2017年 全国サーダナ キャンプ Sadhana Camp

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2017全国サーダナキャンプ準備

サイユース参加プログラム

9月のサーダナキャンプで、サイユースが9つの帰依プログラムの中から「ヴィシュヌスマラナム(神を憶念すること)」の担当になりました。このプログラムに向けて、御言葉をアップするなど、学習していきたいと思います。

9つの帰依プログラムについて

〇内容:テーマに関する神様、聖者、帰依者のエピソードや御教えを、朗読や劇やスライド、歌など様々な方法で発表する

〇9つの帰依とは

シュラヴァナム(神の栄光を聴くこと)
キールタナム(神の栄光を歌うこと)
ヴィシュヌスマラナム(神を憶念すること)
パーダセーヴァナム(神の蓮華の御足に奉仕すること)
ヴァンダナム(神を崇敬すること)
アルチャナム(神仏の像を礼拝すること)
ダースヤム(神の召し使いとして奉仕すること)
スネーハム(神の親しい友となること)
アートマニヴェーダナム(真我なる神に全託すること)

御言葉

皆さんは9つの伝統的な信愛の道、すなわち、シュラヴァナム〔神聖な言葉を聴くこと〕、キールタナム〔神の栄光を歌うこと〕、ヴィシュヌ スマラナム〔神の御名を唱えること〕、パーダ セーヴァナム〔蓮華の御足への奉仕〕、ヴァンダナム〔神に礼拝を捧げること〕、アルチャナム〔礼拝〕、ダースヤム〔神への奉仕〕、サキーヤム〔神の友や伴侶となること〕、ニヴェーダナム〔全託〕を知っていますね。これらの道は、もし機械的に歩めば、束の間の満足を運んで来るにすぎません。解脱を望むのであれば、こんこんとあふれ出る愛がその実践に伴っていなければいけません。あなたがどの道を選択しようとも、その底流に純粋な愛がなければいけません。実に、すべての霊的な試みにおいてそうでなければいけません。すべてのことを、神への愛から、そして神のために、しなければいけません。これが真の信愛です。

2000年5月21日仏陀プールニマーの御講話

 

2017年08月04日キャンプ:2017camp

ヴィシュヌスマラナム(神を憶念すること)御言葉1

9月のサーダナキャンプで、サイユースが9つの帰依プログラムの中から「ヴィシュヌスマラナム(神を憶念すること)」の担当になりました。このプログラムに向けて、御言葉をアップするなど、学習していきたいと思います。

御言葉

「シュラヴァナム(傾聴)、キールタナム(神の栄光を歌うこと)、ヴィシュヌ・スマラナム(神を憶念すること)、パーダ・セーヴァナム(蓮華の御足に奉仕すること)、ヴァンダナム(神を崇敬すること)、アルチャナム(神仏の像を礼拝すること)、ダースヤム(神の召し使いとして奉仕すること)、スネーハム(神の親しい友人となること)、アートマ ニヴェーダナム(真我への全託)は九つの信愛の形式です。」
2009年7月6日・場所:プラシャーンティ ニラヤム、サイ クルワントホール
グルプールニマー祭前夜の御講話

ヴィシュヌ・スマラナム(神を憶念すること)とはどのようなバクティのことでしょうか?
また、人が神の御名を繰り返し唱えても、何の変容も起こらないことがあるのはなぜでしょうか?
バガヴァンババ様は神を憶念すること、つまり神を深く思い、絶えず忘れないことについてこのようなエピソードを教えてくださっています。

「神の御名は人間の誕生の基盤です。鳥や動物でさえ、たった一度神の御名を聞くだけで、人としての生を得ることができます。一方で、人が神の御名を繰り返し唱えても、人に何の変容も起こらないのはなぜでしょうか? それは、今の人は愛を込めずに機械的に神の御名を唱えているからです。人々の中には、動く心(マインド)でバジャンを歌っている人もいます。そのような人は始終あちこちをきょろきょろしています。その心は歌い手のシュルティ(曲の節〔ふし〕)やラーガ(旋律)が正しいかどうかを見ることに従事しています。いくら神の御名を唱えても、そのような人々に変容は起こりません。

サタタム ヨーギナハ
(永続するヨーガの境地に達せよ)

もし、たった一度でも完全に集中して神を想ったなら、そのことは私たちの中に大きな変化をもたらします。1人の歌い手がバジャンを歌っている時、他の歌い手はずっと次にどのバジャンを歌おうかと考えています。神に心を集中させずに神の御名を唱えているから、何の変容ももたらされないのです。とはいえ、どのようなやり方で神の御名を唱えても、ある程度の純粋さは得られます。その純粋さは他の人々には見えません。本人だけが、自分の内面で起こった変化としてその純粋さを体験することができます。それゆえ、神の御名がハート心に刻み込まれるよう、人は絶えず神の御名を唱えているべきです。

皆さんは自分の仕事をすべて果たしているかもしれません。しかし、何を行おうとも、何を話そうとも、それは神のものであるという気持ちを常にもっているべきです。そうすれば、皆さんの生活は清められます。-SAI BABA」

2007年11月13日・場所:プラシャーンティ ニラヤムのサイ クルワント ホール
アカンダバジャンにおける御講話より

※おく‐ねん【憶念/臆念】 の意味
深く思い、絶えず忘れないこと。
出典:デジタル大辞泉

2017年08月05日キャンプ:2017camp

ヴィシュヌスマラナム(神を憶念すること)御言葉2

9月のサーダナキャンプで、サイユースが9つの帰依プログラムの中から「ヴィシュヌスマラナム(神を憶念すること)」の担当になりました。このプログラムに向けて、御言葉をアップするなど、学習していきたいと思います。

御言葉

『愛の化身である皆さん!
皆さんはいくつの霊性修行に取り組んでもかまいませんが、決して一瞬たりとも神の御名を忘れてはなりません。そうしていれば、あなたは守られるでしょう。何であれ自分を神から引き離すことは決してしてはなりません。あなたは祈りによって何でも実現させることができます。大声で祈る必要はありません。心の中で祈れば十分です。大声で祈らなければ神は助けに来てくれないと誤解をしている人たちがいます。神はあなたの心の中に住んでいます。神はあなたの祈りを聞いています。もし、神の恩寵を得ることを望むなら、絶え間なく神を憶念しなければなりません。俗世の問題は来ては去ります。それらに重きを置くべきではありません。一方、人は祈りによってどんな問題も克服することができます。神の恩寵だけが真実であり永遠です。人は神の恩寵を得るよう努力すべきです。』

http://www.sathyasai.or.jp/mikotoba/pdf/d_20050721.pdf

2017年08月07日キャンプ:2017camp
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