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「ハートの中におられる神様を絶え間なく憶念し、人類同胞愛という一体性の花を捧げます」 



2024年6月の御言葉


神は、すべての人に多くの恩寵を与えています。愛を降り注いでいます。しかし、不運な人々はこれらを受け取ることができません。それはなぜでしょうか?

それは、神の意志がある方向を向いており、受取手の意志が別の方向を向いてるからです。このために、神の愛と恩寵を受け取ることができないのです。神は哀れみ深く、愛の権化であり、慈悲の大海です。にもかかわらず、なぜ皆さんは神が与えるものを受け取ることができないのでしょうか?

皆さんは世俗的な感情で一杯です。世俗の心配で一杯です。過ぎ行く感情や一時的な考えでハートを満たしているために、神聖な愛を受け取ることができないでいるのです。神聖なものを受け取りたいと思った日には、神聖でないものはすべて棄ててしまわなくてはなりません。

頭の中が空であれば、どんなもので満たすこともできます。頭の中がすでに一杯の状態であれば、どうして霊的な喜びで頭を満たすことができるでしょうか?
あなたはいろいろなことで頭を一杯にしています。それでどうして、神の贈り物である甘い愛で頭を満たすことができるでしょうか?

頭を空にしなさい。すべて棄ててしまいなさい。そして、愛で満たしなさい。



[2001年5月7日 仏陀プールニマ祭の御講話 SSOのホームページのスワミの御講話のサイトより]

6月の感想



2024年5月の御言葉


全託という行為の印として、そして、全託を維持するために申し渡されるものとして、絶え間ない神の御名の憶念(ナーマ スマラナ)以上のものはありません。

心身を疲れさせるような霊性修行(サーダナ)の規則は何も指示されていません。憶念(スマラナ)だけで十分です。



[1974年2月21日 プラシャーンティ ニラヤム シヴァラートリの御講話(下)SSOのホームページのスワミの御講話のサイトより]

5月の感想


2024年4月の御言葉


もっとも容易なのは、あらゆる行動を神に捧げることです。

「神よ、あなたの恩寵により、私はこれをすることができます。ですから、私はこれをあなたに捧げます」

と言いなさい。 けれども、口先だけのただの言葉で終わらせてはなりません。話されていることによって、心が変容しなければなりません。


[人生はゲーム、プレイしなさい! p.108 より]

4月の感想


2024年3月の御言葉


セヴァダルの責任はひじょうに重い。責任感を持ってメンバーは行動しなくてはいけない。

そしてこのメンバーを通し、全人類を「私」から「わたしたち」にする精神的規律に従うよう導いていかなくてはならない。これがセヴァダルが重要である理由なのだ。人は自分の内面の重要性を深く掘り下げてみない限り、この点には気づかないものだ。

仕事の全てを崇拝へと昇華していかなくてはならない。一生涯この見地に基づいて生きていく努力をしなくてはならない。そうしてこそ、あなたはこの組織の一員であると胸を張っていうことができる。



[ヴィジョン.オブ.サイ p.308 より]

3月の感想


2024年2月の御言葉


よく聞きなさい。目覚めたら、「主」に与えられた役を演じるために舞台にあがったのだと思いなさい。上手に演じて「主」の称賛をえられるようにと、祈りなさい。

夜、眠りにつくときには、舞台を終えて楽屋に入ったのだと思いなさい。でもあなたはまだ衣装を着けている。

おそらくまだ役は終わっていないので、衣装を脱ぐことはできない。翌朝には、また出番があるからかもしれない。

だが、心配することはない。「主」の裁量にすっかり身を任せればよい。「主」が承知している。「主」が「戯曲」を書いたのだから、幕切れも劇の進行もすべて「主」が知っている。あなたはただ役を演じて、舞台を降りればよい。



[ヴィジョン.オブ.サイ p.152 より]


「神」を愛しなさい。ただし、「神」を愛すことさえ「神」から授けられたものなのだ。われわれは与えられた「愛」を「彼」に返さなければならない。



[ヴィジョン.オブ.サイ p.181 より]



2月の感想

日々の憂いや家族も含む人間関係等、思い通りにいかないことや酷い状況にある時、私たちは皆役を演じている!を念頭に、一瞬は例え爆発したとしても、直ぐに気持ちを収めることができる助けになりました。
私同様、他の人も役割があり演じて居るのですから。そして同じところで引っかかる感情を、浄化せざるを得ないことにも気づいています。
今のところは少しずつでも、大いなる助けになっている、、に留まっているというところですが。 追記の、『神を愛すことさえ神から授かったもの』私たちにとって愛することは当たり前(出来ても出来なくても)で、考えたこともありませんでしたが、愛を知ること、知らずに生きることも神の恩寵だと知り、身震いするほどの驚きがありました。近しい関係に、愛とは程遠い方が居て、いったいどんな縁で繋がったのか、いつまで続くのか、どんな心になれば浄化されるのか、全く途方にくれてしまうことがあります。ですが、その方にもお役目があり、全ては自分から発信している。と考えれば、心も少し落ち着きます。
その方の心にも、無償の愛が目覚めるよう祈ってみようと思います。 愛する心を授かったことは、なによりの恩寵なのだから、愛を広げなければなりませんね。

サイラム




2024年1月の御言葉


帰依の心、不屈の精神、そして平安といった富を手にする方法を、あえて他人に助言しようと試みる前に、まずあなた自身がそうした富を手に入れなさい。

バーラタ(インドの正式な国名)は、自分が教えることを実践することに注意を払わなかった大勢の教師たちのために、軽んじられ、無視されてきました。

わたしたちは、あなたたちがわたしのメッセージをこの国の人々、そして他の国の人々に伝えることに熱心なことを知っています。

覚えていますか?あなたたちにできる最善にして唯一功を奏する方法とは、それらのメッセージを自分たちの実生活に移すことです。

あなたたちの思いと言葉と行いには、わたしの教えがしみ込んでいなければなりません。 そうすれば、わたしの教えは労せずとも効果的に広まり、世界の様相は一変することでしょう。



[1008の宝石 今日の御言葉集1 p.149 より]


1月の感想

サイラム

御言葉の後半部分が気に入って、この御言葉を選びましたが、実際には前半部分に関する学びがありました。
この1ヶ月間、神の恩寵により、他人に(言葉で助言はしなくとも)こうすればいいのにと思うことが多々ありました。心の中で思うだけでも、助言したことになると思いますので、沢山助言してしまったことになると思います。その度に、1月の御言葉を思い出し、心改めました。
「したいことをするより、しなくてはならないことを好きになること」「神に全託すること」「常な助け決して傷つけないこと」など、その都度、自分を改めました。周りや世界が変わることを考えるより、まずは、自分がスワミの御教えを守ることが重要なのだと思うようになりました。

サイラム

1月の御ことばで、私は、「労せず」がこころに響いてました。家庭が、ストレスフルで、心配が絶えませんので、労せずに一変してくれたら、と思うわけです。
そして、思い言葉行いに、スワミの御教えがしみ込んでいないのは、自分が学生期(今の子供と同じ)にやってこなかったたからだと気づきました。そして、多分、ストレスフルな状態は、私の行い(思いも含めて)の結果なわけで、これまで、一般に学んできたことと関係ない次元のことだと思いました。
今の状態と関係なく、とにかく神を信じて、出来るだけ愛して、世俗的なお願いの祈りから、霊的な導きと、朝昼夜や空気や命など、忘れがちなことへの感謝の祈りに変えていって、そして、自分の行いを少しでも正していくことかなと思いました。
それで、どうなるかわかりませんが、結果も(期待も)お捧げして、無執着でいないとなぁ、と思います。もともと理想があったのですが、それが世俗的に縛るような気がするので、、。神への信愛を膨らませていけたらと思います。