体験談232

2020年11月22日

女性(石川)

ある時のスワミのエピソードで、インタビューの際に学生に対して「至福とは理由なき幸福です」と教えられたというものがありました。

このように、Be happy(幸せでいなさい)というのはまさに、私たちの置かれている様々な状況にはまったく拠らない、無条件の命令です。

それは、スワミが私たちに示しておられる無条件の愛に派生しているためと思われます。

そして私たち人間も皆幸福であることを渇望します。

スワミがBe happyとシンプルにおっしゃるとき、そこには奥底が見えないほどの深遠さが同時に感じられます。

本来の私たちでいなさいという強力なメッセージでもあります。

また、神と人が結び付きを通してそれぞれの幸福感により互いに呼応することは宇宙の創成の目的でもあります。

スワミは私たちに可能な命令しかお与えにならないので、スワミご自身のこの御言葉は、いついかなる時にも私たちは幸福でいることができるということを保証して下さっていることが重要なことです。

もし私たちが何かの理由によって幸福でないのなら、そのような理由を有する不幸は本当の不幸ではないので、程なくして去っていきます。

幸福でないのは、モグラの塚を山と見間違えている無知によるものに違いないのです。

これまで多くの御教えや最近の一連のスタディーガイドを通しても、何が幸せの障害になっていて、どのようにすれば良いのかを含め多くのことを学びつつ話し合われてきました。

欲望を制限することや、日々小さな愛を分かち合っていくことは、確かに幸福へのステップになることでしょう。

しかし、本質的なパラドックスは、幸福とは「私はどうすれば一体幸せになれるのだろうか?」という視点で考えたり、もがけばもがくほど遠ざかっていくことではないでしょうか?

特に幸福度が低いといわれる日本において、多くの人が、「こんなにも幸福を求めているのに、これほど頑張って生きているのに、なぜ幸福が得られないのか」と考えている理由は何でしょうか?

答えはとても明瞭で、私はどうすれば幸福になるのかという「私」の定義を間違えているためです。

愛を分かち合える人を見れば、その人は幸福であるからそうできるのだと周囲は思うかもしれません。

しかし、順序は逆であるのです。

分かち合うからこそ、本当の自分に近い立ち位置で幸福を実感することができます。

「私は幸せになりたい」病にかかっていたことを一度忘れ、周囲に分かち合うことに没頭するなら、病は自動的に治癒し、本当の自分は幸福であり至福であることを必ず思い出すことができます。

そのようにあと3日間、他者を幸せにするBe Happyに取り組むことで、他者もわたしもスワミも皆が幸福な素晴らしい御降誕祭となりますよう心よりスワミにお祈りいたします。