サイラムニューズ NO.72  
プラシャンティニラヤムより

  世界青年大会に参加して


 昨年の11月、私は第2回サティア サイ世界青年大会に参加してきました。世界
大会に参加するということで私のテンションはずいぶん上がり、また色々なことを心
配してしまいましたが、今思うと得るものが多かったことを実感しています。
 大会自体は御降誕祭と重なっていたこともあり、スワミを近くで見る機会があまり
ありませんでしたが、私は通訳として、日本のユース(青年部)と共に行動をし、た
くさんの人々と会い、色々な話を聞き、またサイ オーガニゼーションのトップ レベ
ルでの働きと仕組みを内側から見る機会を与えていただきました。やはり今回の目的
はスワミを見ることではなく、大会に集中することにあったように思います。
 大会のテーマは『リーダーシップ』でした。私は大会前からずっと、自分がそれに
参加する資格があるかどうか悩んでいました。それは、プッタパルティに行けるかど
うかの心配から始まり、無事参加できた後でも、開会式でのスワミの御講話は、まる
で私の短所をリストアップしているようなお話でした。そのすぐ後、私はキャンティ
ーン(食堂)で無意識に列に割り込もうとしてしまい、親切なおじさんに止められ、
自分の行為の恥ずかしさに気付かされました。また、御降誕祭の日には、ダルシャン
ホールに入れず、すぐあきらめて、部屋に戻りひとりですねていました。こんな私で
したのでリーダーとして資格がないのではないかと悩んでいたのです。私はすっかり
自分の信仰の薄さと熱意のなさに気付かされてしまいました。
 けれど幸運なことに、その悩みがもっと深刻になる暇がないほどたくさんの仕事が
与えられていました。それに私と共にいた青年たち、とくに同じ建物に泊まっていた
東京、千葉のユースの男性たちは皆、素晴らしい人格と深い帰依心をもっていたので
、私の否定的な思いはすぐ晴らされていきました。
 帰国後に、大会の出来事を皆に話すことは躊躇していましたが、次の二つの出来事
が私を支えてくれました。その一つは、プラシャンティ ニラヤムで起きたことです
。私が心の中でスワミに「私をあなたの道具としてお使いください。次に何をして欲
しいのか教えてください」と願った瞬間、スクーターに乗ったセヴァダル(ボランテ
ィア)のおじさんに呼び止められ、オフィスで和英訳の仕事をして欲しいと頼まれた
のです。そして、二つ目は日本に帰って来てからのことですが、センターで大会報告
を頼まれ、とても悩んでいたのですが、その前日に家に来たガス工事のおじさんの名
前を見てびっくり。なんと馬場 信行さんという方だったのです。この出来事によっ
て、悩んでいるよりも大会で体験した素晴らしい学びをみんなと分かち合う努力をす
るべきだと考えられるようになりました。
 フィリス クリスタル女史の著書には「愛する帰依者に対して、ババは厳しい主人
だ」と述べられていますが、今回の大会で私はまさに同じことを感じました。
 それは、サイ オーガニゼーションのリーダーたちの働きぶりを見たからです。彼
らは一つのミーティングの出席時間がわずか5分しかとれず、しかもその後、別のミ
ーティングが続いていくという大変なスケジュールで働いていました。しかし、そん
な厳しい状況の中でも彼らはやる気や冷静な判断力をいささかも失わず、スワミの仕
事をこなしていました。
 私はこれを見て励まされたし、考えさせられました。サイ オーガニゼーションの
リーダーとして活躍するには、時間を節制する能力と識別心がとても重要なのだと感
じました。そして、これからオーガニゼーションのリーダーになろうとしている青年
にはそんな性質を支える信仰と熱意が求められているのだとも感じました。
 これからの青年部は、ますます忙しくなっていくでしょう。でも私は働き続ける自
信ができました。それは、大会で忙しくなったときも、自分に対して疑問を抱いた時
も、ババを信じて、ババという宝石を放さなかったこと。そしてスワミからの祝福に
よりすべてのものごとがスムーズに行われたことなどの体験を得たからです。
 これからも大会で学んだことをさらに皆と分かち合っていきたいと思います。スワ
ミのミッションが一日でも早く実現するようにお祈りを捧げます。
                       神戸センター



マハ シヴァラトリ体験談

 オーム サイラム
 サイババ様の蓮華の御足に、心よりお祈りを捧げます。

 私は、3月4日にプラシャンティ ニラヤムで行われましたマハ シヴァラトリに参
加することができました。
 当日は、世界各地から大勢の人々が集い、その結果、私は朝のダルシャンではトー
クンライン(くじ引きの列)にも並べなかったため、一番後ろになってしまいました

 ババ様の御姿を遠くからしか見ることができず、とても残念でしたので、午後のダ
ルシャンでは祈りながら、日本人同士でまとまって並ぶことにしました。すると、驚
いたことにトークンで一番を引くことができ、私たち日本人はババ様を真近で拝見す
ることができることになったのです。
 シヴァラトリは夕方から始まりました。午後7時頃、シヴァ神を称えるバジャンが
鳴り響く中、壇上にお座りのババ様が何杯もお水を飲まれ、ときどき胸を苦しげに押
さえられる御様子をされました。その御姿を目にして、場内が騒然となりました。皆
が総立ち状態で目を見張る中、ババ様の口からは何度も青い光が溢れ放たれ、ついに
神聖なるリンガムが出されました。ババ様は満面の笑みをたたえられながら、2、3
歩前に歩かれて、リンガムを皆に見せてくださいました。その姿は、本当に深い慈愛
に満ちた神の化身の御姿でした。
 神の子供である私たちのために、この神聖で意義ある愛の宇宙卵が生み出されたの
です。ババ様が会場を後にされてからも、リンガムはテーブルの上で光り輝いていま
した。私たちはそれを拝見しながら、サイ シヴァ神を心に抱き、朝まで歌い続けま
した。
 私は今回、内なる声に導かれて、マハ シヴァラトリに参加しましたが、今年もリ
ンガムを出されるとは考えもしていませんでした。この幸運に巡り合わせていただけ
たことに感動し、深く感謝をしています。
 シヴァラトリは感覚のコントロールをすることの重要性を見つめ直す日です。また
、シヴァ神は破壊と創造の神とも言われています。これらを考えますと、古い習慣を
捨て、新しい自分に作り変える良い機会でもあります。これからまた自分自身を磨き
、より良き自分を作っていきたいと思っています。
                         名古屋グループ







奇跡の意味

 私はマハ シヴァラトリに参加するため、2月末よりインドへ向け旅立ちました。
 3月4日の朝、神聖な空気がアシュラム全体を覆い、これを浄化していました。午
後のシヴァラトリを迎えるため、部屋に戻ることなく、そのままラインに並ぶことと
なりました。そして、くじ引きの時間です。列の先頭は一番を引き当ててくれました
。私は「やった」と文字通り天を仰いだのでした。
 スワミは御講話の後、御席につかれ、バジャンが始まりました。この日、神の化身
は自らの栄光、『奇跡』をお見せする、特別な夜を提供しようとしているのです。

 しかし、そもそも奇跡とは一体何でしょうか? 私たちは便宜上、自分の通常の感
覚では理解できないものを奇跡と呼んでいるわけです。どのような事実をありのまま
に思い出しても、それぞれ先入観や内心の期待があります。さらにその場の雰囲気が
普通と違えば違うほど、人の体験は、真実とニュアンスの異なるものです。奇跡現象
に目を奪われ、それを実際に体験するとき、内心の高揚を抑えることができません。
真実は忘れられ、説明することもできません。それでも私たちは、心の拠り所として
真実を求めているのです。そこで大切なのは、現象そのものよりも、その意味なので
す。神はわざわざ人間の姿に化身して来なければならなかったその意味は何なのでし
ょうか? 神の化身クリシュナの語った「カリユガの時代に、正義が廃れ、悪がはび
こるとき、私は人間の姿をとってこの世に生まれ出る」そしてスワミは、「人間が本
来神聖なもので、神と一体であるという忘れられた真理を思い出させるために私はこ
うして人間として生まれた」とおっしゃいます。
 
 スワミは、その特別な夜に、リンガムをお出しになられました。その場に居合わせ
た人々から驚嘆のどよめきが沸き起こったのです。神は奇跡を通して愛を輝き出させ
、人々を喜ばせ、信仰心を起こさせます。神の慈悲によって、私がどこにいようと、
私の中のババをいつでも感じることができますようにと祈ります。
 ローカー サマスター スキノ バヴァントゥ(みんな幸せになりますように)
                          東京センター

 

 


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