体験談52

2020年9月10日

「・・・先生の・・・先生のおかげ・・・」

コロナの弊害はいろいろあるが、意外と取り上げられていないのが、隔離措置に起因する精神的弊害である。現在、病院や療養施設などでは、コロナ患者の有無に拘わらず、多くの施設で面会禁止措置が取られていて、家族の交流が遮断されている。私の病院も例外ではない。

Hさんは、原因不明の血栓症を伴う透析患者であった。もともと口数は少なく物静かな人柄であったが、お孫さんのことを語る時は、本当に嬉しそうに笑みを湛えていた。奥様や娘さんがいつも傍らについておられた。

そんな彼が、5月某日、シャント(透析に必要な血管)閉塞と同時に急に血栓症が進み大部屋に入院となった。種々の治療にも拘わらず病状はなかなか好転しない。そして悪いことに、コロナ対策により、お孫さんは勿論、家族の面会も許されない日々が続くこととなった。人は病気で苦痛に喘いでいる時こそ、家族からの励ましを欲するものである。彼にとって、今まで当たり前であった家族との接触が、彼が最も必要とするときに、突然、奪われてしまったのだ。その悲しみや辛さ、寂しさは、どれほど大きかったことだろう!

彼は、生きる希望を失ってしまったかのように寡黙となり、食事も摂らなくなってしまった。生気を失い、顔貌はすっかり痩せこけてしまった。全身状態は一見落ち着いているかのように見えたが、私は、彼がこのまま家族に会うこともなく、突然逝ってしまうのではないかと気がきでなかった。「家族に会わせたい、お孫さんに会わせなければ」・・・愛が私を促していた。

他の医療スタッフは、面会禁止はコロナ禍にあってはやむを得ないことと気にも留めていない様子であったが、私は意を決して、ある思いを実行に移すことにした。客観的データを揃えて、彼が急変する可能性が極めて高いことを感染対策委員会に示し、病院の責任において個室に転室させることにしたのである。そして、その結果、家族面会が許可されたのであった。すると、それを待っていたかのように、奥様、娘さん、そして遠方よりお孫さんが駆けつけて来られた。

彼は目を閉じたまま、仰向けに横たわっていた。私は彼に話しかけた。

私:「Hさん、良かったね。大好きなお孫さんが札幌(距離200Km)から駆けつけてくれたよ。深夜開けなのに、仕事を終えてからすぐに高速を飛ばして来てくれたんだって。嬉しいね!」

Hさん:(うっすらと目を開け、かすれた声で)「・・・先生の・・・先生のおかげ・・・」

家族:「あらっ~? しゃべった!? 先生って言ったわ!」

そのとき、彼の目尻から一筋の涙がこぼれ落ちた。同時に、私の心にも、温かくて透き通るような何かが流れるのを私は感じていた。喉の奥から絞り出すように発せられた、まさに生命を削ぐ感謝の言葉を、私は一生忘れることは無いだろう。彼は、それから三週間後、家族に見守られながら、静かに天国へと旅立っていった。

「愛のない義務は嘆かわしい。愛の伴った義務は望ましい。義務の伴わない愛は神聖です」

-Summer Showers in Brindavan1979 C29