クリシュナ神 降誕祭  
     
 
クリシュナ
バーラ・クリシュナ (子どものクリシュナ)

クリシュナ ジャンマ アシュタミー
  (クリシュナ神御降誕祭)

クリシュナ ジャンマ アシュタミー(別名ゴークラ アシュタミー)は、ドワーパラ ユガに降臨した神の化身クリシュナの誕生日です。インドの暦のシュラーヴァナ月にあります。太陽暦では通常8月末から9月初めに当たります。バガヴァンは、2001年8月11日の御講話で、クリシュナ神が降臨されたのは紀元前3228年7月20日午前3時であったとおっしゃっています。それは、シュリムカ年、シラーヴァナ月(シュラーヴァナ月)、黒分アシュタミーの日(満月の日の8日後。アシュタミー=8日の意)のことで、星宿はローヒニーでした。

プラシャーンティ ニラヤムで行われるジャンマ アシュタミーは、たいへん華やかで喜びにあふれたお祭りです。マンディールはさながら、尊神クリシュナが幼少時に暮らし、牛飼いの仲間たちと陽気に過ごされた地であるブリンダーヴァンのようになります。

サティヤ サイ ゴークラム(酪農場)からは、クムクム(朱色の顔料)や、ちりんちりんと鳴るベル、花などで豪華に飾られたぴかぴかの牛たちが、牛飼いの衣装を着た学生たちの大行列に先導されてマンディルにやってきます。以前は、ババのお飼いになっていた象のサイギーターが、優美な飾りを身につけてこの華やかな行列を先導していました。スワミは時間をかけて牛に一頭ずつえさをやり、優しくなでて、祝福をお与えになりました。

https://www.srisathyasai.org.in/Pages/AshramInfo/Sri_Krishna_Janmashtami.htm

ババの御言葉

 アヴァター〔神の化身〕が人間のように振る舞うのは、人類が神を親しく感じられるようにするためですが、アヴァターが超人間的な高みに上がるのは、人類がその高みに上がりたいと強く望むようにするためなのです。

今日、私たちはクリシュナの誕生日を祝います。クリシュナはどこで生まれましたか? 牢の中です。クリシュナは何を持っていたでしょう? 何も持っていませんでした。牢で生まれ、ナンダ(クリシュナの養父)の家に連れて行かれたのち、クリシュナはマトゥラーの都に行きました。クリシュナは何も所有してはいませんでしたが、世界でもっとも偉大な人物になりました。これは何を示しているのでしょうか? 世俗的な財産は偉大さの鍵ではないのです。クリシュナの偉大さは、クリシュナがいつの時も至福の状態(アーナンダ)にあったことにあります。

クリシュナとラーマの違いがわかれば、クリシュナの性質をさらによく理解できるでしょう。クリシュナはつねに、まず微笑み、その後で務めを果 たしました。ラーマの場合は、まず行い、その後で微笑みました。クリシュナは女性たちを泣かせましたが、ラーマは女性たちのために泣きました。ラーマは必ず、まず確固たる「原因」を調べてから、戦闘を開始しました。クリシュナはまず戦闘を起こしてから、「結果 」を判断しました。

『ラーマーヤナ』は、真理とダルマが地上を支配することを促すことを目的としています。一方、クリシュナ・アヴァターは永遠のメッセージ〔バガヴァッド・ギーター〕を世に残すという目的がありました。クリシュナは、自分のためには何も求めませんでした。クリシュナは自分のためには何もとっておこうとせず、すべて人に与えました。クリシュナは母方の叔父であるカムサを殺害し、カムサの父親であるウグラセーナを王位 に就かせました。クリシュナは王国をほしがりませんでした。クリシュナはパーンダヴァ兄弟の味方となり、カウラヴァ兄弟を滅ぼし、ダルマジャを王に即位 させ、自分は即位しませんでした。しかし、クリシュナは王冠をかぶっていない王でした。クリシュナは王の中の王でした。自分の王国はもっていませんでしたが、何百万という人々の(ハート)を治めました。こうした意味深い真理は、クリシュナの本質(クリシュナ・タットワ)と言われています。

よく調べてみれば、アヴァターは、各人が特別なメッセージを伝え、特定の任務を遂行するために化身してきたことがわかるでしょう。

クリシュナ神降誕祭の御講話より、1996年9月4日

 

クリシュナ・アヴァターは、牛飼いの女たち(ゴーピカー)が表現した、神聖な愛という信条を賞賛しました。今日、人は甘露が入った土製の壷のようなものです。肉体は土でできているかもしれませんが、魂は永遠です。神性は、肉体を通 して体験しなければならないものです。ですから、人間として生を受けたことを取るに足らないものとして扱ってはなりません。人間としての生は、生きる価値があるものです。ですから、人生は貴重なものとして大切にしなくてはなりません。

ところが今、その貴重な贈りものは、ゴミ同然に扱われています。人間として生きる価値を理解することは必須です。人生の目的は何でしょうか? それは、私たちが来た、元の場所に戻ることです。私たちの義務は、根源、すなわち、元いた家に戻ることです。

皆さんは、インドや世界の各地からここにやって来ました。そして、ここでの滞在を終えれば元の場所に戻らなくてはなりません。それと同じように、人間は巡礼者として地上にやってきました。人は元いた家に戻らなくてはなりません。皆さんはアートマからやって来たのですから、アートマに戻らなくてはなりません。皆さんはブラフマン(至高の神我)からやって来たのですから、ブラフマンに融合しなくてはなりません。皆さんはブラフマンから出た火花として肉体を与えられたのですから、ブラフマンにならなくてはなりません。それが理想です。それが目的です。誕生と帰還の間には多くの障害があるかも知れません。しかし、それらは無視すべきです。揺るぎない信仰をもちなさい。それが真の信愛です。

クリシュナ神降誕祭の御講話より、1995年8月18日

 

サイババ
ドワラカ近郊の海岸で、ご自身が物質化なさったクリシュナの像を持つスワミ(1968年5月)

何をしているときも、神の遍在を忘れずにいなさい。すべての行いを、神を喜ばせるために、愛に促されて行いなさい。強制されたからという理由で行ってはなりません。すべての行いを神聖なものにしなさい。神はギーターの中で、「この移りゆく不幸な世に生まれたからには、私を崇めなさい」と語っています。

クリシュナはアルジュナに、立ち上がって戦いに向かうように言い、待ち受けるカウラヴァ兄弟がいかに悪い心をもっているかを思い出させました。クリシュナはアルジュナに、クリシュナを完全に信じて己の義務を遂行するよう厳しく命じました。アルジュナは言いました。「カリシュイェーヴァチャナム タヴァ――私はあなたの命じるとおりにいたします」〔ギーター18:73〕。すると、クリシュナは、「今、おまえは私の真の帰依者となった」と言いました。そして、クリシュナはアルジュナに、起き上がって戦いに挑むよう勧め、カウラヴァ兄弟と、ドゥルヨーダナ、ドゥッシャーサナ、カルナ、シャクニの邪悪な4人組が全滅することで、戦いは幕を閉じました。

ギーターの偉大な教えは、次のようなものです。――神に信頼をおき、自分の義務を果 たし、皆の助けとなり、自分の人生を清めること。すべての行いを神に捧げること。――これが神と一つになる体験をする道です。神はあなたの内にいます。あなたは神の内にいます。この一体性が根本的な真理です。神の御名を唱え、無私の精神と神への信愛をもって社会奉仕をしなさい。

クリシュナ神降誕祭の御講話より、1995年8月18日

 

クリシュナは遍在です。クリシュナという言葉には、3つの意味があります。

(1)「クリシティ・イティ・クリシュナ――耕す者=クリシュナ」 ハートは畑の象徴です。ハートから雑草(悪い性質)を取り除かなくてはなりません。ハートを愛で満たし、神の御名という種をまかなければなりません。クリシュナは帰依者にこれらをすべて行うことを勧めています。

(2)「カルシャティ・イティ・クリシュナ――魅了する者=クリシュナ」 クリシュナは皆を引きつける至高の力をもっています。クリシュナの言葉、クリシュナの遊戯(リーラ)、クリシュナの奏でる音楽、クリシュナのあらゆる行動は、すべての人を引きつけます。こうした魅惑する力はすべての人に内在しています。ですから、潜在的にはすべての人がクリシュナです。

(3)「クルシャティ・イティ・クリシュナ――至福を授ける者=クリシュナ」 すべての人が幸せを求めています。幸福の化身である神は、あなたの内にいます。神はあなたに幸せになってもらいたいと思っているのに、あなたはそのことに気づいていません。自分の内にある至福の源に気づくよう努めなさい。不幸せでいることは人間の本質ではありません。だれか幸せでない人がいたら、周囲はその人を心配します。いつも幸せでいなさい。なぜなら、あなたはアートマの化身なのですから。決して不安に負けてはなりません。

神から出た火花らしく、神のように振る舞いなさい。悲しみに隙を与えてはなりません。数珠の玉 を繰りながら心(マインド)で世俗的なことを考えていたら、何になるでしょう? まず、心(マインド)を清らかにしなさい。すべての行いを神に捧げなさい。あらゆる執着をなくしなさい。すべてを神からの贈りものと見なしなさい。なぜなら、あなたはその贈りものの管理者であって、所有者ではないのですから。

クリシュナ神降誕祭の御講話より、1997年8月25日

英語:https://sathyasai.org/calendar/krishjan.html


クリシュナ神御降誕祭の御講話
2007年 サイラムニュース133号
2004年(午後) https://www.sathyasai.or.jp/mikotoba/discourses/d_20040906.html
2004年(午前) https://www.sathyasai.or.jp/mikotoba/discourses/d_20040906am.html
2003年 https://www.sathyasai.or.jp/mikotoba/discourses/d_20030819.html
2002年 サナザナサラチ78号
2001年 https://www.sathyasai.or.jp/mikotoba/discourses/d_20010811.html
2000年 サイラムニュース75号(抄訳)
1998年 サナザナダルマ44号
1999年 サナザナダルマ51号
1997年 https://www.sathyasai.or.jp/sn/sn68/krishn68.html
1996年 https://www.sathyasai.or.jp/sn/sn55/krishn55.html
1995年 サナザナサラチ57号
1994年 サナザナサラチ54号
1993年 サナザナサラチ51号
1992年 サナザナダルマ24号
1991年 サナザナダルマ21号
1990年https://sathyasai.or.jp/mikotoba/discourses/d_19900814.html
1989年 サイラムニュース50号(抄訳)
1988年https://sathyasai.or.jp/mikotoba/discourses/d_19880903.html
1987年https://sathyasai.or.jp/mikotoba/discourses/d_19870816.html
1986年 サイラムニュース164号
1985年 https://sathyasai.or.jp/mikotoba/discourses/d_19850907.html
1983年 サナザナダルマ81号
1982年 サイラムニュース199号
1979年 サナザナダルマ5号(抄訳)
1977年 サイラムニュース68号(抄訳)
1974年 未訳
1972年 サイラムニュース43号(抄訳)
1971年 https://sathyasai.or.jp/mikotoba/discourses/d_19710813.html
1969年 https://sathyasai.or.jp/mikotoba/discourses/d_19690903.html
1968年(3) 未訳
1968年(2) 未訳
1968年(1) サナザナダルマ80号
1967年 https://sathyasai.or.jp/mikotoba/discourses/d_19670828.html
1966年(2) 未訳
1966年(1) 未訳
1965年 https://sathyasai.or.jp/mikotoba/discourses/d_19650819.html
1963年(上) サイラムニュース145号
1963年(下) https://www.sathyasai.or.jp/sn/sn55/d_19630812_2.html