ビブーティの場所

2020年8月31日

昨日、東京サイセンター祭壇に置いたBeHappy95の案内書に
ビブーティが出現したという喜びのメールのやり取りが巡りました。

しかし、このビブーティはサイラムニュース折り込みの担当者が
次号に折り込まれるBeHappy95の案内書と共に
スワミの祝福が届きますようにとのお祈りの際
一番上の案内書にビブーティを掛けたものだったようです。

祭壇におささげした案内書を、
それを知らなかった方がビブーティを見た喜びで
やり取りが続いたということです。

しかし、このビブーティは人為的に付けられたものとしても
それを見た誰もがスワミのビブーティだと確信したということは
スワミの御業であり、
ビブーティが落ちた個所はスワミのご意思です。

それを写した写真から見てみました。

ビブーティの掛かった案内書

次の3つの文にビブーティが掛かっていました。

1.『本来の姿である「幸せ」を感じ』
2.『生活のリズムに合わせて実践』
3.『神へのみんなの想いが一つになったとき、どんな奇跡でも起こすことができます』

  

1.『本来の姿である「幸せ」を感じ』

スワミは人は本来至福であるとおっしゃっています。
至福とはこの世の幸せのはるか向こうにあるものです。
スワミは私の幸せ、他人の幸せの枠を超え
BeHappy95で至福まで達することができる、
とおっしゃっているのでしょうか。

2.『生活のリズムに合わせて実践』

人を幸せにする、幸せになるというのは、
改めて時間や環境を作って行うことではなく日常の中できることで十分。
霊性修行は今の生活の中でできることで、
そしてそれが重要である、ということでしょうか。

3.『神へのみんなの想いが一つになったとき、どんな奇跡でも起こすことができます』

「どんな奇跡でも起こすことができる」それは、
「神へのみんなの想いが一つになったとき」と書かれています。
ひとつ疑問なのですが、「想いが一つになる」とはどういうことでしょうか。
みんなが同じ考え方をするということでしょうか。
それとも考え方は違えど、何か他のものが一致しているということでしょうか。

みなさんはどのように捉えますか。

これはあくまでも一個人の見解です。
みなさんの見解もお待ちしています。

どの見解が正しく、どの見解が間違っているということはありません。
誰が見ても違うのではという見解でも、
たった一人の見解の方が的を得ていることもあります。

募集テーマ1 「想いが一つとは」
募集テーマ2 「私の見解」

お待ちしております。