サイラムニューズ NO.72  
サイの御教え



2000年マハ シヴァラトリのメッセージ
 

 

アートマの原理

愛の化身である皆さん!
 同じアートマ(真我)がすべての人に内在しているという真理を認識した人は、世
俗を捨てた修行者であれ、家族生活を営む人であれ、またその人が行動の道をたどる
人であっても、そうでなくても、常に神とひとつになっており、神の至福を味わって
います。アートマの原理は、ただ単にヴェーダや聖典を読んだり、講話を聞いたりす
るだけでは理解できません。巨大な樹木が小さな種子から生まれるように、全宇宙の
起源はアートマの原理の中にあるのです。

 まことに皆さんは、歓喜と幸福の化身なのです。歓喜と幸福が皆さん自身の中にあ
るというのに、それを外の世界に探し求めるということは、まったくの無知と言える
のではないでしょうか? 真の霊的変革は、自分自身の本当の性質を理解することの
中にあります。
 
 肉体への執着を手放さないかぎり、内在の神を認識することはできません。肉体へ
の執着は、霊性の道における障害です。肉体への執着は、人間の不幸と不満の最大の
原因です。人は、肉体を道具とみなして、内在の神を想いながら真実の人生を送らな
ければなりません。全宇宙には、原初の基盤が存在します。ここに銀の皿と銀のコッ
プがあります。この二つのものの基盤は銀です。品物の名前や形は変わっても、銀が
基盤であることには変わりません。同様に、すべて名前と形をもったものは必ず変化
しますが、原初の基盤は変わることがありません。

アートマの原理は太古から存在し永遠のものである。
それは生まれることも死ぬこともなく、
始まりも終わりもない。

 アートマの原理は、肉体と心と生命原理にとっての原初の基盤です。海の水は、太
陽光線によって水蒸気になります。次に、その水蒸気は雲になります。雲は雨になっ
て地上に降り、河川となって流れ下って、ついには海と融合します。もともとは海か
ら生まれた河川が、最終的に海とひとつになるように、もともと神から生まれた万物
は、最終的には神に帰融します。このことをヴェーダではムクティ(解脱)と呼びま
す。『バガヴァタム』にも、生きとし生けるものがもと来たところに戻るのは自然の
成り行きであると書いてあります。生命原理は神に起源を発しています。それは必ず
そこに帰融するのです。

愛の原理

愛の化身である皆さん!
 霊性とは、周囲から隔絶した生活を送ることではありません。真の霊性とは、執着
と憎しみを捨てて、全人類がひとつであることを理解することにあります。アートマ
の原理はすべての人の中にあり、それらは皆同じものです。
 アートマはどのような形をしているのでしょう? 砂糖には形がありますが、甘さ
の形を説明することのできる人がいるでしょうか? 甘さは、体験することができる
だけで、説明することはできません。アートマの原理に関しても同じことが言えます
。それは太古より存在し、永遠であって、特性や形をもたず、純粋無垢で、不滅のも
のです。マイソール パックや、グラブ ジャムーン、バルフィ(すべてインドのお菓
子)等は、名前や形は異なるかもしれませんが、そこに含まれている砂糖は皆同じで
す。同様に、名前と形は異なりますが、アートマの原理は唯一にして不変なのです。

 今日、人々は、スラヴァナム(聞く)、キールタナム(歌う)、ヴィシュヌ スマ
ラナム(唱える)、パーダ セーヴァナム(蓮華の御足に奉仕する)、ヴァンダナム
(すべてを神として礼拝する)、アールチャナム(儀式的礼拝)、ダーシャム(奉仕
)、スネーハム(友情)、アートマ ニヴェーダナム(全託)等の様々な霊性修行を
しますが、それは一時的な満足のためでしかありません。人が眠ることさえできるの
であれば、堅い岩の上であろうが、気持ちの良いベッドの上であろうが、どこで眠る
かはあまり問題ではありません。同様に人は、どのような霊性修行を行っているにせ
よ、心が純粋でなければなりません。心が純粋であれば、人生においてどのようなこ
とでも成し遂げることができます。心を浄化するためには、愛の原理を育てなければ
なりません。愛の光は、消すことができません。皆さんがいったん愛の原理を育てれ
ば、究極の至福に到達することができます。

シヴァラトリの真義

 皆さんが、今日以外の日に体験する夜は、普通の夜です。それは、暗黒の夜です。
しかし、シヴァラトリは縁起の良い夜です。それはどうして縁起が良いのでしょう?
心には16の側面があります。月は心を司る神です。月には16の部分がありますが
、今夜はそのうちの15までが欠けています。残った一つの部分は、心を神に向ける
ことによって、神に融合させることができます。もし皆さんが、一晩中ずっと通して
心を込めて神の栄光を歌うなら、残った心の一つの側面すらも、神に融合させること
ができるのです。この日は、神を黙想することによって、心を完全にコントロールす
ることができます。そのような訳で、今日は縁起の良い日だと言われているのです。
残念なことに、このカリ(闘争)の時代においては、人々はシヴァラトリの徹夜を、
一晩中映画を見たり、トランプをしたりして過ごしています。これはシヴァラトリと
は呼べません。夜の間中、一瞬一瞬を神への想いに捧げ、心から神の御名を唱えなけ
ればなりません。

 神には何千という名前があります。すべての名前の中で、『サット チット アーナ
ンダ』という名前がもっとも重要で意義が深いのです。『サット』は、変わることの
ない永遠の原理を表し、『チット』は、完全な意識を表しています。前者は砂糖に、
後者は水に例えることができます。砂糖と水を混ぜればシロップができます。同様に
、『サット』と『チット』の組み合わせで、『アーナンダ(歓喜)』が生まれます。
心を愛で満たし、神の御名を唱えなさい。そうして初めて神に到達することができま
す。すべての活動を愛を込めて行いなさい。愛は源から、すなわち心から生まれるも
のであり、力によって生まれるものではありません。
 今日人々は神の御名を唱えますが、それは心からではなく、力によって唱えていま
す。神の御名を唱えても、心を込めてそれを行わないかぎり、何の恩恵も得られませ
ん。心を込めて、少なくとも30秒間は神の御名を唱えなさい。それで十分です。ス
プーン一杯の牛乳の方が、桶に何杯もあるロバの乳よりも優れています。神は、量に
ではなく、質に興味をもっているのです。

完全なる英知

 学生の皆さん!
 皆さんは、肉体は道具に過ぎず、行為を行い、結果を喜ぶのはアートマであるとい
うことを理解しなければなりません。肉体への執着を手放しなさい。皆さんは何のた
めに勉強しているのですか? 皆さんは、お金を稼いで幸せな生活を送りたいと考え
ています。しかし、皆さんは勉強から幸せを得ていますか? いいえ、得ていません
。皆さんは、学業が終了してから、儲かる仕事に就きたいと思っています。そして、
地位や給料が上がって云々、というようなことを考えています。欲望には際限があり
ません。それでは、どうして幸福になることが期待できるでしょうか? 本当の、変
わることのない幸福は、物質世界では獲得することができません。

 ある日、アーディ シャンカラが、13人の弟子たちを連れて、ガンジス川に沐浴
に出かけました。彼は、「ドゥクルンカラネー、ドゥクルンカラネー」と、木の下に
座って文法を繰り返し唱えている一人のブラーミン(僧侶)に出会いました。シャン
カラは、文法の基礎を繰り返し唱えることによって何が得られますか、と尋ねました
。ブラーミンは、立派な学者になって宮廷に仕え、お金を稼ぐことができると答えま
した。次にシャンカラは、その富はいつまで彼に幸せを約束してくれるかを尋ねまし
た。ブラーミンは、死ぬまで幸せな生活を過ごすことができると言いました。すると
シャンカラは、死んだ後はどうなるのかと尋ねました。ブラーミンは、自分には分か
らないと答えました。シャンカラは次のような歌を歌いました。

おお、愚か者よ。死の時間が近づいたとき、
文法の基礎はお前を助けに来てはくれない。
だから、神の御名を唱えるが良い。

 どんなときにも、どのような状況のもとでも、皆さんを守ってくれるものは、神の
御名以外にありません。この世のものは、すべて通り過ぎて行く雲のようなものです
。至福と愛のみが永遠です。愛は神です。神は愛です。

 『若さ』は非常に神聖なものです。それを、尽きることのない欲望に浸ったり、空
中に楼閣を築くことで無駄に費やしてはなりません。心の中で、神を最優先させなが
ら、教育を受けなさい。落ち着きを失う原因となる無用な活動や束縛に巻き込まれて
はなりません。今日、人々は平安を探し求めています。しかし、平安を外側の世界に
見つけることはできません。そこにはバラバラな事象があるのみです! 平安は皆さ
んの内にあります。皆さんは平安の化身です。皆さんは真実の化身であり、愛の化身
です。ですから、まず自分自身を知りなさい。そうして初めて、いつも至福に満ちて
いることができるのです。今の学生たちは様々な学位を取っています。しかし、それ
が何の役に立つのでしょう?
 教育や理性があっても、愚かな人は、本当の自分を知らず、心の卑しい人は、自分
のよこしまな性質を手放すことはありません。現代の教育からは、議論が生まれるだ
けで、完全な英知は生まれません。 

神に至る道

愛の化身である皆さん!
 すべてを愛しなさい。誰をも憎んではなりません。これは、我々が太古から受け継
いだ文化の教えです。聖賢ヴィヤーサは、18のプラーナ(聖典)の真髄は、『常に
助けなさい。決して傷つけてはなりません』ということであると教えました。皆さん
が、このことを実践したとすれば、それで十分です。世俗的な教育と共に、霊的な教
育も欠かすことができません。そうして初めて、二元性と、鈍性、激性、浄性の3つ
の特性を越えたブラフマンの知識を得ることができるのです。神のみが永遠です。そ
れ以外のものはすべて一時的なものでしかありません。今日人々は、世の中を信じて
いますが、神は信じていません。皆さんは、自分の若さや肉体的美しさを自慢すべき
ではありません。

 若さはいつまで続くでしょう? 明るく光る稲妻の後に、一寸先も分からないよう
な暗闇が続くように、若さの後には『老い』がやって来ます。朝咲いた花も、夜には
しおれてしまいます。人間の身体の性質もそれと同じです。自分の身体と心をコント
ロールしなさい。他の人々に依存してはなりません。誰か別な人が食べ物を食べれば
、あなたの空腹は癒されるでしょうか? そんなことはありません。霊性の道で向上
するためには、自分自身の努力がどうしても欠かせません。
 皆さんがいつまでも若いままでいたいのなら、感覚をコントロールしなければなり
ません。スワミがその直接の証明です。私にはすべての力が備わっています。私には
、まったく弱いところがありません。今でも、私は速く走ることができます。スワミ
が75歳であることを、誰が想像できるでしょう? バガヴァンが若く見える秘密
は何でしょう? その最大の原因は、純粋さと、忍耐と、根気です。スワミの感情は
常に純粋で安定しています。この点でスワミを見習うようにしてごらんなさい。
 皆さんは、自分たちはスワミの帰依者であると言っています。それなら、スワミの
純粋さの、少なくとも何分の一かを身に付けることが、皆さんの務めではないでしょ
うか? 皆さんは、誰かから何かの情報を教えてくださいと頼まれたとき、それに正
しい答を与えるほどの忍耐ももち合わせていません。しかし、私は何千人もの人々と
話しますが、常に平安を保ち、至福に満ちています。私は、数え切れないほどの活動
に携わっています。私のする仕事を説明できる人は誰もいません。私はあらゆる部門
の仕事をします。すべての部門が私のものです。しかし、私は決して落ち着きを失う
ことがありません。

 もし皆さんが、神は、あなたの中に、あなたと共に、またあなたの周りにいるとい
う強い確信をもっているのであれば、決して、人生において困難や不幸に出会うこと
がないでしょう。人々は、不安や不幸について語ります。しかし私は、それを体験し
たことがありません。私の純粋さのゆえに、そのようなものは私に近寄りもしないの
です。悪い思いや悪い人格をもった人々だけが、不幸や不安に苦しめられるのです。
ですから、
 悪を見ずに、善を見なさい。
 悪を聞かずに、善を聞きなさい。
 悪を思わず、善を思いなさい。
 悪を為さず、善を為しなさい。
 それが神に至る道です。

 神は大地を空に、空を大地に変えることができます。しかし、皆さんは神に対する
堅い信仰心をもたなければなりません。今日、人間は自分自身を信じるという『目』
を失って、盲目になっています。人は自分自身を信じていません。それでどうして人
間が神を信じることができるでしょうか? 自分自身を知らない者が、どうして神を
知ることができるでしょう? まず、自分自身を知りなさい。そうすれば容易に神を
理解することができます。神を信じなさい。
  神にできないことは何ひとつありません。正しい視力をもった人は、小さな蛍さ
えも見ることができます。しかし、盲人はまぶしく輝く太陽すら見ることができませ
ん。同様に、霊的な目の開いていない人は、自分の周囲が真っ暗に見えるのです。

 神への愛を育てなさい。神への愛を育てれば育てるほど、皆さんはますます幸せを
体験し、それだけ究極の至福に近づくのです。
                2000年3月4日 プラシャンティ ニラヤム

 

 


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