるところに愛をもたらし
人を許すことによって、
争いあるところに許しを
自らも許され
分裂あるところに一致を
自己を忘れることによって、
疑いあるところに信頼を
人は真理を見いだし
誤りあるところに真理を
そして自分を捨てて死に、
絶望あるところに希望を
永遠の命をいただくのですから


貧しいことは美しいこと

 シスターたちの唱えるアッシジの『聖フランシスコの祈り』がカルカッタの街に
朝を告げます蒸し暑い質素な聖堂窓は開け放たれ目を覚まし始めた町の喧騒が時折祈りの声をかき消していきます

ミサにあずかる人々の後ろでいつもひっそりとひざまづいていた一人の小さな老
女はもういません彼女の少し丸みを帯びたその背中を祈りの日々の刻まれた皺だらけの手を人々を惹きつけて止まなかった笑顔を私たちは二度と目にすることはできないのですただそこにはほぼ半世紀という長い年月の間変わらず在り続けた何かが厳しく優しい空気の中に今も確かに在るだけなのです

その老女はいつも言っていました貧しいことは美しいことだと貧しい人の一人
一人はイエス キリストその人なのだといつのときも彼女はその一人一人の中に神
を見心から献身していましたそして様々な機会に小さな体験談を通して彼らの素晴らしさを語りました。

「8人の子持ちのヒンドゥー教徒の家族がこのところ何も食べていないと聞き
は一食に十分なお米を持ってその家に行きましたそこには目だけが飛び出している
子供たちの飢えた顔がありその顔がすべてを物語っていました母親は私からお米を受け取るとそれを半分に分け家から出ていきました
 しばらくして戻ってきたので「どこへ行っていたのですか」と尋ねると母親はニ
ッコリ笑って「彼らもお腹を空かせているのです」と答えたのです『彼ら』という
のは隣に住んでいるイスラム教徒の家族のことでそこにも同じく8人の子供がおりやはり食べるものがなかったのでしたこの母親はその事を知っていてわずかの米の一部を他人と分け合う愛と勇気を発揮したのです自分の家族が置かれている状況にもかかわらずわずかの米を分け合うことの喜びを感じていたのです富の中から分かち合うのではなくないものを分かち合うそれが彼らの素晴らしさです」
 そして彼女は言いました何もないところにこそ真の自由があるのだと
「ある女性が私の手を取ってたった一言「ありがとう」と言って死にました
があの女性だったらきっと「苦しい」「助けて」と言っていたでしょう彼女は私が与えたものよりももっと大きなものを私に与えてくれました貧しい人は我慢強く優しいのですそれが彼らの偉さです」その信念こそが世界中の人々の心を動かした彼女の『偉業』のすべてを支え続けました

 「何をするかと決める計画などはありませんでした苦しんでいる人々が私たちを
必要としていると感じた時それに対処したにすぎません神様はいつも何をするべきか教えてくださいました」
 「もしこれが私の仕事だというのなら私が死んだら終わってしまうでしょうでもこれは神様の仕事私が死んでも終わることはありません」
 その言葉通り40万人を超える路上生活者と36万人を超えるハンセン病患者
を抱え世界最悪の都市と呼ばれるカルカッタの街中へ今日もそして明日もシスターたちは出掛けていきますこのベンガル地方のうだるような暑さの中で彼女たちの来訪を待ちわびる愛おしい人々と限りない愛を分かち合うために

誕 生

旧ユーゴスラビアの古都スコピエ1910年8月27日様々な人種と様々な
宗教が同居するこの街に一人の女の子が生まれました彼女の名前はアグネス ゴン
ジャ ボワジュ
 教養ある父と信心深い母優しい姉と兄何不自由のない裕福な家庭でアグネスは育ちましたイスラム教のモスクやビザンチン風のギリシア正教会そしてカトリックの教会その間を母は彼女を連れて様々な奉仕活動へと出掛けました

「良いことは淡々としなさいと母はよく言っていました貧しい人を助けるのは
当然だと母はまず神に接するきっかけを与えてくれましたそして何よりも神を愛することを教えてくれたのです」

 ある日神父が聞かせてくれた話を通して12歳のアグネスは初めてインドという国を意識し貧しい人々のために働く使命があることを知りました自分も宣教師になって貧しい人の力になりたいしかし愛に溢れ互いに強い絆で結ばれた家族と過ごす幸せはその後しばらく彼女の決心を鈍らせていました

決 心

18歳の時アイルランドに本部をもつロレット修道会が修道女をインドに派遣
して宣教にあたっていることを聞きアグネスは自らの一生を神に捧げるために家を離れる決心をしました
 洗礼名はテレサ貧しい人々に仕えそして多くの人々に愛された「小さな花」「リジューの聖テレジア」に因んで付けられました去りがたいほどに愛しいスコピエでの日々しかし迷いはありませんでした

「家族と離れるのは辛いことでしたでもその時から信仰が揺らいだことはあり
ませんすべて神の御心だったのです選んだのは神様でした」

インドへ派遣されたシスター テレサは20年間聖マリア高校での教育に携わりま
した地理を担当しユーモアを交えた教え方はとてもわかりやすく生徒からの信頼は絶大でした彼女の周りにはいつも生徒の笑顔がありました神様は愛しいものを手放した者にまたさらなる愛しいものをお与えになるテレサは自分を「世界一幸せな修道女だ」と思っていました

ある日食料を調達するために同僚のシスターと一緒にテレサは学校の外へ出ま
した当時のベンガル地方は500万人の餓死者を出した大飢饉の後遺症が癒えないままヒンドゥー教徒とイスラム教徒が衝突を繰り返していましたそして非暴力主義を貫きヒンドゥーとイスラムの共存を心から願ったインド独立の父マハートマガーンディーが暗殺され独立一周年でのこの悲報は世界中に衝撃を与えていました
 度重なる争いのなかで傷ついた人々は住み慣れた土地を追われ難民となってカルカッタへと流れ込みました人々の苦しい生活を目の当たりにしたテレサの心は修道院の頑丈な壁の中でひっそりと営まれる平穏な日々への疑惑と不満で乱れていました

 「インドには貧しい人が無数にいます路上に行き倒れ貧困と飢えと病に冒された孤独な人々…この違いは何? 私たちはみな同じ神の子なのにかつてガーンディーはキリスト教宣教師に言ったではありませんか『もし救いを唱えるのなら自らも貧しさの中に身をおけ』と…」

つづく

 

 


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